vampire Vol.03



 ――夢だったらどんなに良かったか。あの時、「夢だったのか?」と呟くことが出来た時間に戻りたいと今更ながら思う。


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 8時ジャストの時間帯。コツコツ、と窓を石か何かで軽く叩く音がする。そうやって何か合図しなくとも彼なら勝手に入ってくるのだろうけど、自身がそれを拒否したのでこれは絶対事項にしていた。カラカラと窓を開けると、ひょいと入ってくる黒い影。――ストン、とお気に入りのベットに優雅に腰掛けたのは、ヴァンパイヤの跡部景吾、だ。

 あの日から、幾度こうやって押しかけられただろうか。どうやら彼はのことが気に入ってしまっているらしい。あくまで玩具対象としただけれど。こうやって毎度決まった時間に訪れては、去っていく。はじめは身の危険を感じていたのだが、下には相変わらず両親がいるわけだし、大声で叫べば駆けつけてくれる薄い造りだ。

 それに、別にやってきたからといって特に跡部に構うわけではない。彼は勝手にの私物の本を手にとっては読み漁るという行為を大抵行っている。片手にブラックコーヒーを持って。それなら彼女でなくとも出来るのではないか、と問いかけると、何も言葉を返さなくなってしまった。だから、理由はよくわからないが兎に角気に入られているのだけは確かだ。


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 今日もまたいつものようにコツコツと窓を軽く叩かれた。いい加減慣れっこになって既にコーヒーも用意済みだ。ストンと降り立った跡部はいつ見ても代わり映えしない黒いマントにタキシードを着て(見た目から既にヴァンパイヤだ。)にやりと口の端を上げた。

「よぉ。」
「はいコーヒー。」
「ああ、ありがとう。」

 意外とお礼が言える奴らしい。育ちはとても良いのか、コーヒーを飲むときも音を立てずとても美しい飲み方をする。我が家の父の趣味ともいえる各国からとってきた原書も難なく読んでしまうくらいなのだから、結構なお坊ちゃまだったのだろう。(と、推測するが本人に聞いてみたら「500年弱も生きてたらある程度言語は覚える。」と返ってきた。)今日もまたフランス語の原書を取って、するりとベットに腰掛けた。

 はその間、ベットが空いていないので腰掛けることもできずまじめに机に座って勉強に励んでいる。これもいつもの光景……といえるほどは勉強熱心ではない。たまたま、学校に提出するはずの課題がたまっているだけだった。

 うーん、とシャーペンをくるくる回しながら目の前の問題と向き合う。教科が数学。高2の数学というのは、ここから理解できる者の人数が愕然と減ってくる境目である。もちろん、は後者の方で授業にもさっぱりついていけなかった。基本的に文系であるにとっては直のこと、数学なんて道の世界だった。答えを写してしまえば簡単なそれも、回答はいまだ配られていないという新手の生徒虐めを先生方は始めたらしかった。涙ながらに答えを要求したが、まったくもって交渉は成立せず、今に至る。

 えー、あー、うー、とまるで病人のような呻き声を上げながら頭を抱えていると、みかねたようにパタンと本を閉じる音がした。

「うぜぇ声あげるな。」
「だって、わからないものはわからないんだもの。」
「……ちょっと見せてみろ。」
 
 ひょい、と数学の問題集を奪われる。ちょっと、と文句を言おうと思ったけれど、このまま一人で悶々と考えていても解けるわけがない。少しでも解ける可能性が――少なくとも自分よりはある。――彼に任せることにした。

 とたん、さらさらと動くシャープペン。カツカツと白いページに黒い文字が書かれていくのが不思議でしょうがない。そうして合計5分でこれまでかれこれずっと、ずっと、ずっと…!悩み続けていた問題が回答された。

「……開いた口が塞がらないというのは、こういう時のことを言うのですね。」
「何満足げにほざいてるんだ。これくらい常識だろ?」

 トン、と意地の悪い顔で数学の問題を指す跡部に軽く殺意が沸いたのはいうまでもない。これが常識の範囲ないならば、大学の入試試験なんか必要ないし、算数だって数学Iだっていらないよ!と心の中で突っ込みを入れる。

「というか、跡部が何気に頭がいいことにとっても吃驚なのは、私だけ…?」
「どっからどう見ても俺は天才だろうが。」
「いや……。」

(だって、俺に魅されたか、なんて真顔で聞いてくるから頭ヤバイんじゃないかと本気で心配してたのに…!)

「……テメ、今、失礼なこと考えただろ?」
「め、滅相もございません!」

 ぎろ、と睨まれて勢いよくぶるぶると顔を振る。こういう時、ヴァンパイヤは野生の勘が働くのかかなり鋭くなる。元々、跡部が隙のない性格をしているからだともいえるが。

「この回答全部消すぞ。」
「あ!駄目……!……むしろ、この次の問題もできれば解説付きで教えて欲しい…んだけど、な。」
「……。」

(今、心底、阿呆を見る目で返された……!)

 それでも、結局はシャーペンをとって彼は問題に取り掛かってくれるわけで。案外、いい奴じゃないのかな、と最近思い始めている自分に気が付く。これが、彼の作戦だったということを露ほども思わず、はのんきにそんなことを考えていた。


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