05 カタン、と椅子を鳴らして立ち上がった。 「一年A組の学級委員長になりましたです」 「副委員長の跡部景吾です」 ぺこり、と礼をして座ると途端にざわつく教室に目を見張る。何かおかしなことを言っただろうか、と跡部の方を見たけれど彼は軽く視線をそらして答えてくれなかった。……なんなのだろう、この空気。そういえば、学級委員を決めたときもこのような雰囲気になった気がする。 「ねえ跡部くん、このリアクションって何」 「……さあ?」 ぼそぼそと座ってから小声で問いかけるも返ってきたのはなんとも納得のいかない返事のみ。断ち切るように続きを促した生徒会長の言葉に、他のクラスが立ち上がって自己紹介を続ける。腑に落ちない。私のような動揺がなく、分かりきったような顔をしているので、隣の跡部は知っていそうな気もするが答えてくれる気がまるでないらしい。 「えー、と自己紹介も終わったところで、今期……っていうか前期の大凡の学級委員会の方針等を説明していきます。とりあえず、一年生はすぐ親睦会という名の合宿が待ってます。二学年から上は何もないですが、辛抱してください。んでそのあとは文化祭。夏休みを挟んで体育祭。そこで総選挙で生徒会役員が入れ替わります。……と、まあこんなところです」 ぺらぺらと話を進めていくのは生徒会長。三年生ともなれば慣れたもので、テンポよく且つ完結に話を進めている。氷帝の生徒会長といったらもっとお堅いイメージだったのだけれども、なんだかむしろ快活な印象を受ける。意外性はあるものの、手慣れている様子でぱっぱと中身を進めていく姿は導き手として非常に望ましい姿だった。手元に配られた配布資料を一瞥した。 「一年生は早速親睦会での仕事が待ってると思いますが、まあ、これも仲良くなる第一段階だと思って協力してやって下さい。大きな目玉は文化祭、ですね。体育祭は別で体育委員を立てるので学級委員はほとんど出番がありません。その変わり、文化祭は全身全霊をかけて挑んでくださいね。よろしくお願いします」 文化祭の説明を受けたけれど、さすが氷帝学園、規模が違う。立海大の大学祭もそれなりに地元では名の知れたものであったが……え、なにこの弁論大会とか。文化祭といえば、模擬店、出し物でてんやわんやのイメージだけれど、氷帝学園のイメージだとそれだけにとどまらずきっちりした催しも行わなければならないということだ。盛り上がって終わりとはすまされないらしい。お堅いな、と苦笑いしながらも予算が格段に違うのでそれだけ内容は凝ったものができ面白そうではある。おおよそメインの活動は文化祭で、後は細かなあいさつ運動の担当や美化活動への参加の日程などが割り当てられた。まあ、学級委員といえば学級委員らしい。 「それでは、以上で顔合わせを終わります。尚、この後、各学年で一人代表を決めてください。特に一年生は合宿も控えてますし、連絡が取り合えるよう連絡先を交換しておく方が無難だと思いますので、そちらもよろしく。では、お疲れ様でした」 生徒会長の言葉をきっかけにして、学年ごとに集まりができた。一年生はほとんど中等部と変わらない面子らしく、「アンタまたなったの?」「そっちこそ」なんていう会話が繰り広げられている。早速アウェイ感が否めないが、それはわかりきっていることでどうでもいい。跡部の後に続いて私もそのグループに顔を突っ込むと、異質な視線にぶつかった。いや、これは私に向けられているのではなく、むしろ隣にいる跡部に向けられているといった方が正しいかもしれない。……だからこの反応は一体何なんだ。代表を決めるのはまとめ役を率先してやってくれたF組の女の子がさくっと成ってくれた。そして、会長に言われた通りに連絡先の交換……といってもここにるメンバーはほとんどが顔見知りの様で、それが行われていたのはごく一部だった。私は初対面なので時間が掛ってしまう。 「さん、跡部くんと学級委員なんて勇気あるね」 その中で先ほどのF組の女の子、吉井萌がアドレス交換を理由に話しかけてきた。なんのことかわからなくてはあ、と首をかしげているとくすりと笑われる。なんだ一体。 「跡部くんって有名人かなんかなの?」 「……まあ、ある意味そうなんだけど。私が言ってるのはよく貴方が学級委員になれたね、ってこと。ああ、別に貴方を批判しているわけじゃなくて、跡部くんが副の座に収まるなんて考えられないから」 「それは一体どういう意味で?」 「跡部くんって前生徒会長なの。しかも三年間会長をやり遂げた異例の存在。だから今更副委員長やるなんて、みんな驚いてるわけ」 「……そりゃ、変に思うよね、普通」 三年間生徒会長とはなんだ。一年生にして立候補をし、このマンモス校をまとめあげたということか。あのざわめきや千佳の謎のにやにやがわかったような気がした。彼が手を挙げた瞬間、だれしもが委員長になった姿を想い浮かべただろう。千佳は都内の学校出身だったし、三年間という異例の生徒会長のことを知ってても可笑しくは無い。しかも壮絶にカッコイイというか……確かに目立つ雰囲気は醸し出している。これで決めた理由が公平にじゃんけんなんです、って言ったら驚くだろうな。言わない方がよさそうなので黙っておくけれども。ぴぴぴ、と伝達しましたという赤外線通信完了のマークが浮かんだので携帯を覗き込む。