忍足の口からするすると出てくるストーリー。舞台は16世紀後半のイギリスだった。
1人の少女とヴァンパイヤが出会って――恋に落ちる。どちらともなく惹かれていく2人は大した障害も向かえず、付き合い始めた。だが、そこからが本当の試練の幕開けだった。子供もできて幸せに暮らしていた2人だけれど、あるとき少女――いや、そのときの彼女はもう既に立派な淑女というべき年齢になっていた。
「貴方は出会った頃のままの姿ね。」
悲しそうに彼女は呟いた。すくすくと育っていくわが子、それに比例して年を重ねていく自分。みるみるうちに肌も衰えて出会った頃は花のように美しかったという姿も幾分か老いてしまっている。しかし、目の前で愛してくれている彼は変わることなく若い姿のまま、傍にいてくれて。そのことがどうしようもなく悲しかった。そこに貼られるのが1枚の種族という壁なのだけれど、それはあまりにも大きかった。
スルリとした肌に添えられた手は幾重にも皺がよっていた。――子供は既に成人し、孫もできた。それなりにこの時代では長生きしたほうだと思う。もう老眼からかよく見えない目で必死に姿を探して、目の前で微笑む彼に手を寄せた。
「もう、こんな姿になってしまったわ。」
貴方は美しいまま。貴方を残して1人だけ。時間という枠から逃れられず。それでも変わらず愛してくれる彼だけれど――、もうその先に何があるか。彼女は悟ってしまった。そうして彼もそれは同じことだろう。老い古びてしまった私の元へ、以前にも増してよりそってくれる。はたからみれば孫とお婆さんなのだろう。以前は恋人同士に見られていたはずなのに。
「――こっちへ来て。もっとよく姿を見せて。」
言われるままに、目じりに皺を寄せ微笑む彼女の元へ顔を近づけた。以前の面影もないほど変わってしまった彼女ではあるが、それでも彼は彼女を愛していた。それと同時に、自分の運命をのろった。もしも――彼女と同じように年を重ねて生きていくことができたなら。それは蟠りとなって自分の胸に溜まる。そして、ある時から若かった当時には見られなかった不安な気持ちが流れてきたのだ。
引き寄せられるままに繋いだ手をぎゅうと握り締めたまま、彼女は亡くなってしまった。自分の腕の中。最大の加護だと思っていた中で、安らかに。――そして、永遠に果てることのない命を持つ自分を残して。
「これは、悲恋なんやろか。」
忍足は感情のよくわからない顔でそう零した。頭の中ではその描写のままの姿が浮かんできているような、どこか遠い目をしている。そして――これが、跡部が言いたかったことなんだ。種族同士の超えられない壁とは何か。血や恐怖やそんなものではなくて――永遠に生きてしまう命。残されてしまうものが死者へ向けた愛しさ。
(そんなの――。)
「私は、もし女の人の立場だったら、一緒にいたいと思ったはず。ずっと好きな人と一緒にいたいと思うのは当たり前だもの。けれど――その吸血鬼は、幸せじゃなかったのかもしれないね。」
だって、女の人は彼を1人残して亡くなってしまうのだ。死者は感情を持たない。無くなってしまえばそこで、終わり。辛くはない。けれど――彼は生きるのだ。彼女への気持ちを背負ったまま、何年も。もし万が一、別に愛しい人ができたとしても、また限りがある。いつまでも終えることのない喪失感を味わなければならない。
そういうと、忍足は苦笑いをしてポンと頭に手を落いた。
「それは違うな。――少なくとも、彼女が生きている間は幸せな時間を過ごしたんや。」
血を食ってこの世を生きる吸血鬼の宿命だ、といってしまえばそれまでなのだが。あまりにも悲しすぎるのではないか、と思わずにいられなかった。そして――その宿命に入り込もうとしている自分がつい最近まで存在していたのだった。
(それにしても、こんなに悲しい笑みを見せるなんて。)
「もしかして、忍足はこれと同じような体験を、したの?」
「…問うまでもないな。その本の著者はソイツだぜ。」
「跡部!」
突如、後ろから聞こえてきた声に驚いて振りむく。と、跡部が神妙な顔をしていつの間にか佇んでいた。
「この本の吸血鬼はお前だろう。」
これで全てのつじつまが合う。手に持った淡い青のワインの瓶を傾けて、意味深な視線を忍足に投げかけた。
「それや。俺が欲しかったもの。」
「……くれてやるから、さっさとを返せ。」
「いわれなくとも。」
手錠をかけられたままひょいと跡部の元へ投げ出される。受け取ったワインを嬉しそうに顔を綻ばせながら、忍足は見つめた。突然の展開には理解できず、きょろきょろと跡部と忍足を交互に見返した。
「これ一体、どいうこと?あれは何なの?」
「……あれは吸血鬼の中で恐れられている、血だ。」
キュポン、とコルクを抜く音がする。高価そうなワイングラスに注がれるそれは、何処か違った。色が――真っ青なのである。瑠璃色のそれは血というよりも、どこか絵の具のようだった。
「これを飲んだら吸血鬼はその永遠の命を取り上げられてしまう。」
つまり――忍足は死のうとしているのだ。
驚いて視線を忍足に向けると、彼は微笑んでいた。どうやら、跡部の憶測は当たっているらしい。
「え、死ぬって、忍足。冗談よ…ね?」
「これが本気なんやな。ずっと捜し求めとったんよ。」
彼女がなくなってから、どれほど自分が吸血鬼に生まれたことを悔やんだことだろう。餓死しようと何日も室内に閉じこもるも気が付いたら、自分の体が勝手に血を求めて彷徨っていた。自分の中に通う血液にさだめられた運命。その時にある噂を聞いた。吸血鬼ハンターが吸血鬼を殺すことのできる血を手に入れたという。聖液からできたとされるそれは―血の匂いはするものの全く異なる外見をしていると。これしかないと、思った。
ようやく、長年の呪縛から開放される。
「吸血鬼は人間とは恋愛したらあかん、ゆーて小さい頃から聞いとったけど。まさか自分が引っかかるとは思いもせんかったわ。」
「…ッハ。ご愁傷さまだな。」
「笑うな、跡部。お前もやろ。」
そういって、チラリとへ視線を向けた。顔面をどんどんと青く染めている彼女にふっと微笑んで、「堪忍な。付き合ってくれてありがとう。」と告げた。まるで別れの言葉のように。
(――ちゃんを囮として使ったんは、確かめたかったからや。跡部が俺と同じかどうか。血相抱えて飛び出してくる辺り、当たってたみたいやけど。)
「俺はこれからイギリスへ発つ。死ぬんは彼女の遺体の傍がええからな。」
「忍足…!止めて!跡部、忍足を止めてよ!」
「止めたら俺も道連れにすんだろ。勝手にやらせとけ。――このまま生き続けてもつらいだけだろ。」
「跡部の言う通りや。勝手にさせてくれな、ちゃん。」
目じりに涙を浮かべる彼女の頭にポンと手を置いて、彼は微笑んだ。そうしての前を通り過ぎてその奥で彼女の体を支える跡部に何か耳打ちする。――途端に跡部の表情が強張った。そして、「余計なお世話だ。」と足蹴りをかました。
ふっと、視界が暗くなっていく。また、眠らされていく。――止めて!とは心の中で何度も叫んだが、暗転は進むばかりであった。
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