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06
本来、跡部が暮らしていたはずの東京なら今頃きらきらと辺りを照らすイルミネーションや赤い服を着て髭を生やした人間がわんさか存在していたはずだ。今日はクリスマスだった。しかしながら今跡部の窓から外を覗いても全くといっていいほどそのようなクリスマス色は伺えなかった。それほどころかこちらは大雪で、光も満足に見えない。各家庭で庭にクリスマスツリーを飾るところもあるようだったが、跡部の目には届かなかった。申し分程度にがミニツリーを跡部の部屋にちょこんと飾っていたけれど、基本的に和風造りのこの屋敷にはそれがとても浮いて見える。クリスマスを本来の意味―イエス・キリストの誕生として捉え、祝っている日本人なんて限られているのだからそれでいいのかもしれないけれど。社会人として会社に勤めてからは―もちろん、恋人がその時にいればそちらを優先してけれど―基本的に仕事納めの12月は多忙で休みが取れずクリスマスを満足に過ごした記憶もないはずなのに、ぼうと何もせず考える時間が増えてしまったせいかどこかしんみりとしてしまった。
煩く辺りを騒がせる二人の子どもは終業式だといって早く終わった学校からそのまま跡部の家へやってきた。さすがに今日は家族水入らずで過ごすらしく、遊びに来れないから早めに来たそうだ。下の妹のゆずは未だにサンタクロースを信じており、何がもらえるだろうかと目を輝かせながら自らの欲しいものを指で数えながらあげていた。対する大貴はもうとっくにサンタクロースの正体に気が付いているのでゆずが楽しそうにサンタの名を口にするたびに複雑な表情を浮かべていた。いつゆずが気が付くだろうか、その時の反応はどうなるだろうか、これは自分が気が付かせるべきなのか。色々な気持ちが頭を交差しているに違いない。ただ漏れな彼の思考に跡部は軽く笑った。
「帰ったらお母さんがいっぱい御馳走作ってくれるんだって!唐揚げも作ってくれるって」
「ケーキも母さんが作るらしいんだけど……ぶっちゃけ母さん、お菓子作りの才能はあんまりないんだよな。俺としては既製品のがいいのに、気合入れて作ってんだよ」
「へえ」
ゆずはどうやら唐揚げが大の好物らしく、その表情はゆるゆると緩められているが、反対に大貴は少し迷惑そうな表情もしている。跡部は幾度か彼らの母親の手料理を口にしたことがあった。そもそも二人との出会いは彼らが南瓜の煮物をまで届けに来たからであって、それからも定期的に頂いている。もちろん跡部の晩にも出されるので食べているのだが、中々美味しかった記憶があった。菓子も普通のご飯もそれほど作業工程がことなるわけではなかろうにと少し不思議そうにした跡部だがゆずも苦く笑ったので相当なのだなということが解った。
「けーにいもうちでご飯が食べれたらいいのにね」
残念そうな表情をして、ゆずは跡部のベットへと凭れかかった。拗ねているようにも見える彼女の髪をやんわりと撫でる。
「まだ動くのに難儀するし、今夜は雪が酷いらしいからな。に車を出させるのも酷だろ」
「ん?って今晩もここで勤務なのか」
「……そうだが」
思わぬところに反応した大貴に視線を返す。本来ならば、実家も近くにあることだしクリスマスくらい顔を見せに帰ればいいのではないかと思ったのだが、彼女は頑として譲らなかった。大きな家に跡部を一人残して帰れないし、なにより今の跡部にはできない事が多すぎる。補助がなければトイレに行くこともできないのは事実だったので、跡部はそれ以上何もいわなかった。だが、大貴はそれをどう取ったのか―あくまで仕事だと解っているだろうけれど―じとりとした目で跡部を一瞥した。
「ふうん」
思わせぶりなその表情はなんなのだろうか。
「がそうするって言ったならいいけどさ。クリスマスにこの家に二人きりってことだろ。寂しくない?」
「誰が」
「が。けーにい、必要以上にと会話しないみたいだし。も仕事だからだけど一人で広い家の中にいること多いだろ」
「気を使ってやれと言いたいんだな?」
「うんそう」
