vampire Vol.06



 窓際に置かれた二輪の薔薇の花を手に取る。あの日から1ヶ月、跡部とは一度もきちんと顔を合わせていない。謝罪だろうと思っていた薔薇の花はもう習慣になりつつある――ガラスの花瓶に静かに収まる数本の赤を見つめてため息をついた。会いたいわけではない、でも――気になってしまう。


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 吸血鬼の辞書――、と。財力のせいか無駄に大きい図書館の隅にその本は存在した。昼休憩を使い1週間調べた結果、一般におかれているものとは別の狭い誰も近寄らないようなコーナーに置かれている古い本。著者はなんといっただろうか、字が汚くて読めないが頭文字はOだ。は静かにそれを手に取る。――と、不意に隙間が空いたスペースの向こう側からブルーの光が怪しく光った気がした。ぞくり、と肩を振るわせる。それと同時にポン、とつめたい手が肩に触れた。

「うわっ!!」
「……あ、堪忍。驚かしてしもうた?」
「忍足、か。なんだ……。」

(――もしかしたら、あの人かと思った。)

 出かけそうになった言葉を慌てて飲み込む。今まで一度でも昼間に姿を見せたことが無いので、ありえないことはわかっていたがこんな状況なので思わずそう思ってしまった。忍足は苦笑いしながら、かつ不思議そうに首を傾げる。

ちゃん。ここでなにしょーるん?」
「ちょっと調べもの。気になることがあって。」
「吸血鬼、関連で?」

 手元の本のタイトルをどうやら彼のほうに向けていたらしくひょいと指差された。イエス、と肯定の返答をすると「ふーん。」曖昧な返事をされ、ポン、と軽く肩に手を置かれた。

「意外とちゃんって怖がりやったんやな。どや、何なら一緒に帰ってやっても。」
「塾があるから結構です。」
「…そんなキッパリ言わんでもええやん。」

 さらり、と乱れた髪の毛を直しながら少し拗ねたような表情を見せる。ポーカフェイスで常に苦笑か、もしくは穏やかな笑みを浮かべている忍足のこういう顔を見るのは珍しい。何分、中学から同じクラスだっただけは有り、彼のことはよく知っているつもりではあるが、こうやって軽口を叩くのは何時もの事でそれでも表情だけはやはりどこか違っていた。そういえば、吸血鬼がいるという話を直接耳にしたのは忍足からではなかったか。は今ようやくそのことに気が付き、何か知っているかもしれないと口を開いた。

「いんや、俺も近所のにーちゃんに聞いただけ。うちからあの屋敷まで遠いんで、実際そこに何があるかはわからんのや。――もしかして、ちゃん家、あそこの近くとか?」
「そーなの。塾があるから夜帰るの遅くて。ふと、あの話を思い出すのよ。まあ信憑性が無いただの噂ならそれはそれでいいんだけど。」
「それならやっぱり俺が送って……。」
「だから結構です。」

 忍足は笑うばかりでそれ以外のことを知っているようでもなさそうだった。


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 結局、借りて返ってしまった吸血鬼の本。1P目を開くと、吸血鬼の容貌などの具体的なものが載っており次には特徴らしきものがずらりと並んでいた。不死、怪力、太陽に弱い、ニンニクや十字架が苦手――一般的知られているものが大抵である。しかしながらよく考えると、十字架などといったものはこの部屋にも存在するが跡部がそれになにかしら反応した様子は無かった。時代を生きながら彼らの遺伝子も徐々に進化している、ということか。ふと途中である文章が目にとまった。


・長年の時を不老不死という名目で過ごす彼らには性欲というものが元来弱い。不老不死という名目上、次々と子供ができてしまってはこの世界が全て彼らで埋まってしまうからだ。それに子孫を作る場合の生殖方法はなにも性行為に限るわけではない。相手の首筋に血液を送り込んでしまえば人間も吸血鬼になりうるのだ。(吸血鬼にするかどうかは選択出る。)それ故に、人間の三大欲という睡眠・食・性の中でもっとも弱いのが性である。


 ある日の出来事が、さっとよみがえる。――どういうことなのだろう。初めて出会ったときだって、この間だってこの話に沿っていけば彼はそれに反している。これも遺伝子の変化か。それともこの項目自体がまったくの嘘だということだろうか。

(なんで私はこんなにも跡部のことが気になるんだろう。)

 このまま来なくなってしまえばそれこそ万々歳だろう。厄介なことに巻き込まれてしまった、と頭を抱えていた数日前の自分はどこへ消えたのか。窓をコツン、とつつかれるたびにため息を吐きながらもしぶしぶ開けるしかできなかったあの時間。血を吸われると恐怖に怯えることも無い。――それに、襲われてしまう心配も。

(もう来ないんなら来ないでいいじゃない、忘れてしまえばいいんだ。)

 パタン――と、その古めかしい本を閉じる。これは、明日返しに行こう。危うく自分とはかかわりの無い未知の世界に入り込みそうになっていた。

「よし、宿題しよっかな!」

 ちらりと机の上に綺麗に咲き誇る赤い薔薇を見つめた。忘れる、忘れよう。ぐ、と伸びをして数学のテキストを机の上に無造作に置いた。


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