07


 年が明けた。長い間ベット生活を強いられていた跡部だったが、徐々に元の生活に戻るためのリハビリが始まった。身体を少しずつでも動かせるというのは―思い通りにいかず苛立つこともあったが―やはりストレス解消にもなるらしく今まで溜まっていた鬱憤を晴らすかの如く、懸命にリハビリに励んだ。元々、身体を鍛えることや動かすことをなんら苦とは考えない性格なのでむしろ進んでリハビリセンターに通う程だった。
 そんな中、跡部は子どもたちから珍しい誘いを受けた。
「とんど?」
 妙に意気揚々と病室に入ってきたので何かあるなとは感じていたが、聞き慣れない言葉だったため跡部は思わずそれを繰り返していた。ゆずと大貴は跡部の呟きに大きく頷いた。どうしてまたそんなものに誘われたのか、と疑問に感じたが二週間ほどの前のやりとりをはっと思いだした。初詣に一緒に行きたいと二人から催促されたが、跡部は人が多いため無理だと一蹴したのだ。それならば町内だけで催されるとんどという行事なら大丈夫だろうと考え、跡部を誘いに来たらしい。全く懲りない兄妹である。
 跡部はとんどという言葉を耳にしたことはあるが実際に体験したことはなかった。確か、間違いがなければ正月明けに行われる火祭りのことだと記憶している。その場面を教科書の一部で垣間見た程度なのでどうしてそれが行われるのかまでは知らないが恐らく昨年の厄をはらうためではないかと考えた。火で何かを燃やすということは浄化を意味する。跡部の疑問を目敏く大貴は感じたらしく、やっぱりと言わんばかりの呆れた表情をした。
「けーにいは知らないだろうなと思ってた。東京には行ったことがないが、とんど作る様な場所なんてなさそうだもんな」
「強ち外れてはいないが……が、どうしてそれに誘う?」
「とんど、綺麗なんだよ!あと、お餅とみかんとぜんざいも食べれるの」
 指折りにして、食べれる物を挙げていく。ゆずの回答は跡部が求めていたものになっていなかったが一生懸命に良さを伝えようとしているのは解ったので黙ってそれを聞いた。に視線を寄せれば、彼女の方はまるで「知らないんですか」と言わんばかりの表情をしていた。地方では恒例行事らしく、とんど焼きを知らない人間の方が珍しいようだ。初詣が終わればとんどが行われる。その流れは当り前。予備知識としてその単語が跡部の頭にインプットこそされていたが実際に体験したことがないと告げると、が簡潔にとんどがどういうものであるかを説明し始めた。
「とんどは子どもが主役になって行う祭りなんです。大人ももちろん一緒にいますけど、注連縄を集めたり書き初めを書いて燃やしたり、ほとんどが子どもの仕事で。それを跡部さんに見てもらいたいんだと思います。ね?」
「うん」
 の問いかけに二人は揃って首を縦に振った。期待の籠った瞳で見つめられるとどうにも弱い。あまり乗り気ではなかった跡部だが、最終的には「仕方ねえな」と溜息を零しながら頷いていた。飛び上がらんばかりに喜ぶゆずの姿を見れば、億劫さもしゅるしゅると収まっていくのだから不思議である。

