09



 梅雨が明けた。うじうじとする空気を抜けたあと待っていたのは中間テストの結果だった。廊下に貼りだされたそれを見に行くと既に人でいっぱいだった。見えない。比較的背の高い千佳でさえも簡単には見えないらしく精一杯背伸びをしていた。美人が背伸びをするとそのギャップがなんだか可愛く見えてしまう。人が空くまで待とうか、と廊下の端により二人でしゃべっていると最近よく見かける奴が話しかけてきた。

「おはよーさん」
「うわ」

 げ、と顔を歪めた私を見て、彼はにっこりとほほ笑んだ。あの告白から既に一ヶ月以上経っているが彼はしつこく私に絡んできた。それこそ視界に入れば必ず声を掛けてくる。きっぱりお断りしたにも関わらず「好きや」「付き合わん?」など言葉の応酬が絶えない。もちろん私もそれに対して「嫌だ」「うるさい」など相当の返事を返しているのだが一向に諦める気配はなかった。公衆の目の前で付き合う云々のことを仄めかしたりはしていないけれど、はっきりいってすごく目立つので勘弁してほしかった。すっかり顔見知りになった千佳にも笑顔で挨拶している。

「丁度いいところに。忍足くん、あのテスト結果見てきてくれない?私じゃ小さすぎて見えないのよ」
「あ、千佳それナイス。よろしく忍足!」
「学校着いた途端それかい。まあええけど。ほんなら姫さんらちょっと待っといてな」

 ひらひらと手を振って見送る。私たちのことを姫さん、と呼ぶ忍足は相当なフェミニストだ。そして同時に他の女の子にもそうやって呼びかけているのをよく見かける。彼自身は話しやすい雰囲気を纏っているので別段嫌がられてはいない。むしろ、喜んでいる女の子達もいるくらいだ。気がついたら忍足が周りにまとわりつくのにも慣れてしまっていた。

 千佳に告白の一件は話してある。その時はタチの悪い冗談に引っかかった、とかなんとか交わしていたのだけど、次の日からすぐああいう態度で立ち向かってきたので乾いた笑みしか浮かばなかった。彼の真意はどこにあるのか、それは理解できなかった。もとより、関わりたくないという気持ちが強いからか、知りたいとも思えなかった。どうせくだらない理由に違いない。人ごみに揉まれていく彼を視界の隅で確認して、千佳と顔を見合わせた。苦笑いを零す彼女は呆れを通り越して最近では感心しているようだった。

「今のうちに教室に戻ろうか」
「うん、ありがとう、千佳」

 忍足と関わるということ、それは必然的に氷帝学園の女子の目を集めるということだ。さすがに女子の嫉妬を好んで受けたくもない。千佳はそういう私の気持ちも理解してくれていて、こうやって回避の手助けをしてくれる。彼の姿が無いのをいいことに、そのまま自分の教室へ戻った。

「彼も変わってるわねえ。これだけ邪険にされても、めげずに立ち向かってくるなんて」
「迷惑だとわかっててやってるんでしょうよ。何が楽しいんだか知らないけど」

 悪趣味だ、と心の中で零す。千佳はかける言葉もなく憐みを含んだ声で「そうね」、と一言相槌を打った。

「でもさ、も結構忍足くんに対する扱い酷いと思うよ。出会いがしらに、げ、は無いでしょう。普段はもっと温厚なのにね。なんで忍足くんに対してはそこまで過剰な反応するの?」
「……性格が極端に悪いとか顔はいいのに残念すぎて腹が立ってくるとか人を馬鹿にした態度がすごく癪に障るから、とか」
「ああ、うん、わかった。つまり好きとかそういう以前に……嫌いなのね?」
「そういうこと」

 一番は、醸し出す雰囲気が彼に似ているからだけれど、その話しは彼女にもできていない。もし、忍足が丸井のような性格であり、その上であのような告白をしたのなら私もただ流すだけで済んでいたと思う。しかし、口調も髪型も顔立ちも全然違うのに、たまにふっと見せるささいな表情の変化とか人をおちょくる様な性格とかそういうところに彼の面影を感じるのだ。あそこまで、彼は性格が悪くなかったが。そんな忍足にあのように人を馬鹿にするような告白をされては、私の怒りの沸点をゆうに超すのは当たり前だ。ぶす、と苦々しく顔を歪めていると「おい」と低い声が聞こえてきた。

「あ、跡部くんおはよう」
「おはよう。……今日の放課後に急遽、委員会が開かれるらしい。文化祭の予算案に関して変更が出たんだと」
「ん、わかった。わざわざありがとう」

 放課後、ということは今日は部活に出れないな、と思いながらちらりと千佳を見た。それだけで、すぐ私の言いたいことを察した千佳は「部長に伝えとくね」と言ってくれた。

「そういえば、跡部くんってテニス部だったよね」
「ああ、そうだが……それが何だ」
「いや、忍足ってどういう印象なのかなと思って」

 跡部は忍足、という名前が出た途端これでもかというほど顔を顰めた。常日頃から機嫌が悪そうな顔をしているが、ぎゅっと皺の寄った眉や引き攣った目元はそれ以上に嫌そうな顔をしている。恐らく、私も他人から忍足という名前を聞いたらこんな顔になるんだろう、と自分を客観的に見ているような気分に陥った。どうして私がそんなことを聞いたのか、それは追及してこなかったが明らかに口にしたくない、とその顔が物語っている。

「アイツは……ことテニスに置いては天才と評しても問題はない。しかし、プライベートで関わるにはものすごく面倒な奴だ。変わっている。見た目に騙されてると、いつか酷い目にあう」

 しみじみと吐き出された内容には嫌に現実味があった。中等部を共に過ごした時間にあったので良くも悪くもそれほど辛口な評価がでたのであろう。そして、それは私が抱いていた印象と一寸の変わりもなかった。天才と称されているのは知らなかったので、彼のテニスについての評価には驚くものがあったが。

はあんなのが好みなのか」

 彼の言葉通りだなあと思っていたら、げんなりとした顔で恐ろしいことを言われた。ぶるぶるぶる、と手を左右に振って過剰と言われるほど否定した。だが、跡部にとってはその反応が面白かったのだろう、格好の餌食を見つけたと言わんばかりに意地悪く微笑んだ。普段は仏頂面の癖して、こういう時に笑みを見せるなんて跡部も性格が悪すぎる。

「断じて、断じて違う……!」
「あ、そ。まあ俺には関係ねぇけど」
「……疑わしそうな目で見なくていい。ホントに違うから」

 これ以上話すことはない、とくるりと視線をそらせば、くつくつ、と喉を鳴らして笑いながら彼は立ち去った。隣で事の経緯を見ていた千佳だが、ふと見れば不自然に肩が動いている。

「千佳も笑わないでよ。こっちは必死なのに」
「あ、ごめん。二人してすっごい顔してるから面白くてさ。でもさ、跡部くんってあれで忍足くんと仲いいんだよねえ」
「うん……よく食堂とかで一緒に居るの見る」
「だから、忍足くんも根は悪い人じゃないんじゃないの。あくまで友達、としては。跡部くんのあの忠告はどっちかっていうと恋愛面の忍足くんに対してだと思うし」
「その性質が悪い方の忍足に当たってるからダメなんじゃんか」

 ぼすっと机の上に伏せた。彼と関わることに悪い予感しかしない。どうやってこの問題を片づければいいのか、考えあぐねていた。うんうん、と唸る私を尻目に千佳はそっと溜息を吐く。「代わってほしいわ」と呟いた言葉はあまりにも小さくて私には聞こえなかった。





  
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