03


 山奥だからか、12月の始めにもなるとしんしんと雪が降り積もり始める。そんな中でも元気よく走って1kmは離れているこの屋敷にやってくる子どもたちには感服せざるを得ない。あれから2人はどこを気に入ったのかはわからないがほとんど3日と空けず跡部のところへやってくるようになった。その理由の大半は旧知の仲であるらしい、がいるからに他ならなかったが、それでも毎度毎度病室へ足を運び、跡部に顔を見せる。丸みの帯びた頬を真っ赤に染めながらも嬉しそうになってくる彼らを見るたびにむず痒い気持ちが胸を支配していた。当初はしぶしぶというよりもむしろいやいや子供たちの相手をしていた跡部だが、案外彼らは子ども目線の興味深い話をするので会話をするのが退屈ではなかった。むしろいい暇つぶしだと思えるようになった。それに嫌だと感じたところで、純真無垢な態度で迫られるので「来るな寄るな」といえるわけが無かった。
 しかし、今日は普段と様子が違った。いつもなら兄弟仲良く競いながら部屋に入ってくるのだが―その度にに怒られている―今回はぶすうと顔を顰めたゆず1人だけだった。彼女が不機嫌な原因が隣にいない大貴にあるいうことは安易に理解できた。彼らはそれほど日ごろから仲良くしていたのだ。だが、一体どうすればいいのだろうか。跡部はこういった子どもの相手をすることに関する知識がほとんどなかった。頼みの綱のは夕食の買い物で留守にしている。仕方がないと零しながらも、ドアの傍でもじもじしているゆずに一声掛けた。いつまでもドアを開きっぱなしにされても寒いということも声をかけた理由の一つであったけれど。
「ゆず、中に入れ」
「……うん!」
 眉間に寄っていた皺がしゅるしゅるとなくなり、ぱああと輝くような笑顔に変わった。その豹変振りに軽く笑いながらも片手で小さい椅子を寄せてやる。彼女は右手にあるビニール袋をうんしょうんしょと引きずりながら中へ入ってきた。その袋を貰い中を覗き込んでみると真っ赤に熟した林檎がごろんと2つ転がっていた。小さい子どもにとってはたった2つの林檎でも十分な重さになるだろう。少し破けてしまっているビニール袋を見て、跡部は苦笑いをした。
「お母さんが持って行きなさいって言ってたから。お見舞いだよ!」
「そうか」
「うちのお爺ちゃんのだから美味しいよ」
「じゃあ、食ってくか?あいつが帰ってきたら剥いでくれんだろ」
「うん、食べる!」
 ぴし、とまるで授業中のように手を挙げるゆずに「素直だな」と零しながら頭を一撫でしてやった。自分が幼い頃はゆずとは比較にならないほど捻くれたガキだったように思う。それは子どもらしからぬ忙しさゆえ、もしくは周りに畏まった大人が多く居たからであろう。彼女の様に誰にでも人懐っこい性格ではなかったはずだ。もちろんその素直さが無かった代わりに、根性も負けん気は人一倍強く、けして過去の自分が嫌いだというわけではないのだが。そうやって比較をしている内に、このある意味で遠慮のない兄弟に可愛らしさというものを感じるようになった。お節介もたまにはいいだろう。そう考え、跡部は何気なく口を開いた。
「大貴となにかあったのか」
 問いかけると、それまでぱっと笑顔を浮かべていたゆずは不機嫌そうに眉を垂らしもごもごと口を動かした。言ってしまいたい気持ちはあるのだが言いにくい、という内容なのだろうか。理由を促す跡部にとうとう彼女はぽそりと言葉を紡ぎ始めた。
「今日は大ちゃん野球なんだよ。忙しいんだって。だからゆずとは遊んでくれないの」
「……野球か。そういやそんなことを言ってたな」
「ゆず、野球嫌い。大ちゃんをいつもとってく」
「他の友達は?」
 大貴が駄目なら他の友達と遊べばいいんじゃないのかと跡部はなにげなくそれを口にした。今度は跡部が、ぐ、と言葉を飲み込む番だった。ゆずの瞳からぽろぽろと涙が零れ落ち始めたのだ。今まで怪我をしても大貴と喧嘩をしても涙を堪えて泣かなかった彼女だったので余計に焦ってしまう。女に泣かれるという経験は少なくもないのだがあまりにも年下過ぎて、自分の言葉に失言がなかったかどうか振り返ることで精一杯だった。彼女はぐずぐずと鼻を鳴らしながらベットへのぼって抱きついてくる。小さい頭を撫でてやるとさらにぎゅっと抱きしめられた。そのまま彼女が泣き疲れて眠ってしまうまでひたすら跡部は慰めつづけた。

「少子化の影響でこの辺りには小さい女の子がいないんですよ」
 買い物を終えたにそのことを伺ってみると、彼女は苦笑を浮かべながらそういった。元々、彼女がここで暮らしていたときも農村に多く見られる少子高齢化の影響の一旦が表れていたらしいが、時代が進むにつれそれも顕著になったそうだ。中学生になり学校が合併するとクラスもまともに2クラス分はそろうらしいが、小学校の低学年であるゆずにとっては遠い先のことである。また子どもの人数が少ない上に、学校も遠いところにあるので山を2つ越えていかないと中学校なんてものは存在しないらしい。東京生まれで東京育ちの彼にはありえない状況だった。農村の過疎化は多く耳にしている問題ではあるが実際にその場に自分が居るとなるとちくりと胸が痛んだ。
「俺の学校は無駄に人が溢れかえっていたから、むしろ多すぎて嫌いだった。そんなに友人と遊んだ記憶もないしな」
「そうなんですか?先頭にたって遊びを実行しそうなタイプだと思ってましたけど」
「それは自我が完全に芽生えてからだ。幼い頃は習い事が多かったから遊ぶ暇なんてなかった」
「私の子どもの頃は遊んでばっかりでしたよ」
 「習い事とは具体的にどういったものなのですか」と関心をいっぱいに寄せて尋ねてきた。聴くところによると彼女にはあまり習い事といった経験がなく自由な時間をいっぱいに使って過ごしてきたらしい。中学に入り、部活を始めてようやくそれらしきことをできるようになったときは嬉しかったと語っている。しゅるしゅると林檎の皮を向き終えて、は跡部の隣でぐっすり眠っているゆずの肩をゆすり起こした。
「……んう?なに?」
「ウサギ林檎だよ。お使いできた偉い子だけ特別サービスね」
「うわ、かわいい!」
 きゃらきゃらとはしゃぐ女性陣を見ながら跡部は考えた。大貴が野球をするようになにか打ち込めるスポーツがゆずにできれば寂しさも解消できるのではないだろうか、と。そう考えて出てきたのは自身も馴染みが深いテニスだった。できるかできないかは別としてスポーツの楽しみを感じてくれれば幸いだな、と跡部は思った。そして数時間後、今やナースというよりもメイドに近しい仕事をしているが納屋へ行きゆずと二人でテニスラケットとボールが無いか探す姿が確認された。

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