vampire Vol.07



 とてとて、と先ほどから私が歩くたびに足音が付いてくる。何の音だろう、そう思って振り返ればいつの間にかそこには黒猫が足を一生懸命使いながら歩いていた。ほっ、としてその猫に微笑みかける。私が足を止めると、その子もピタリ、と足を止めた。可愛らしい子、だ。とても透き通った青い目をしている。近寄ろうとしても逃げることなく私を見上げるばかりだった。

(人に慣れてる……ということは飼い猫かな。)

「可愛い子。どこの家からきたの?」

 ちょこんとしゃがみ込み、顎の下辺りを撫でてやるとごろごろと喉を鳴らして喜んだ。目を気持ちよさそうに細めてまるで笑っているかのよう。勉強の疲れもふっとびしばらく撫でてやった。野良でないことは確かだ。毛並みもさらさらと念入りに手入れされており蚤なんか1匹もいなさそう。

「こんな時間だし、早く帰らないとおうちの人が心配するよ。」

 元来動物好きである私はこのままこの猫と戯れたい気持ちでいっぱいだったが――もし、今が昼間であったならこの子を抱き上げて飽きるまで構っていたに違いない――現時刻は9時を回っていてこれ以上遅くなってしまうとうちの両親も心配してしまうだろう。名残を惜しむようにひと撫でしてやると、ピン、と長い尻尾をはってタン、と前へ踏み出た。そして意味有りげな視線を私に向ける。

「え、もしかして着いて来い、とか。」
「にゃあう。」

 そんな可愛い声で返事されても。家とは全くの反対方向であったし、かといって無視してしまえばまた私の後ろをとことこと着いてきて離れそうに無い。変な猫だな、とため息を吐くと不機嫌な顔をして威嚇する。――まるで、人間のような猫だ。そういえば、昔、なにかのテレビで猫についていく少女を描いた話があったな、と思い返す。懇願するようにじっと見上げる猫を軽く見下ろして、仕方なく跡を着いていった。


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 しかし、辿り着いた先にあったのは古めかしい館。私はびくり、と一瞬足を止める。あの夜のような不気味さこそないものの――あの夜は、酷い雨で雷すら鳴っていたから――十分に人をそこから遠ざける空気を醸しだしている。ぶるり、と自然と体が震えた。大丈夫か、と言わんばかりに猫が鼻の頭を押し付けた。

「……ゴメンね、やっぱり私帰るよ。」

 引き止めるように黒猫が足にまとわりつくが、今度ばかりはそれも押し切った。けれども、一歩足を踏み出したところで力強い力で腕を掴まれる。振り向きざまに香った薔薇の香りにそれが彼の――跡部の匂いであることを理解した。いつしかと同じように口元だけに笑みを浮かべて、笑っている。

「帰えさねぇぜ?」
「なっ……放して!」
「ハッ、誰がそんなことするか。」

 抵抗しようともがくもやはり女子高校生との体力差はありすぎる。そのまま有無を言わせず、ずるずると屋敷の中に連れ込まれた。以前と変わらずくもの巣が広がった埃くささに顔を顰める。階段を上がったところで見覚えのある部屋にポン、と投げ込まれた。――やってた部屋だ。あの、女の人と。

「いたっ…!」

 無造作に投げられたので尻餅をついてしまった。――カチャリ、と金属が触れ合う音が響いた。途端、あの時の悪夢が私の頭を掛けめぐる。顔面を蒼白にした私を跡部は冷ややかな目で見下ろした。そこに感情というものは伺えない。

(このまま流されては駄目だ!)

「いまさらどの面下げて私の前に現れんのよ!」

 気丈にも私は言い返す。今度こそは、自力で逃げ帰ってやる。興奮で顔にどんどん赤みが差してくるが、次の跡部のとった行動に私は唖然、どころか思考回路が停止してしまった。

「…悪かった。」
「……え?」
「この間のことだ。」

 まさか、跡部が自分の口から自分の非を謝罪するとは思ってもみなかった。

(俺様な性格だから――絶対そんなこと口にするような奴じゃないと思ってたのに。)

 驚きから何も口にできなかった。しばらくぽかんとしていると、不意に跡部の声が近づいてきた。そのまま地べたに座り込んでいる私に目線を合わせるようしゃがみ込む。まっすぐなブルーの瞳が私を見据えた。

「あの時、俺は正直にお前を抱きたいと思った。何故だかわかるか、?」
「……欲求不満?」
「ばかやろ。違うに決まってんだろ。」

 それに、ただの欲求不満ならもっといい女を抱いている、と続けざまにそうこぼした。それもそうか、とどこか納得できている自分にやや呆れながらもなんだか雰囲気の違う跡部に戸惑いを覚える。

「お前が好きだからだ。それ以上もそれ以下もない。」
「――は?」

 今度こそ、目が点になってしまった。真剣に見つめてくる跡部に顔を反らそうにもできなかった。なんと答えればいいのか浪々と視線を泳がせているとがし、と肩を掴まれた。近づいてくる顔にキスされる…!とぎゅ、と目を瞑ったが、唇はよそへ彷徨い、聞こえたのは焦らすような魅惑的な声だった。

「それだけだ。返事は必要ない。さっさと帰れ。」
「え、ちょ……待って!」

 くるりと踵を返し部屋の鍵を開けた跡部は先ほどの甘い声はどこ行ったのかといわんばかりの冷静な声を取り戻していた。一人混乱するのは私だけ、で。悔しさが胸によぎる。

「勝手に言うだけ言ってそれなの?少しは私の気持ちも考えてよ!――いきなり、襲うし、キスするし、今度は謝るし、告白する、し……!アンタ一体なんなの!」
「……不満があるなら言ってみろ。今なら、直してやる。」
「そういうことじゃない!」

 まるで乙女心がわかっていない跡部に、一喝した。自分でもこれだけの大声が出せるんだ、と自分でも驚く。

「私だって、好き、なんだよ?」

 その瞬間、今度は跡部が大きく目を見開いた。普段の余裕のある笑みがはじめて崩れた瞬間だったが、それすら気づくことないほど私は一心に跡部の目を見つめ返した。


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