は地面に柔らかに生えた草の上で身体を横にしていた。御昼休み中、誰にも邪魔されずに寛げる場を探すとなるとやはり図書室裏のこの狭い場所しか思いつかない。薄桃色に染まった花はもう姿を消してしまっていた。駆け抜ける風は暖かく、朝露に濡れた万緑の芽がひょっこりと顔をだしているのを見ると、本格的な五月の始まりを感じる。は太陽に照らされて綺麗な光を放っている桜の木の眩い外観とは全く正反対の心境にいた。どん底というわけではない。心がむずむずと痒みを持っていると表現するのが相応しいと言える。たった一つの事柄が割合は事なろうとも常に心の中に存在していた。とても煩わしい。そう思ったところで忘れられるわけもなく、ただ苛立ちが募るだけであった。

 を悩ませているのは、不破雷蔵という一人のにんたまに告白されたという事実だ。今までそうしてきたようにその場で即座に断れば良かったものの、それをすることに躊躇ってしまった自分に驚く。付き合わない。その一言を口にすることは簡単にできたはずなのに、の口はその音を発したりはしなかった。何故かも自分自身で理解できず、曖昧な自らに腹を立てているのだ。始末に負えない。ぼんやりと桜の木の下で寝そべっていると、上からぽとりと緑色の物体が落ちてきた。鼻の上を何者かがもぞもぞ這いまわる奇妙な感覚がする。毛虫だ。は呆れながらそれを人差指で抓み、放り投げた。

「そこの。降りてこい」
「あらー、毛虫を素手で放り投げるとはねえ」
「虫なんぞを怖がる女がくのいちをやっているわけがないでしょうが。そう思ってる貴方に驚いてるよ」
「ちょっとはいるんだぜ、虫こわあいっていうくのたま」

 馬鹿にしているような一際高い声で彼は言う。「それはせいぜい低学年までの話であろう」とおどけてみせる彼に突っ込もうかと思ったけれどこれ以上のくだらない会話を続けるのは億劫だと判断したために出かけた言葉を呑み込んだ。にやにやと笑うその顔は姿、形こそ一緒だけれど本物を既に知ってしまっている自分にとってはやはり別物だった。なんの冗談か、くのたまであるの鼻先に毛虫を落としたのは今最も見たくない顔を真似ている鉢屋三郎だった。彼とは相性がいいのか―あくまで戦闘中の話である―男女混合訓練が行われた際によく組まされるために話をする程度の知り合いではある。くのいちとにんたまとでは忍として使われる目的が異なるので合同演習を開くことが少ない故に両手で数えるほどの回数しかないのだが他のにんたまに比べれば親しい方だ。けれど、こうして面と向かって彼がと会話をしに訪れたことなど一度としてない。嫌な予感しかしなかった。

 先を促さなくとも彼は率先して話題を切り出した。

「お前、雷蔵に惚れているのか」

 思いがけない言葉に、は目を白黒させた。

「……何だって?」
「だから、お前は雷蔵に惚れているのか、って」
「どういう根拠でその発言をしているのか聞きたいんだけど」
「今までに告白して呆気なく玉砕した男子がどれほどこの忍術学園にいると思ってんの。聞いたところによると、雷蔵を断らなかったばかりか、再度返事をすると躊躇ったそうじゃないか。そりゃあ誰だって思うよ、は雷蔵に少しばかりは気がある、脈ありなんだってね」

 確かにその理屈は自身ももしかしたらそうかもしれないと考えていたため反論することは憚られた。しかし、気になったのは彼のその解釈よりも別の事実に関してだ。

「ちょっと待って。不破が鉢屋に告白をした事実からその結果まで言ったとは考えられないから聞くのだけど、……あんた告白現場にいた?」
「ご名答。なら気付きかねないと思って冷や冷やしてたけど、雷蔵の告白にそれどころじゃなかったみたいでなにより。しかしなんで雷蔵が一番近しい友人であるこの私に恋愛相談しないと断言できるんだよ」
「鉢屋に言ったらそれこそ一時間後には全生徒に知れ渡るでしょうが」
「まさかあ、私が雷蔵を売るとでも?」
「売らないとは言い切れない」

 「信用ねぇの」と口元で軽く笑いながら、鉢屋はを一瞥した。にこりと弧のように細めていた目が開かれた時、ぴりっとした緊張感が辺りに走る。どうやら、今までの会話は前振りにすぎなかったらしい。ここからが本題のようだ。

「好きじゃないなら、いや仮に好きであったとしても、雷蔵のこと振ってやって」

 予想していたものとは大幅に異なっていた鉢屋の発言に喉を詰まらせた。てっきりは、「どうして雷蔵が駄目なんだ」「あいつは良い奴だろう」「なぜはっきりと返事をしない」などといった文句が彼の口から出てくるのだとばかり思っていた。鉢屋はその外見からも解る通り不破とは非常に仲が良い。なにより、常日頃変装している相手のことを嫌っているわけがないであろうと考えられる。こういう時に友達だとしたら後押しするのが理想の形ではなかろうか。虚をつかれた表情を浮かべたのを鉢屋に見咎められたのか、くつりと彼は喉を鳴らした。

「俺がお前のことを好いているからそのようなことを言う、なんてつまらない勘違いすんなよ」
「わかってる」

 鉢屋に好かれているなんて想像もしたくはない。しかし、何故彼がそのようなことをに告げるのだろうか。そうすべき理由があるというのだろうか。結論がそう簡単に浮かんでくるほどは彼らの事情について知らなかった。

「私が不破に相応しくないと言いたいのね」
「そうその通り。理解が早くて助かるね。聡明なさんなら理由もわかってくれるだろ」
「さあそこまでは。とりあえず、鉢屋が私のことをよく思ってないのだけは理解できた」
「ふうん。……でもまあ、近いうちに解ると思う」

 薄い唇に指を当てて微笑む姿は含みのある言い方に気がかりになるも、さも解って当然だと言わんばかりの言い方に自尊心が刺激され再度問いただすということはできなかった。

「実践してくれるだろ」
「言われなくても。もともと断るつもりだったから」

 素っ気なく、は返す。強がりな彼女の態度に対して、鉢屋はやれやれと首を横に振った。そして彼は用事がすんだらさっさと退散と言わんばかりにくるりと踵を返して、去っていく。ひらひらと振られた手のひらが妬ましく、思わずは声を掛けた。一つくらい意地悪したって構いやしないだろう、と。

「鉢屋、ちょっと一つ」
「ん、何。気が変わったとかいうなよ」
「言わないってば。……ねえ、今までもこうやって不破に近づく女の子に牽制してたりするわけ」

 鉢屋の歩みがぴたりと止んだ。横顔でもにやりと彼の口角が上がったのがわかる。きっとはしたない笑顔でも浮かべているのだろう。

「さあ、どうだと思う?」

 学園内の色めきごとは噂になりやすい。くだらないことであろうと情報収集の網目を持っているにはそれが伝わってしまう。なにより、恋にはどうしても敏感にならざるを得ない年頃だ。不破に今まで色目気だった噂がないのは、も知っていた。

「想像はどうぞ、ご自由に」

 憎たらしい笑い声をそこに残して、今度こそ鉢屋はそこから去っていった。一体何がしたいんだろうと彼の行動を不信に思ってはいたけれど、大して彼らの内情に詳しくないは彼の本意に気付かずにいた。否、気付けるわけがなかった。は鉢屋ではない、別の人間なのだ。彼の感情など完ぺきに理解できるはずがない。



    
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