 とんどは地域行事で近隣の住民が集まる機会の中の一つだが、その中でも群を抜いて賑やかになる催しごとだといえた。何分、子どもたちが主力になって行う行事なのでどうしても大人の付き添いが必要となり、多くの人数が集まるのである。年の厄を払うための行事と聞いたのでどれだけ神妙なものなのかと思っていたが、厳かな雰囲気ではなくどちらかといえば祭りのような印象を受けた。
 火の点火は子どもたちが勤める。さすがに小学校低学年のゆずにはその役は任せられなかったようだが、上の大貴は跡部の主治医でもある父親と二人で火の棒を持ち、点火を行っていた。周りの子どもたちは興奮した様子で「すごいすごい」と連呼する。大貴は緊張したような面持ちも見せず―恐らく、去年も務めたと言っていたのでその分心に余裕があったのだろう―淡々と作業をこなしていた。代わりにゆずは彼に対して羨望の眼差しを送っていた。「まだ早いよ」と苦笑いしながら頭を撫でるの姿が彼女の隣に見える。
 跡部はぱちぱちと燃え上がる火を少し離れた場所で車いすに座って眺めていた。これほど間近で燃え上がる炎を見上げる機会は滅多とない。木々が焦げて燃える独特の匂いを記憶として脳に焼きつけながら、跡部はじっとそれに目を向けた。やがて火が小さくなり始めると、餅を連ね串刺したものを傍らに刺し込んだり、アルミホイルに蜜柑や芋を包んだものを投げ入れていた。後でこの場にいる人達に振舞われるそうだ。ゆずはこれをとても美味しいと評価していたが跡部はそうは感じられなかった。見知らぬ人々に囲まれる中で静かにそれらを傍観していると、杖をついた老人が一人彼の元へ寄ってきた。
「こんばんは。隣、いいかね」
「はい。どうぞ」
 跡部の返答に、老人は顔をくしゃりと歪めた。隣にビニールシートを敷いて座り込む。用意周到だった。跡部は身体を動かせないので黙って一連の動作を見つめていた。どうして自分に話しかけるのだろうかと一瞬考えたが、なんてことはない、近隣ととても密着した地域関係を築いている地方では全員が顔見知りであるといっても過言ではない。その中に外部から来た人間が混じればすぐに解ってしまうのだ。関心を抱いたに違いない。
「お前さんが先々月からここに療養にきてるという方かな」
「そうです」
「怪我の具合はどうか。見たところ骨折のようじゃが」
「先週からリハビリに通い始めてます。あとは自分の頑張り次第ですよ」
「そうかそうか。それはよかった」
 跡部はそう端的に返答した。一見冷たくみえなくもない自分の態度に気を悪くすることも無く、かかか、としゃがれた声で老人は笑った。
「ここは何もないところじゃから、退屈だろう」
 なんの気になしに、老人は言う。身体が自由に動かせない跡部にとって、娯楽も整っていないここの生活は苦痛ではないだろうかという考えは当初自身が抱いていたものと全く一緒だった。しかし今となってはその回答も異なる。緩く口元を歪めて、跡部は首を振った。
「いや。周りにはいつも人がいましたし、都会では経験できないようなものも見ることができた。けして無駄な時間を過ごしたとは思っていませんよ」
 跡部の返答が意外だったのか、老人は浮かべていた笑みをしゅっと取り消して、目尻だけを下げた。
「私も、お前さんが来てくれたことには感謝しておるよ」
 少しの間跡部は沈黙した。彼女の言葉の真意を探ろうとしたからだ。見ず知らずの老人に感謝する謂れがあるだろうか、とそこまで考えたところで彼女はまたしゃがれた声で喉を震わせた。よく笑う婆さんだ、と跡部は内心思っていた。
「がこの村に戻ってきたのは、ほんに久し振りじゃからの」
「……どういう意味ですか」
 跡部の問いに答える前に、彼女はぼんやりととゆずが並んでいる方へと視線を寄せた。跡部もつられたように視線をそちらへと向ける。
「あの子が東京に出たのは、看護師になりたいという夢ももちろんあったじゃろうが、それ以上にこの村に居たくなかったからなんじゃよ」
 跡部はクリスマスの日に交わした会話を思い出した。あの時の、普段のとはかけ離れた雰囲気を纏ってぽつりと零した一言は跡部の記憶の中に印象深く残っていた。そして老人の言葉から直感的にこの村を出たいと彼女が願った理由がそこに結び付くと跡部は判断した。
「まあその事実はお前さんには関心もないことだとは思うが」
「関心がないわけではありません。しかし、特に聞きだす必要もないかと思ってます」
 それは跡部の正直な気持ちだった。老人はほとんど開いてない目を更に細めて跡部の方へ振り向いた。「そりゃあそうじゃな」と小さく呟いた。
「しかし、お前さんが切欠になったのは事実なんじゃよ」
 礼を言われるほど大層な事を跡部はしたわけではない。たまたま跡部が怪我をして、運ばれた病院にが勤めていて、療養先に選ばれた場所がの故郷でもある曾祖母の実家だったのだ。偶然が働いただけである。それでも老人は言わずに居られなかったようで、「自己満足だと笑ってくれてもいい」、とくつくつと喉を鳴らしていた。跡部は何も言わなかった。そのように否定的に捉えてはいなかったからだ。その時ようやく遠がこちらの様子に気が付いたのか、驚いたように駆けてきた。
「お祖母ちゃん!跡部さんと何してるの」
「いやあ、えらい綺麗な人がおったからついな。がお世話になっとるらしいから挨拶に」
 「変なこと話してないでしょうね」と軽く咎める様な彼女の良い様に、老人は「なんにも」と綺麗に全面に貼りついた笑顔を晒していた。その親しさから二人は実の祖母と孫という関係なのだという確信を得た。あのように大っぴらに「、」と告げているのだからそこに血縁関係が存在するというのは安易に理解できるところではあるが。困ったように眉をひそめるを一瞥して、跡部は口元を緩めた。ここは、帰り難そうな場所ではない。が帰ることを歓迎し、いつ帰ってくるのかと待ちわびている人は大勢いる。だとすれば、問題は彼女の心の内にあるのだろう。
「すいません、お祖母ちゃん、余計な事話してませんでした?」
「いや。そんなに懸念するほど面白い話があるんだったら聞きたかったくらいだ」
「別にそんな面白いことはないですよ」
「へえ」
 意地悪く顔を歪めれば、「そうです」と早口で呟いて会話を終わらせた。いつも悠々と跡部の睨みを交わす彼女にとっては珍しいといってもいいほどの行為だ。やはり、家族の前にでるとよそ行きの態度が多少は崩れるのだろう。
 理由を積極的に知りたいとはやはり思えない。けれど、彼女がなんの気なしに跡部の看護の仕事を受けたわけではないことを知り心情は複雑だった。けして跡部が彼女を無理やり連れて来たわけではないのだが、彼女は今納得してこの場にいるのだろうか。この村から逃れるためにやってきたその原因と真っ向から向き合えているのだろうか。

 index 
110511