さまざまな気持ちが交差するなか、蘇ってくる記憶。はうとうととするまどろみの中、昔のことを思い出していた。まだが若かった頃の話だ。ゆらりとゆれる大きな椅子に座りながら、彼の趣味である古めかしい暖炉の傍でマフラーを膝に置きくつろいでいた。どうやら春の陽だまりの中で眠気に誘われてしまったらしい。リアルな夢として過去の自分の姿を主観的に眺めていた。ぼんやりと窓の外を眺めていると、二階から彼が降りてきた。
「起きたのか。」
「……おはよう、景吾。今日はすごい夢を見たよ。過去の自分になって貴方に恋する夢みてた。」
「フン。夢じゃないだろ。今でも恋しているんだろう?」
そういって跡部はのしわくちゃな手のひらに愛おしそうに口づけた。いつしか――誰かが書いていた小説にあった場面そのものだ。自分の体は年を重ねるたびに老いていくけれど――愛しい彼の姿は出会った頃のまま変らず、相変わらず美しかった。けれど――まさか結末までもを一緒にしなければならないという約束事はないだろう。ゆっくりと老眼の入った瞳でその動作を見守りながら、はのほほんと呟いた。まるで、今日の晩御飯は何にしようかな、と言わんばかりに。
「ね、景吾。多分、もうそろそろだと思うの。約束が果たせる日。」
「……そう、か。」
「嬉しくないの?」
「嬉しいわけねぇだろ――約束が果たせるということは、お前が亡くなることなんだから。」
自分が望んだことではあるが――やはり、悲しいものは悲しい。穏やかな顔で微笑む彼女は、落ち着いていた。年を重ねるたびに、だんだんと落ち着いていったと思う。好奇心旺盛な性格は変わりようがなかったが、本当に老人らしく何かを悟ったような安心させる態度を近頃の彼女はとっている。
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「約束してくれ。死ぬときにはお前が先に俺の心臓にくいを突き刺して、殺すと。」
あの日、彼はにこういった。まるでB級映画で流れるような台詞だった。普通にこんなことを言われて、はい、と頷ける人は少ないだろう。でも、彼らは違った。それだけの過去を背負っている。目の前で――間接的にだが――亡くなってしまった知り合いを知っている。だからこそ、彼女はその言葉を辛辣に受け止めた。
それでもやはり感嘆に首を縦に振ることはできなかった。吸血鬼は心臓にくいを突き刺したら死んでしまう、とよく本や小説なんかで耳にする。それに、まさか冗談でそんなことを彼がいうはずもない。本心からなんだろう。口ごもってしまったに、言い聞かせるように跡部は言葉を続けた。
「俺はお前が死んだあと、自分で自分を始末するようなことは絶対しない。だから――俺はお前に殺されたい。」
「……俺さま跡部だものね。自分の体を傷つけるなんてさぞかし嫌でしょ。」
「そういうことだ。」
茶化すようにそういうけれど、本音は彼女が死ぬ姿を見たくないと心のどこかで思っていたからこういう結論にいたったのかもしれない。は何か思案するように考えていたが、「わかった。」と呟いた。変わりに、自分も1つ約束してくれ、と頼み込んだ。
「もし、私が死ぬときはどれだけしわくちゃなおばあちゃんになっていても、今見ている若い頃の姿に戻して。最後のお別れがおばあちゃんだなんて、嫌だもの。」
そうやってお互いに約束しあった。小指へのキスを象徴として、無残な約束を交わしたのだ。そうして、その約束が今、果たされようとしている――。
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ほっそりとした指に見る見るうちにぴちぴちとした肌が蘇った。曲がってしまった腰もすく、と真っ直ぐ伸ばすことができる。どくどくとなる心臓の音。手にもつのは白い杭と自身の大きな懺悔。果たしてそれは、これから彼に行う行為のことに対してか。それとも彼に恋してしまったことに対してか。ゆっくりと大きな跡部の体に手を回して、目線をそろえた。――自分ももうあとわずかしか生きられないのだろう。とろとろとした睡魔が自分を襲った。
「ね、景吾。今度は一緒に人間に生まれ変わろうね。そして、一緒に年をとって同じ時間を生きるの。」
「フン、俺がまたお前を愛せばの話だろ。」
けれど、全くもって彼もその意見に賛成だった。今度は2人で一緒に年をとって同じ価値観で世界を見渡したい。生まれた子供の記憶を操作することなく、いい父親として傍にずっといてやりたい。ゆっくりと、彼女の唇がおでこから、まぶた、頬、そして口元に落ちてくる。
「俺はお前を愛することができて、幸せだったぜ。」
「私も、そうだよ。貴方に会えてよかった。」
「またな。」とそういって笑った彼の笑顔が崩れるまであと3秒。――輪廻の果てに再び彼らが出会うまで、一時期の別れを告げた。
End.
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