vampire Vol.08



 黙ったまま、ぴくりとも動こうとしない跡部にとうとう私は痺れを切らしたように、「ねえ。」と声を掛けた。そこではっとなった跡部は顔を険しくする。とても、告白した後とは思えない反応だ。私は不安になってシャツの裾をぐっと握り締めた。なんで、そんな悲しそうな顔をするのだろう。先ほどのことで晴れて気持ちが重なったのではないか。しかし、彼はとても嬉しそうな顔をしているとはいえない。――見たことも無いほどつらそうだった。

、お前もう俺の前に姿を見せるな。俺のことは忘れろ。」
「…何言ってんの?」
「忘れろ、と言っている。素直に従え。」
「い、嫌だよ…!どうして?私、跡部のことが好きなの。」

 同じ気持ちなんでしょ、と続けることが出来なかった。

「お前は俺がなんだか知っているのか。俺はヴァンパイヤで、お前は人間だ。そんな俺たちに恋が許されると思うのか。」
「……関係ないよ!だって、跡部は跡部だもの。」
「それは…お前にヴァンパイヤらしさを見せていないからだ。お前の前では一度も血液を吸わなかった、そうだろ?それに思っている以上にこれは深刻な事だ。関係ないとは言わせねぇ。」
「いやだ!」

 跡部は反抗する私に苛立ちを感じたのかチっと舌打ちをして、視線で脅す。あまりにも冷ややかな視線で私はぞくりと背中が一瞬で冷えた。がくり、と手が震える。まるで殺されてしまうかのようなそんな錯覚を感じた。つつ、と頬に滴る汗を視線に入れて、少しだけ悲しそうに跡部は笑った。

「お前は俺を知らなさ過ぎる。」
「……!」
「…俺に関する記憶は消してやるから、心配するな。」

 なんて――悲しそうな顔をして微笑むのだろう。そんな顔をしないで。もっと笑って。心からそう叫びたかったが声にならない。代わりに私は跡部の覆いかぶさった手を払いのけた。全部話してくれれば良いのに。そうやって私が入り込もうとした隙間を閉ざしたのは、他でもない跡部だ。あれだけ手招きをして誘っていたというのに。その矛盾している態度に対してフツフツと今度は怒りが沸いてきた。まるで自分の気持ちが無下にされたような気がした。

「じゃあ、何で私が貴方に好きだと伝えたと思うの?貴方を繋ぎとめておきたかったからだよ!失いたくなかったのの!本当なら、こんな気持ち無視してしまおうかと思ってた。でもできなかったんだよ。……いまさら、何もなかったようになんて、なりたくない…よ。」
「……。」

 感情がまるで爆発してしまったかのようだった。続けざまに口から言葉が漏れて止めようが無い。つい最近まで跡部のことを嫌いだと怖いと思っていたのに、この変わりようは何なのだろうか。跡部も呆気として私を見つめている。顔から火が出そうだった――けれど、伝えなければ、と思った。ましてや、記憶なんて消されてしまえば私はきっと後悔しただろう。思い出せなかったとしても、心のどこかに後悔は残ったはずだ。今でさえ、こんなにも苦しいのだから。

 そっと、初めて自分から跡部の手に触れた。冷たい無機質なその手に感情の高ぶりを抑えつけるようにぐ、と頬を摺り寄せる。

「ねぇ、跡部。確かに私は跡部のこと何も知らないよ。ヴァンパイヤがどんなものか、全くわからない。…でも、毎日薔薇の花をくれたこと嬉しかったし、それに思いのほか優しかったんだもの。好きになるには、十分なの。」
「ッハ、花をもらったくらいで喜ぶなんざガキの思考回路だ。」
「いっとくけど、私、吹奏楽部に入っていたから花束なんて珍しくないんだよ。毎日欠かさずくれたこと、がとても嬉しかったの。それに物がいいわけじゃない。大切なのはそこに入ってる気持ちでしょう?」

 跡部は静かに目を閉じた。何かを考えているような様子だ。

「ホントの吸血鬼の姿を、見せてやろうか。」

 瞳を開けた跡部の表情には暖かさなどかけらも無く、無機質な冷たい感情しか伺えなかった。


**


 跡部はゆっくりと扉を開けて溜めてあったビンを取り出す。ちゃぽん、と揺れるその中には液体状のものが入っているらしい。静かになみなみとしたものがぶつかり合って独特な音を奏でる。は静かにそれを見つめた。きゅぽん、と閉じられていたコルクを開けてこくりと跡部はそれを飲み込んだ。口元につけるまで上に上げたので月明かりによって照らされる、真っ赤な色素。見間違うはずがない、赤黒いその色にぞわぞわと背中に寒気が漂う感じがした。

(鉄くさいこの匂いは、間違いなく血液、ね。)

 そこでようやく本当に跡部が吸血鬼であることが証明された。何の苦もなくむしろ美味しそうに目を細めながらそれを飲み込む彼に改めて恐怖と酷似てしている感情を抱いた。震え始めた腕や脚を目敏く跡部は見つめる。視線がそこにいっているのがわかったので、は「平気よ。」と言わんばかりに必死に手足に力を入れた。

 くい、と手を引かれる。そして顔をそのビンに近づけられた。ツン、と鼻につく鉄の匂いに顔をゆがめるが耐え切れないわけではない。月に一度やってくる生理によって多少のことなら慣れているのだ。

(女性は男性よりも血に強いって言うし、これくらいの匂いなら2日目とあまり変わらないもの。)

 あくまでそう心の中で呟いたが内心はいち早くそこから顔を離してしまいたかった。いくら慣れているからといって、あまり嗅いでいたい匂いではない。そっと跡部の手が頭から離れたことにほっとして小さく息を吐いた。

 べちゃり――と、何か湿った音が近くに響いた。濡れた感触が神経を通して脳に伝わる。ふと下を見ればビンがさかさまになっての手のひら、足の太ももにべっとりと血液がかかっていた。ぬるぬるするそれはゆっくりと染み渡り、自身をぬらす。先ほどよりも強い鮮明な赤の色、鉄の匂いにくらくらした。不意に涙がこぼれた。

「恐ろしいだろう?人間は赤色に危険を感ずるというのは、赤が血液の色だからだ。自らの体を守るために自然とそうなっている。俺とは種族が違うということが、よくわかっただろ。」
「っ………!」
「血に飢えた俺がお前に噛み付いてしまう前に、さっさと帰るんだな。」

 はゆっくりと立ち上がって、逃げるように階段を駆け下りた。


| | | |