vampire Vol.01



「――そこには、おるらしいんよ。ヴァンパイヤが。」

 忍足がいかにも怪しげな表情で都会の怪談を語り始めたのは、雨の日の放課後のことだった。氷帝の練習も今日は雨のため、筋トレのみの自主練になってしまったらしく、教室でプリントをせっせと書き上げていた私たちの元へ遠慮もなくズカズカと入ってきた。共に入ってきた宍戸、向日、滝たちは一つも制止をせず、ドカリと椅子に腰を下ろす。一緒にやっていた友達は彼らが参加して嬉々としてスペースを空けるのだからたまったものではない。しぶしぶ私もそれに参加をするしかなかった。――そして、話は怪談に展開していった。

「忍足くん話すの上手すぎ。マジ鳥肌たってきたもん!」
「そうそう、帰りに襲われたらどうしよー!」
「ハハハ、心配せんでも帰りは送ってやるで。なあ、岳人?」
「ま、ヴァンパイヤなんて今時ねぇけどなー。それでも怖いっていうんならいいけど。」

 このとき、私も笑いながらその話を聞いていた。後にこの話を聞いたことを本当に後悔する事となるとは、1mmも考えずに。


**


 塾が終わった後の帰り道。お昼頃からずっと降り続けている雨は止むことを知らず、雨の勢いは大分衰えたものの、未だに道路を濡らし続けている。時々ピカリと黄色いものが垣間見えるのは幻か。どちらにしても、私にとっては全く都合が良くなかった。こんな日に限って親戚の結婚式に出席するため家を空けている両親に酷く恨みを覚える。繋がらない携帯電話は持っていても意味がなかった。

 真っ赤な傘をくるくると回しながらふ、と大きな館に視線を向ける。そうして、今日の放課後の忍足の怪談話を思い出した。確か忍足が言っていたヴァンパイヤの住む家というのはこんな感じだった。広い庭に無造作に生えている草、真っ暗で人気の無い窓、周りには少しばかりの森――パサパサと飛び回るコウモリの群。ごくり、と私は唾を思い切り飲み込んだ。

(コウモリなんて珍しくもなんとも無いし、いつもここ通って帰ってるのに。)

 こんなにも気になるのは、忍足の真実かどうかもわからない怪談話のせいだ。そう、どうせ忍足のこと、冗談に決まっている。こんな道なんかさっさと通ってしまえ。数十メートル先には、我家がある。すぐにリビングの電気をつけて、ココアを温めてお風呂に入って寝てしまおう。慌てて足取りを速めた時、耳に微かな声が響いた。雨の雑音の中、私の耳に届いたのは奇跡といえよう。

「あ、……ぁ、や。」

(何だ?この声…女の人っぽいけど。)

 真っ暗な中に響く甲高い声は、とても気味が悪かった。もっと最悪なのは、私の頭の中。目に一つ、大きな古い門が映る。今にも何かが這い出てきそうなそれに眉を寄せながらも、うずうずと押し迫ってくる感情があった。

(……やっべー、すっごい気になる…!)

 もちろん、怖いことには変わりないのだが、好奇心という名の無鉄砲な性格を私は持ち合わせている。重々、昔から承知済みだ。この性格は変わりようが無い。大抵こういったうずうずした感情を体験し、赴くままに行動した後に必ず地獄が待っているといっても過言ではない。――最も、こう脳内で考えながらも体は勝手に動いていってしまうのだから、意味は無いのかもしれない。


**


 ――ギィと古めかしい音を立てながら、自分の背丈の倍以上ある大きな扉を開けた。当然中は真っ暗で何も見えない。扉を開けておけば外の街灯からの光で何とか見えるだろう、と開けっ放しにしておいた。いざという時、扉が開いていると逃げやすいし。

 漫画の世界のように煤がいたるところに付いている。埃もくもの巣も尋常じゃない。ここが何年も人に使われていないことはこれだけで証明された。では、先ほどの声は――やはり、幻聴か。玄関前でどうしてもそこから先に進む勇気がなく、ポツンとたって自分で自己完結させようとしたとき、カタンという物音が置くから聞こえてきた。

「奥の部屋から聞こえる……。」

 ここで、行くかどうか。は一瞬ためらったが、ぐ、と拳を握って近づいた。そっとドアノブまで手を近づけたとき、大きく響いた甲高い声が耳に届いた。鼻にかけたような甘美な声にはびくりと体を硬くする。

「あぁ、や……!あぁ、あ、ぅん……!」

(や、ちょっと待て。これってもしかして、…もしかしなくても、アノ声だよ、ね?)

 もしかしてここで逢引しているバカップルがいるのだろうか。いや、それになりに洋風である意味ムードのある空間だけど、そもそもこんなところでこんな……!と、そこまで考えたところでは顔を赤く染めた。健全な高校生にはまだ早い。それでなくとも、今までそういった色恋ごとに一切関わっていなかったには刺激が強いものがあった。ドアノブにまで差しかかった右手をぷるぷると震わせながら引っ込め、くるりと体を反転させた。

(帰ろう。私が求めていたのはもっとホラーちっくな危険な世界であって……こんな生々しいものじゃない!)

 鳴り止むこと無いあえぎ声を背後でBGMにされながら、なんだかもう居た堪れなくて半泣きになりかけていたとき、こつん、と足先が何かにぶつかった。え、と思ったものつかの間だった。同時に体のバランスが崩れる。がくん、と揺れる膝にそのまま雪崩れて体ごと埃まみれの床にダイブした。

(………!!)

 背後の部屋からピタリと声が止んだ。カチャリとドアノブが開く音がする。冷や汗が滝のように額に伝った。

「……なんだ、まだガキじゃねぇかよ。」

 後ろから聞こえてきた艶のある声にはびくりと体を震わせた。恐ろしくて後ろを振り向けない。ていうか、……この人気まずくないのだろうか。直接見たわけではないけど、事情の最中をこんな赤の他人に見られていたというのに。

「お前も俺の虜になりにきたのか。」

 クスリ、と笑う声がする。冗談はほどほどにして欲しい。が何も動けないでいると、スッと腰に冷たい手が回ってきてゾクリとした。これは、早く逃げなければ…先ほどの彼女のように犯されてしまうかもしれない。頭の中で喘ぎ声がリピートされた。そんなのは、絶対に嫌だ。パシッとその手を振り払い、懸命に出口に向かって走り出した。

「ばっかじゃないの。」

 振り向きざまにそう言い残すことも忘れずに。


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