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 ざわつく教室内は、普段の物静かな光景とは大きく異なっている。文化祭を数日後に控えているが故の状況だ。今回はクラス委員というポジションにいる私にとっては楽しもうという感覚よりも緊張の方が大きかった。使命感に燃えているからこそだ。

 文化祭といえば、クラス委員二人にプラスして実行委員長二人が核となって進めていく行事である。氷帝学園はクラス行事だけでなく文化部の出し物や、クラブごとの出し物も盛んであるため個人一人一人が多忙極まりない。かくいう私も文化部所属なので、それなりに準備がある。入部ほやほやの一年生であるからこそ、たいしたことはできないのだが下準備等やるべきことがないわけではない。だからこそ、できるだけ充実した文化祭にするためにはクラスの役割分担を適確に指示し盛り上げる核となるクラス委員は重要だと思っていたのだが、こんなにもクラスをまとめることを難しいと思ったことはない。情けないながら、早くも挫折しそうになっている。

 例えば放課後の準備だけでも揉めることは多い。氷帝は文武両道で知られているために、部活動への参加も活発である。その場合、文化部の生徒だと独自の出し物を行うのでクラスの活動への時間に中々出られなかったりする。ということは残りの運動部のメンバーやあまり文化祭へ積極的に参加しない文化部のメンバーで行わなければならないのだが、如何せん、この時期は運動部も都大会などの大会が近く「文化祭の準備に構っていられるか。早く終わらせたい」という感情が内から漏れ始める。喜んで準備しようという者も少なくはないため、参加できなくて申し訳なく思っている文化部の人、早く終わらせて各自の部活へ参加したい運動部の人、みんなでやれば早く終わるのだから楽しんで準備をしようという人の最低でも三つのグループに分かれてしまうのである。その他面倒であるなんて声も聞こえないわけではないが、そうするとやはりクラスのモチベーションにも変化が現れるわけでなかなか良好な出発とは言えなかった。

 私のクラスはありきたりといえばそれまでなのだろうけど喫茶店を行う。ということは調理や接客を覚えることが必要になってくるということだ。双方ともお嬢様、お坊ちゃまが多い氷帝では率先して「できます!」と言える人々が少ない分野である。内装や衣装は―ここが、数多の公立高校とは異なるところなのだが―業者が全て担当してくれて、あとは前日に衣装の細かい寸法を手直しするだけで大体のことは終わってしまう。だからこそ、前者の二つを完ぺきにこなせるようになろうと意気込んで放課後に練習を始めた。

 接客や調理は高校生になったばかりの身では大変難しいものがある。私はバイトの経験も調理もそれほど上手くはなかったので、これらをどうやって皆で教え合い文化祭までに身につけるかその手法に悩んでいた。調理の方はクラスに数人料理部に入っている生徒がいたので、その人達に簡単なカフェで出せるような軽食、クッキーの指導をしてもらえることになった。自らの部活の出し物もあるというのに大変有難いことである。

 しかしながら、接客の方は中々思いつかなかった。氷帝でバイトでも良いので接客の経験があるのはまるでいなかったのだ。そもそも学校自体がバイトを認めていないので、それは当り前といってもいいのだが。どうしようと頭を抱えている時、解決策を持ってきたのは他でもない跡部だった。幸いなことに氷帝学園の生徒のごく一部には自宅にて使用人を雇って生活をしている生徒がおり―飲食店の接客とは多少異なるものがあるが―客人に対する礼儀や作法という分野における最高峰の人々が割と身近に存在するということで、指導する立場としてこれ以上最適な人達はいないのではないか、と。跡部の家はどうやらかなり財政的にも余裕がある家らしく、何人もお抱えの使用人が存在するようだ。その方々に指導を頼んだところ、学校の催しごとであるということも関連し、快く引き受けてくれた。さすがにそんなことが実現するとは思わなかったのでこの提案がまかり通ったことには氷帝学園の環境の特殊さを感じた。

 普段は接客される側の立場が多い、働いたことのない高校生からしてみれば、意外と気にも留めていなかった部分に接客のポイントがあることに驚きを隠せなかった。中々これを生徒の仲間内で練習しようとしてもそこまで些細なことには気が付かなかっただろう。

