三日月が柔らかな光を届ける夜、四度目の実習が行われた。段々と難易度を増すが、はどうにか合格をもらえていた。立花と実習を行うことも回数を重ねれば慣れてくるのだから、不思議なものである。それに立花は相手役として思いの外優しく接してくれていた。色を苦手とするに最中でも耳元で囁きながら助言をくれる。さすがだと言えるのは、助言の際の彼の行動も相手を煽っていうよう色目かしくみえることだろう。立花は色に関して才能があるのかもしれない。実習後、片づけをしながらそう口にすれば彼は腹を抱えて笑った。

「あまり嬉しいことではないが、お前が私を誉めるなんてな。褒美に口付けでもしてやろうか」
「実習が終わってからの行為はなんの評価にもならないので遠慮します」
「冗談だ」
 
 早口で捲し立てるに対して立花は口元をゆるりと歪めてそう答えた。からかわれているのが丸分かりで面白くない。どうもは昔から立花にそういう対象として見られていた。同年の女子に比べれば落ち着きのあるの態度を崩すことを楽しんでいるのだ。だからこそは彼が嫌いであった。見直したと思えばすぐこれだ、と軽々しく彼が口にした内容に溜息を吐く。しかし、その時ふとあることが気にかかってはぽつりとまた一つ失言をした。

「人はそのように簡単に口付けができるものなんですよね」

 立花が自分に対して好意がないことを―玩具としてのそれはあるだろうが―は知っていた。また同時に忌み嫌われてることはないであろうということも知っている。このような実習に付き合うのはまさに彼も実習の一つにこれが含まれているからであり、そこに下心といったものは無い。好いていない相手と性行為を行うことができてしまうという事実が無性に心苦しかった。更に冗談だと言えるほどの余裕が彼にはある。軽々しく口にした彼の発言は神経質になっているに妙に印象的に刻まれた。そのせいか、ついつい哀愁を込めたような言葉がぽんと飛び出てしまった。

 暗いながらにもの目が悲しげであるということに気が付いたのか、立花は笑いを止めだらりと頬に垂れていた髪を掻きあげながら呟いた。

「お前は経験が無いわけではないだろう」
「それなりにあります」
「今更どうしてそのようなことを言う。身に沁みてわかっていたことだろうに」
「ええ、まあ」

 歯切りの悪い返しに、立花は眉をひそめた。

「不破と何かあったか」
「そういうわけではありません」
「相手のことを好いているからそのようなことが気になるんだろう」
「事情を知らない癖に決めつけないでください」
「不破に実習のことを尋ねられたとか」
「……」
「黙ってしまって。まだまだだな」

 一年という歳の差は大きい。少なくともにとっては、性格上の問題もあるかもしれないが彼には「未熟な後輩」としか捉えられていなかった。そのことが悔しく口を閉ざしてしまう。立花はそんな子どもらしさの残るの態度に大きく溜息を吐いた。「まあいい」と言っているかのようだった。

「気になるのは不破が自分の手元にないからで、案外一度手にしてみると自然と落ち着くのではないか」

 手にしてみる。そのような行動がに起こせるわけがなかった。はどうせ上手くいくはずがないと、彼を既に否定してしまっている。そして、自分が恋に溺れてしまうことを恐れてしまっている。

 は恋というものに慣れてこようと大して好意のない男と付き合いをした経験もあった。感情がそこに伴わなくとも、ある程度のことが行えることは解っていた。例えば当時時付き合っていた男が自分と別の女性とも寝ていることがわかったとしても心は乱れなかっただろう。しかし、今はそれとは異なる。立花の言う様な独占欲がを襲っていた。これはもうすでに恋に溺れてしまっている状況ではなかろうか。心が自分の思う通りになるのであればこのような腹立たしい感情を持たなくて済むというのにそのように簡単に割り切れる様なものでもなかった。

「嫉妬を抑えるにはどうしたらいいですかね」

 自分の内側に貯め込むしかない鬱憤を晴らしたいのだろうか、の口は余計な事ばかりを漏らしてしまっていた。

「根本的に解決したいなら問題を取り除けばいい。手にするか、忘れてしまうか、どちらかだ」

 淡泊で簡潔な答えが返ってくる。は後者を選んでいた。今はまだ無理だとしても、いつかは忘れてしまうことができるだろう、と。しかし、簡単なようで彼を根本から忘れてしまうのはとても難しい。忘れようとすればするほど、思いが強くなっていく。

「ただ、手に入れても、嫉妬と共存することがないなどとは言い切れないけどな。不破もお前も忍になるつもりだろう。すると任務上他人と肌を重ね合わせることが幾度もあるはずだ。それに耐えられないのであれば、忍になるべきではない」

 口にしている言葉が厳しいものだったが、言い方はとても優しかった。そして、見事にが心のうちで悩んでいることを彼は言い当てていた。緩やかな速度で風呂上がりの柔らかい髪の毛を撫でられる。すすすと地肌に触れる感触が心地よい。好いてはいない先輩に慰められている事実は普段のであったら屈辱の何ものでもなかったに違いないだろう。立花もそれをわかっているはずだ。けれど、嫌悪感はわかなかった。それを覆すほどにの心は誰かの優しさを求めていた。目を細めてこてんと整えられた布団に横になる。立花は黙って慰め続けた。それは後輩というよりも妹に接する態度に等しかった。気が付けば、は目を閉じてしまっていた。静かな夜が訪れた。



    
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