不破と不可解な対面をしてからすでに一週間が立っていた。桜が散るのは早いもので、すっかりその花びらは散り落ち朝露に塗れて光る新緑に生え変わろうとしている。あれからは毎年のように図書室で行っていた自分だけの花見を今年は放棄することを決めた。変な勘ぐりかもしれないが、これ以上不破に自分の様子を観察されたくなかったのである。不破は図書委員会に所属しており―だからこそ、自分の行動に気がついたのかもしれないが―鉢合わせる可能性は高い。それに、不破がの行動に気がついていたのであれば他の図書委員にも気づかれている可能性があるので自然と足が重くなるのだ。

 このような理由では極力図書委員を避けるような生活を送っていたのだが、不意にくのいちの自室に文が投げ込まれた。このような方法でくのいちに連絡を取るのはにんたましかいない。くのたまとにんたまは仲が良くはない。主にくのたまが自らが制作した毒やなんやらの手頃な実験台として彼らを選んでいるからである。見方によっては気の毒な話かもしれないが、まさか一般人に試してやるわけにもいかずにんたまにとっては格好の鍛錬となるわけだ。実際に忍の世界で働くとなるとくのたま以上の力を持ったくの一と対峙する機会は五万とあるであろう。簡単にくのたまの忍術に引っかかり回避するような能力がない者はまだまだ修行不足というわけである。恨む前にまず己の能力をあげよ、とは考えていた。恐らく多くのにんたまはその正論を理解してはいるのであろうが、実際に被害を受けてみれば恨みの一つや二つは簡単にでてくるもので男女仲はそう簡単によくなりはしなかった。

 というわけで、文を投げ込まれるということは大抵日頃の仕返しか何かである可能性が高いのだ。は割合忍者としての実力がある方なのでこれまで標的にされたことはなかった。仕返ししたところで返り打ちになるのは目に見えているからだ。それ故にとうとう来たか、という気持ちで折り畳まれたそれを広げたのだが、差出人は予想外の人物だった。不破雷蔵。彼の名前をまさかこのようなところで見るはめになるとは考えもしなかった。「明日の午後、用具倉庫裏に来られたし」という主旨が綺麗な字で綴られており思わずぶるりと寒気がした。もしかして、鉢屋なのではないだろうか、と彼に遠回しに問いつめてみたけれどそのような様子は見られない。自分が彼の嘘に気がつかなかっただけかもしれないが、は鉢屋の字癖も知っており明らかに彼のそれとは異なったので差出人は正真正銘不破だという結論に出た。果たして彼はどのような用事でこのような呼び出しを行ったのだろうか。どれだけ考えてもあの図書室での一件しか思い浮かばなかった。

 しかし、それほどまでにがこっそり花見をしていたことが彼の好奇心を誘うものだったのだろうか。そこが納得できず、彼からの呼び出しは考えれば考えるほど気味の悪いものに思えてきた。よくよく過去の毒味などの実習相手を思い浮かべてもは不破をその対象としたことはなく―大抵はい組の秀才で豆腐好きの変わり者久々知兵助や彼を同じ顔を持っている変装好きの鉢屋三郎だった―不破に恨まれる要素は思い出す限りは見つからなかった。

 すっぽかしてしまうという選択がないわけではなかったが、これ以上図書室の出入りを気まずくさせたいわけではない。桜のためだけではなく資料検索の場所としても図書室は多いに有益な場である。意を決して、不破の待つ用具倉庫裏へと向かった。

 その日、自らの心境とは相反して空は快晴であった。時間丁度にはその場所へ行ったが、既に不破はそこに立っていた。彼はとても緊張しているようで、その不安定な空気がにも十分に伝わってきた。目が合うとぴくりと彼の肩は驚くほど震えた。なんだか自分がか弱い子兎を襲う獰猛な熊になってしまったような気がして、若干心が痛んだ。普通逆ではないだろうか。

「何の用事?」

 口開かない不破の代わりに、先手をきって問いかける。不破は口にすることを戸惑っているようだ。用心深くその様を眺めるが、違和感は感じなかった。彼が鉢屋ではないという疑いは最後まで完全に拭いきれなかったのだ。念のため自分が不信がっている隙を狙う輩がいやしないかと周辺にも気を配っているがそのような視線も感じないが、相手が鉢屋なら油断はできない。なんせ、彼は同学年の中でも抜きん出て実力がある。気を抜けば終わりだ。

「私、不破に対してはそれほど悪意あるいたずらをした覚えは無いのだけど、何か恨まれることをしてしまったのかな」
「僕が呼び出したのは決して決闘とか不満を述べるためとかそういう訳ではなくて」
「じゃあ、なんで」

 やはり、自分の思い違いではなかったようだ。では何故。そればかりが先走り堅い声色で問い返してしまう。しばらく顔を下げたり、戸惑ったような意味のない言葉を繰り返していたが、意を決したように顔を上げた。

「この間のことで気がついていたのかもしれないなあと、若干思ってたんだけど」

 照れたように不破の頬が染まった。ここに顔を赤らめる要素があっただろうか。瞬間的に眉間に皺を寄せたが次に出てきた言葉に驚いてそのような疑問もどこか遠くに飛んで行ってしまった。

「君のことが好きなんだ。よかったら、つき合ってほしいと思ってる」

 は対応に困った。五年生ともなれば、そろそろ性に目覚めてもおかしくない年頃ではあるし、がそれまで告白をされたことがないとなれば嘘になる。しかし悉くそれにはお断りを申してきた。付き合ったことが無いわけではない。ただ、忍になるにおいて恋愛は暗黙のうちに御法度とされているのだ。学園にも恋人を持つものは高学年になればなるほど多く存在するので、ほとんどそれは有って無いような制度と化しているのだが事実であった。隠し通すために尽力する結果、忍としての能力も身につくので取っ払ってしまうわけにもいかないのだろう。

 ぱちりと目を一度瞬く。不破と再び視線が交差したが、今度は逸らされなかった。それどころかじっと真っ直ぐに見つめられてこちらが背けてしまいそうになる。辺りが居心地の悪い沈黙に染まった。頭にはこれまで幾度か口にしてきたお断りの文句が浮かんできてはいたのだが、それを声にして出すことに戸惑いを覚えている自分がいる事に卑しくもは気がつく。躊躇いを覚えていることがなによりにとっては衝撃であった。これまでそれほど不破と接点があったわけではなく、外見だけは鉢屋の性でとても見慣れてはいたが内面はほとんど知らない。それなのに、何故躊躇う必要があるのだろうか。

 の目まぐるしく回転する思考を遮るように、不破が口を開いた。

「返事は今でなくてもいいから」

 戸惑っているの表情を見てか、彼はやんわりと優しげな声でそう口にした。

「……不破は私のどこを気に入ったの?」
「え」
「接点なんてほとんどないし。私と貴方」

 それまで幾度か告白されていたにも関わらず、問いかけたことの無い問いを敢えて不破に聞いてみる。不破はとたんにくぐもったような声をあげて、目線を彷徨わせた。

「図書室で、ずっと見ていたっていったよね。気がついたら好きになってたんだよ。視線が寄ってしまうのだから仕方がない。これを一目惚れって言うのか、よくわからないんだけど」

 随分恥ずかしい内容を口に出させていることを自覚しながらもしどろもどろになりながら必死に言葉を紡いでいる不破を見た。緊張のせいか薄らと額に汗がにじんでいる。同い年で背もより高いはずなのに何故だか可愛く思えてしまった。その姿にほだされてしまったのだろうか、結局、最後までこの話を根本から否定する言葉を紡ぐことができなかった。



    
110312