隣にいるゆずもこくこくと頷く。確かに二人の言うことは正論だが、かといってあまり干渉もされたくないし、診察や身の回りの世話以外で彼女にここに居られても扱いに困るだけだ。別に避けているわけでもないので気にしたことはなかったのだが子どもの眼にはそのように映るようで二人とも割と真面目に詰め寄ってきた。言いたいことは解るのだが、どうしろというのか。恋人という関係であるわけでもないのだし、四六時中傍に居られてもストレスになるだけな気もする。
「ご飯を一緒に食べるだけでいいんだよ」
大貴の一言が跡部の頭の中をぐるぐると駆けまわっていた。
二人が帰った後、シーツの交換にやってきたにその話をすれば彼女はくしゃりと表情を崩した。肩が震えている。今にも吹きだしそうなのを堪えているようだった。
「二人とも可愛いんだから。あそこの家はとっても賑やかなんで、この家の奇妙な静さが気になるんでしょうね」
白いシーツをてきぱきと折りたたみながら、「まあ解らないことも無いですけれど」と零す。跡部にとってはこの別荘の大きさなど気にする程度のものではないので―むしろ、自らの実家の方が規模が大きい―対してそのようなことは感じなかった。逆に周りの騒音がほとんどないために音が気に触ることはなく快適であったと思っていたくらいだ。
「跡部さんにとっては御気の毒ですよね。怪我なんてしてなかったら、恋人とクリスマスを過ごせてたでしょうに」
「ほう……いると思うのか?二ヶ月の間一度も顔を出さない様な薄情な恋人が?」
「あら、失礼しました。さぞかしおモテになるのではないかと思っていたんですけど」
「それは事実だが、好きでも無い奴と付き合うほど安い男じゃない。たまたまいないだけだ。……それよりお前はクリスマスにこんなところで仕事して、相手を探そうなんて思ったことはないのか」
「クリスマスにはあんまりいい思い出が無いので」
笑みを貼りつけながらはそう返した。彼女が自らのことを積極的に語ることはなかった。聞くような間柄でもないのだ。せいぜい世間話になる程度の内容しか今まで口にしていなかった。もちろんそれは跡部も同じだ。深く掘り下げて聞くこともなかろうと、跡部は黙ったまま続きを促そうとはしなかった。話したいなら話せばいい。は窓に視線を向ける。外では雪が風に吹かれて叩きつける様な勢いで吹雪いている。外はまるで見えない。ホワイトクリスマスと言うには激しすぎる風景はまるでの複雑な心情を描いているかのようだった。
彼女が過去の思い出を拭いきれていないことは直ぐに解った。否、全てふっきってしまうことなど生きている限り人間には難しいだろう。忙しい毎日に没頭して忘れてしまうことはできる。けれど、ふととある時にぱっとその時の情景や感情が蘇ってしまう。クリスマスはそれを思い起こさせる嫌な存在でしかないのだろう。
「こっちで食べるか」
気が付けば跡部はそう口にしていた。の表情が「あれ」と物珍しさを訴えている。が、このまま一人で彼女に食事を取らすのはさすがに後味が悪い。
「いいんですか」
「後で子どもらに煩く言われるだろうからな」
「素直じゃないんですね。……冗談ですよ、そんなに睨まないでください」
彼女はいつも一言多かった。その上、跡部が厳しい視線を向けても委縮することはなく微笑み返すのだ。まるで、宥めるように、優しく。そうされると跡部はどうも居心地が悪くなってふいと視線をそらしてしまう。
「跡部さんは、随分と変わられましたね」
「あん?」
「こちらに来られた当初のことが夢見たいです。ゆずちゃんも大貴くんにも、思って以上に優しくしてくださるし……さっきのこともそうです。根はとても優しい」
「懐かれたら、ほっとけないだけだ」
跡部に厳しい視線を向けられて、そそくさと席を立つ。しかし、そのあと彼女は二人分の御膳を持ってこの部屋へと戻ってきた。食後にケーキという甘ったるいものはなかったし、食事も普段となんら変わらなかったけれど誰かと一緒に食べるということは跡部にとってもにとっても久しぶりだった。そのせいか、食べている間はとても奇妙な雰囲気が続いていた。だが、悪くない。そう感じていることが跡部にとっては意外だった。けれど、思い返してみても特別な事などなにも無いだろうと思っていたクリスマスだが、思いがけない一時を過ごすことになった。
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110407