年が明け、また暖かな春がやってこようとしていた。結局、は進級をすることを決意した。恋愛と自分の将来を天秤にかけるような真似はできなかったのだ。忍を諦めることはできない。だからといって恋愛を捨てるような事もできなかった。耐えられるほどの信頼を不破の間で作り上げればいいと思うことにした。言葉でいうほど簡単なことではないであろうということはわかっている。忍としてまだまだ未熟な子どもから出された結論なのでそれは最もな意見だ。だが、それは結局当人次第。この選択がどのような未来をもたらすのかは誰にもわからないことなのである。

 まだ寂しい格好ではあるが、が好んでいる図書室裏の桜もふっくらとした蕾をつけていた。あと一週間以内には薄桃色の花弁が顔を覗かせるだろう。その一瞬一瞬を逃すまいと今日もは例年と同じように図書室に通っていた。ただし、去年までと異なるのは隠れるようにしてこそこそと席につかなくなったことである。図書の貸し出し口に座っている図書委員長の了解を取っているためその必要が無くなったのだ。

 人が少なくなったところを見計らっては不破の元に近づいた。書籍を整理していた手を止めて、不破はを見上げた。

「ごめん。迷惑かけて」
「いや、別に煩くしてるわけじゃないんだから。好きなだけ見て来てくれればいいと思うよ。僕はがいつも何を見ていたのかやっと解って嬉しいし」

 恥ずかしい言葉を口にしている自覚はあるのだろうか。増幅していく羞恥をどうにか表に出さない様に耐えながら、自らも笑みを浮かべた。一緒に行動し始めてから常々思っていたのだがどうやら不破は天然タラシのようだ。欲しい言葉を倍にして返してくれる。よくいえば女性の扱いがとても丁寧で上手いといえるのだが、そのような体験が少ないにとっては恥ずかしさが込み上げて耐えきれないほどであった。

「そういえば、あの本読んでくれたんだね」
「え……あ、ああ、うん」

 突然「あの本」と言われてなんのことかわからなかったが、ややあってが最初に面と向かって不破と話をしていた時に勧められていた本のことを指しているのだということに気が付いた。不破に勧められた本なら読んでみたいと自然と意欲が増し、借りるにいたったのだ。恋物語という今まであまり積極的に読まない分野だったのだが、自分が今抱いている感情に近しいものを本の中の主人公が抱いていた点もあり関心がないわけでなかった。読み終えた後は不破が好きだと言っていたのがなんとなく理解できてもいた。ただこの気持ちを丸々吐露するのも恥ずかしかったので、「面白かったよ」とだけ告げる。その簡潔な返答に不満をみせることもなく、にこにこと彼は笑った。

「よかった」
「他にもお勧めの本とか、あったりする?」

 もっと不破に近づきたいと心の底で考えているせいかの口からそんな言葉が出てきた。は大抵課題で必要な参考文献を探る程度のことしかせず、活字が大好き、とは口が裂けても言うことができない。しかし、お互いを知りたいと思い行動に移すということは人間の基本的な感情の一つだ。関心の少ない読書でも、彼がそれを好むので自分もしてみたいと思うのは別段不思議ではない。の問いに不破は少し考えるように視線を上へ向けた。

「うーん。がこの本を気に入ったなら、これが合うんじゃないかな」
「……どんな本?」
「桜を主題にした物語」

 手渡された一冊の本に視線を向ける。随分昔に編集された本なのかところどころに汚れや破れている部分が目立つけれど、それだけ色んな人に読まれている作品のようだ。よくわかってくれている、と不破の言葉には目を細めた。むず痒いくらいの優しさに、苦い気持ちさえも浮ぶ。嬉しさと恥ずかしさとその両方が胸を支配して、痛いくらいだ。

「じゃあ、これ借りる」
「はい。返却期限に遅れないように、よろしくお願いします」

 本と返却の日付が書かれた札を渡される。温厚な彼も期限にはとても厳しいので、念入りに覚えておかないと後でどんな仕打ちが待っているかわからない。は慣れた手つきで貸出用の名簿に名前を記入していく彼を見つめながら不意に呟いた。

「雷蔵」
「……なに?」
「今度、一緒にお花見しようよ」

 今まで誰かとあの美しさを共有したいと思ったことはない。の忍術学園での過去そのものが詰め込まれていると思っても過言ではなかったからだ。しかしだからこそその特別なものを特別な人に知ってもらいたかった。図書室からこっそり見えるので、きっと彼も春になるたびにそれを目にしていたとは思うけれど二人一緒に眺めることがより重要性を増す。随分と女らしい思考になったものだと自らの変化具合に驚いてこそいるけれど悪い変化ではないと今ならそう言える。の誘いに、不破は作業を中断して顔を上げ二つ返事で頷いた。早く、桜が咲きますように。その日を思い浮かべてこっそりと口元に笑みを浮かべた。


END

    
110328 ここまでお読みくださりありがとうございました。次項は後書きです。