「接客で一番大切なのは、お客様により心地よく利用していただけるように勤めることですよ……なーんて、言われるのは簡単だけど案外難しいもんだよね」

 千佳は接客組の担当だったので一緒に指導を受けていたが、一日目の終わりにポツリとこんなことを零していた。私も彼女の心からの呟きに同意である。これからカフェやレストランに行った時に店員さんを見る目が変わりそうだ。所詮学生の付け焼刃とプロの人々から見たら言われるだろうけれど、このように実社会で活躍している人達に教えていただける機会があるというのは大変嬉しい事実でもあった。これに関して多くのクラスメイトたちも同感だったらしく、練習に積極的に参加する生徒が増え、なんとなく文化祭に向けてまとまってきた。

 そんな矢先の話である。このカフェの中で男女ともに盛り上がるのは、やはり普段は見慣れないウェイター、メイドの服を着て接客するということにあるだろう。メイド服はごてごてしたフリルの少ない割とシンプルな黒のデザインにした。胸元はサテンリボンで編み上げており、シンプルかつ可愛らしい。男性はオーソドックスなウェイター服で、男女ともに並べばかなり見栄えする。どこの学校にもクラスに一人は美人美男で噂される生徒が一人はいるもので、そういう人たちがこれらの服を着る姿を見れることに内心ではかなり期待をしていた。

 文化祭三日前。拘ったデザインのそれらの服が学校に到着し、実際に試着が行われた。そんな中、致命的なミスが発覚してしまう。

「ねえ、さん。これさ、枚数足りないんだけど」

 ひょいと発注の注文書の明細を困った顔で持ってきたデザイン担当であったクラスの女の子。私は「えっ」と困惑してそれを覗きこむ。必要枚数は女子が13人、男子が11人。しかしながらそこには真反対の数字が記入されていた。つまり、女子が2人分足りないのだ。最終確認は私だった。私は愕然とその数字を見る。きちんと確認したはずなのだが。笑い事では済まされない。

「とりあえず、業者の方に確認してみる」

 私は大慌てで携帯を取り、廊下にでた。クラス内は大きくざわついている。問い合わせをしたところ、本番三日前なのでもう発注は間に合わないのこと。さあっと顔が青くなっていく自覚があった。どうしよう。どうしてこのようなミスを犯してしまったのか。あれ聞いて、これ聞いて、聞かれて、提出する書類も、貸出するものもたくさんあって。どのように予算をまとめるか、臨機応援に指示をして。何処に何があるか把握しておかなければならなくて。沢山することがあり、そちらの方に気を取られていたとしか言いようがない。致命的だ。

「……追加発注は間に合わないみたい」

 力ない発言に対して「なにやってんの」ときつく怒られることはなかった。批難の声も上がらない。済んだことは仕方が無いと後悔に苛まれる私とは正反対にクラス内は現実的で「次にどうするべきか」を考えていた。メイド服を持っているという女の子も数人おり、それを借りるということで手を打つのはどうかという意見も出た。しかしながら、それではクラス全体の統一感が乱れる。デザインに拘るだけ拘った分、そこを蔑ろにしたくないという主張は多かった。

「男性の服が余ってんでしょ? いっそのこと私とで男装したらいいんじゃない」

 率先してそう告げてくれたのは千佳だった。一部の男子からは心底残念そうな「ええええ」とショックを受けた声が沸き上がる。それもそのはず。千佳のメイド服を楽しみにしていた男子は多い。彼女に来てもらうならメイド服も本望だろうと言わんばかりの美人であるからだ。私だって千佳のメイド服を楽しみにしていた。けれど、割と本人が乗り気であることと、他に方法がないということで彼女の助言が通った。何度、千佳にお礼を言っても足りないくらいだ。私は彼女に救われた。

「跡部が学級委員長だったら、こんなことにはならなかったかも」

 その時、ぽつりと聞こえたクラスの内部からの囁き。誰が呟いたのかは解らない。けれどそのような指摘されてしまったことに酷く傷ついている自分が居た。言われた内容がどうこうではない。そんな不満を言わせてしまったことに自らの情けなさを痛感してしまったのだ。クラスの人達と積極的に関わっていくことはとても楽しいしやりがいはあるけれど、まだ私としてもクラスの人達と探り合ってる感覚が否めない中だったので、他人の評価を著しく気にしており余計に深く胸に突き刺さった。嘆いている暇はないのだが、教室から逃げ出したくなったのは事実だった。






  
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