それから何年もの時が過ぎた。忍足が学校にいたという記憶はみんなの間から綺麗さっぱりに消えていた。ダブルスのパートナーを組んでいた向日は別のパートナーがいて。全てが無になる瞬間はあっけなかったなあと思ってしまう。いや―そう思わざるおえなかった。けれど―全てが無になったわけではない。私の元に一通の国際便が届いた。忍足からだ。きっと、向こうについてから書いたに違いない。その中には1枚の謝罪の手紙とあの本が入っていた。
「何が参考にしろ、よ。バーカ!参考になんてならないよ。」
手にした瞬間はそう叫んでいた私。参考にしろと言われても――跡部はあれから全く姿を見せなかった。あの館も人手に渡ってしまったらしくて、今はもう新築のマンションができている。忍足はあれでも私たちのことをどうにかしてくっつけようとしていたらしい。手紙にはソレに対する思いがつらつらと書かれていた。私は今でもどちらが正しいかなんてわからない。忍足は彼女の手を取り、彼女を愛して亡くなった。跡部はそれと反対のことをした。でも、――悲しい気持ちはどちらも一緒なのではないかな、と思う。
ブックカバーにかけて放置してしまっていたその本だけれど、気が付いたら読破してしまっていた。きっと彼は話しの展開の仕方とか上手だったんだろう。泣けてしまったし、胸が締め付けられたように苦しかった。もしも、私が彼女の立場にあったとしたら彼女と同じことをしただろう。彼と一緒に歩いていく。それぐらいの覚悟はあった。しかしながらいくらそんな事を夢描いたといってそれが現実になるわけがない。なぜならば、そこに彼がいないからだ。
**
どうしているんだろう、と思わないことはない。私の中から消えることもない。他の人と付き合ったって(そりゃあ私ももう大学生になるんだから恋人の1人や2人はいた。)どこかに跡部の面影を探してしまう。そして、まだ忘れられてないんだと悟る。結局、すぐ終わってしまうのだ。新しい恋のスタートラインは見えてこない。吸血鬼の呪いに囚われているのは彼らなのか、それとも彼らに恋する女の子たちなのか。
でも、今日で私はこの街を去る。地方の大学へ進学することになるからだ。私の初恋は悲恋だったのか――それは定かではない。確かに叶わなかった恋だけれど、一度でも彼は私に「好きだ。」と告げてくれた。一瞬でも思いは通じ合えたのだ。一緒にいることはできなかったけれど、なにもずっと傍にいることが恋が実ったということではないと思う。想いが重なるかどうかだと思う。そう考えると――忍足たちの恋は私から見れば十分なハッピーエンドだ。例えいくら不老不死という超えようのない壁を抱えていたとしても、彼女が死ぬ間際まではずっと想い合えていた。そして死んでからもなお、忍足は彼女のことを愛し続けていた。――羨ましすぎる、結末。
「よもや自分がこんな乙女チックな考え方をするなんてね。」
ふ、とカツカツと音を立てながら歩いていた足を止めた。目の前には花屋さんがあった。時期としては早いがそこには既に綺麗な薔薇が飾られていた。赤、白、ピンク、黄色――色々な色があるけれど、私を引きつける色はただ1つ。血のように鮮明な印象を与える――真っ赤な薔薇。もう、この花とイコールで繋がれる人物は私の中では1人しかいない。――最後にもう一度。この街を去る前に、貴方に会いたかったなんていったら彼は鼻で笑うだろうか。
「泣きそうな顔してんな。」
声とともにパサリと振ってきたのは、大きな薔薇の花束。目の前にいっぱい広がる、見慣れた、そして同時に懐かしくもある色。まさかと思い振り返った先には、相変わらず、以前に会ったままの彼の姿があった。
「跡部…!」
どうしてここに、なんて続けられなかった。ふわりと香る薔薇の香りに心が麻痺してしまいそうになる。もしかしてこれは自分が見せている幻なのではないか、と思ってこすこすと目を擦るがいっこうに消えてくれない。目が痛むのではないかと思われるくらい一生懸命擦っていたら手を掴まれた。そしてそのまま赤くなった目元に小さくキスを落とされる。一瞬だけれど、冷たい彼の体温が蘇った。
「――まだ俺と付き合う気はあるか?」
「な、何言ってんの…。」
声が震えた。ずっと、私の脳内にこびりついて消えてくれなかった人だ。私が幾度、過去を清算したいと思ったのか知る由もない彼は突然現れて苦笑いをしながら、寂しそうな瞳を向けた。そう――私に、忘れろ、と告げたときと同じような悲壮で包まれた瞳だ。彼もきっと過去の出来事に囚われているのだろう。じとり、と心の奥が疼いた。彼は今何を考えているのだろうか。幾重にも年月を重ねてしまったし、私の心は彼から既にきっぱりと解き放たれてしまったのではないかと思っているのだろうか。残念だか、私はその答えには答えられない。何故ならば、私はもっと最上の条件を望むからだ。悲しさの影が宿るその頬に右手を添えて、私は泣きっ面だっただろうができるだけ勝気に微笑んで見せた。
「付き合う……なんて、そんな甘ったるい覚悟じゃないんだけど。どうせなら、死ぬまで一緒にいてくれませんか、ぐらい言ったらどうなの。」
「は、後悔しても知らないからな。」
軽く失笑して、彼は私を抱きしめた。私もそれを受け止める。とうとう、私は自ら進んで彼らの一族の中に潜む呪縛に入り込んでしまった。――けれど、これも幸せのひとつというもの。その時の私に後悔の2文字の言葉などかけらもなかったし――また、これからもそう感じることは二度とないだろう。
|
← |
○ |
→ |