「やっぱテメェか、忍足。」
元素が動く気配がしたので振り返ってみれば、そこには不機嫌そうに眉を顰める跡部の姿があった。を誘拐まがいのことまでして連れ去って――3時間弱。早いもんやな、と感嘆の声を漏らしてしまいそうだった。彼女の血の匂いに気が付くかどうかなんて賭けも同然だったのだが、それを通り越してここまで早く動いてくるとは。案外簡単にことは運ぶかもしれない。
「何年ぶりやろか――最後にあったのはまだフランス革命の最中やったな。」
「…フン。久しぶりにしちゃあ、随分と歓迎してねぇみたいだが。」
「まさか、待ってたんや。」
そういって忍足はソファの上に寝転んでいるを見据えた。同時に跡部の視線も動く。1歩踏み出そうとすれば、忍足がすぐさまの首筋に異様なくらい伸びた爪をつきつけた。動くな、ということか。
「どういうつもりか説明してもらおうじゃねぇか、あぁ?」
「結構な想い入れようやな、跡部。」
「何が言いたい。」
「――昔のお前なら、人間一人殺すこと躊躇わんかったやろ。」
元来は吸血鬼は人を殺していた。だから、こうしてホラーの1種として残っている。とくに古代なんかでは妖怪などが信じられており、血の無くなった遺体が転がっていても不可解なことなど1つもなかった。だが、時代が変化するにつれ世界は変化していった。世間を騒がすことが目的ではないため、最近では記憶を無くしそのまま生かしておくことが吸血鬼の一般常識となっている。――だが、想い入れの無い人間まで救ってやろうというほど吸血鬼は善人ではない。
「お前も随分とふざけたなりしてんじゃねーか。…人間として暮らしてると聞いたぜ。」
「こっちにも都合っちゅーんがあってな。まあ、おかげでちゃんとも知り合えたんやけど。」
普通にクラスメイトとして接していた彼女が、自分が近くの吸血鬼話を持ちかけた数日後からどこか様子が変わってしまった。もしかして、と思い少しばかり彼女の行動に気を配っていたのだが、図書館で何をするかと思えば吸血鬼の欄でなにやら念入りに書籍を調べている。しかしながら、首筋にも蚊に噛まれたような跡も見つからない。まさか――本当にあの屋敷に吸血鬼が住んでいるなんて思いもよらなかったのだが。そして、日ごろの様子を観察していくことでなんとなくわかってしまった。彼女の身に何が起きているか。もちろん、自分の支配下のコウモリを彼女につけていたということもあるが。
「をどうするつもりだ。」
「跡部が素直に持ってきてくれたら、何もせぇへんよ。」
「何の話だ?」
「――手に入れたことは、噂で聞いた。」
忍足の真意がわからない。跡部が思い浮かべるにそれは決して、自分たちの得にはならないものだ。あれは日本に訪れる前に1人の吸血鬼ハンターから奪い取ったものである。ハンターの手にあるよりかは自分の手で守り管理していたほうがどれだけ自分に無害だということは承知済みであったのだから。けれど――まさか、それを求める吸血鬼がいるなんて思いもよらなかったけれど。
「理由をといても良いのか。」
「持ってきたら、教えてやるわ。―もし持ってこなかったら、ちゃんはここで死ぬ。」
「―脅さなくとも、渡してやる。あんなもの。」
簡単に執り行われていく取引。わざわざを使うまでもなかっただろう。なのにどうして忍足はこんな回りくどいことをする。跡部が隠してしまうとでも思ったのだろうか。むしろ消滅することを願っているというのに…。
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跡部がそれを取ってきている間、ゆっくりとは目を覚ました。1度起きたときは違う体制でいる自分に少なからず驚く。手に手錠が施されている。――いよいよ、人質らしくなってきたというところか。身柄を拘束するということは、何かの取引に違いない。跡部を貶めてやろうという個人に対する因縁かもしくは物の取引。人間で言うとそれは大抵の場合は金なのだろうけれど、よもやヴァンパイヤがそんなものに執着するとは思えない。―もしかして、血とか……?まるで刑事物語のようにするすると進んでいく憶測に我ながらあっぱれと称してやりたい。大体はでたらめだけれど。カチャカチャと揺れるその音に気づいたのか、忍足がこちらへ近づいてきた。
「跡部、来たで。」
「そうなんだ…。」
「あれ、あんまり嬉しくなさそうやな。」
「…だって、あんまり会いたくないから。」
「ふーん。」と、探るような目で見てくるので迷わず顔を背けた。人に気持ちを悟られるのは好きではない。その動きの拍子にずれてしまった毛布を忍足はゆっくりと掛けなおしながら、呟いた。
「なー、俺がさっきまで読んでた本、知ってる?」
「…ここからじゃ見えないんだから知るわけないでしょ。」
「知りたい?」
クラスでもラブロマンス好きということで名の通っていた忍足だ。きっとその内容は恋愛ロマンス系なのだろう。確か映画をよく見るといっていたがそれが文献でも変わらないらしい。話したい、といわんばかりの瞳に根負けしてその気もないのにこくりと頷けば思わぬ言葉が返ってきた。
「吸血鬼と人間の恋物語なんや。興味深いやろ?」
どこまでこの男は知っているのだろうか。ポツン、と放り投げられたその本の表紙は前面、赤い色に染まっていた。
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