萌はにこやかにほほ笑んだ。 「ま、さん、一年間よろしく」 「こちらこそ。外部生で知らないこと多いから、アドバイスは随時募集してますのでよろしく」 「っはは、わかったわかった」 ぽん、と緩く肩に手を置かれた。 「跡部くんもアドレス教えて」 短い返事で黒い携帯を寄こしてくる。赤外線の部分に合わせて、送信中の文字が現れた。目の前にいる人は至極、無口なイメージしか今のところ私にはない。少ない言葉でしか語らないというか。先ほどの生徒会長と比べたら大きく極性が違う。本当にこの人が生徒会長をしていたのだろうかと思わせるほど。 「三年間生徒会長してたってほんと?」 「……だったら?」 「私はこういうリーダーシップ系になったこと今までなかったから経験の差でいくと委員長に向いてるのは跡部くん方だったかなと今更思ったわけで」 「後悔してるわけか」 「いや、それは無い。前から一度やってみたかったから」 それは、私が彼女を意識していることに違いなかったけれどそのことをここは誰も知らない。悟ることなど有り得ない。陳腐な動機に呆れを隠せなかったけれどそれは内面に押しとどめておいた。逆に元生徒会長と一緒なんて心強いよ、と言えばへえ?と片眉を挙げた。 「言うじゃねえか。……俺に迷惑ばかり掛けない様にしてくれよ」 「えっ二人で迷惑をかけつつ助け合いながらやっていくもんでしょ、こういうの。というか、ざわめきの理由これだよね?知ってたんなら教えてくれればいいのに」 「伝える意味がわかんねぇ」 ハン、と鼻を鳴らして笑う跡部に、私は苦笑いが漏れた。けれど、無口なのかと思えば案外そういうわけでもなく、こちらから話しかければそれ相当の返事をしてくれる。ただし、若干、言葉一つ一つが痛い。そして、そこに傲慢さがちらちらと見え隠れする。付き合いにくそうなタイプであることには間違いなかったが、それでも聊か当初の印象よりは幾分もマシになった。 昼休みは決まって食堂に行く。氷帝学園の食堂のランチは半端なく豪華なのだ。弁当持参の身としては毎回拝めるだけなのだが、千佳は食堂派なのでついていっておこぼれという名のお味見一口を頂いている。非常に美味しいことこの上ない。お財布に余裕があれば月一の楽しみとして食堂でランチもいいかもしれないな、と考えているところだ。列ができてごった返している人ごみの中、先に席を確保しに向った私は丁度空いていたスペースを見つけたので一人でちょこんとそこに腰かける。携帯をいじり、姉からのメールをチェックしていると上から声がかかった。 「ちゃんやん」 聞き覚えのある関西弁と親しげな呼び名にはっと顔をあげると、いつぞやの美形眼鏡がそこに立っていた。顔を合わせてから数日、以前からお隣であったという姉に彼のことを尋ねてみれば成績優秀で親切でとてもいい人、という言葉が返ってきた。私が入学する高校がどこか知っていたはずなのに何故、隣に同級生がいるということを教えてくれなかったのか、とぽつりと零せば、彼が氷帝に通っていることを知らなかったそうだ。あまり深い近所づきあいでは無いらしい。彼が「由希さん」なんて親しげに呼んでいるからてっきり交流が深いもんだと勘違いしていた。にこり、と笑顔を向けてくる忍足に私もそれを張り付けた。 「一人?」 「友達が今ランチ頼んでるから、席確保してるの」 「ふうん、……隣座ってもええ?」 「ああ、いいけど……忍足くんは一人なわけ?」 一人、と言われた時に遠まわしに「お前友達いないの?」と聞かれたような気がしてぞわっと寒気がした。そのような意図があったのか定かではないが、忍足は笑顔のまま隣を指定してくる。まだ疎らなりとも席はあちこちに空いているのだ。敢えてここじゃなくてもよかろうに、と思いながらも、悲しいかな日本人の血が混じっている私には、嫌だとはっきり答えることができなかった。曖昧に首を振って、そういう貴方はどうなのだと聞き返した。 「怒らせてしもうた?後から数人くるはずなんやけど、足りるやろ」 キツイ言い方になってしまったからか彼は表情をきょとんとさせて苦笑いを浮かべる。嫌な顔をする奴だ、と思った。表面上はにこにこ笑っているが、心の中で何を考えているのかよくわからない。こういうタイプを私は他にも知っているし、一見付き合いにくそうなタイプだと思われがちだが、自分にとっては付き合いやすいタイプであることは間違いなかった。よっこいせ、と私の隣に腰かける姿を横眼で見ながら小さく息を吐く。関わるのではなかった、と後悔が駆け巡った。 「氷帝にはもう慣れた?」 「うん、大分。思ってたより馴染みやすい学校だったから」 「うちの学校、変わっとるってよう言われるんやけどな」 「前の学校も私立だったから、似通ってるところはあるのかも」 それなりに格式高い学校だったし、と心の中で零す。 「神奈川やんな。神奈川で私立いうたら、……もしかして立海?」 びくり、と肩が震えた。そもそも、神奈川と私は告げたことが無いのだが。どうせ姉との会話の中で得た情報だということはわかりきっているので、小さく頭を縦に振った。 「うん、立海。知り合いでもいるの?」 「知り合いっちゅうか、なんちゅうか、なあ。……俺、テニス部なんやけど立海ってテニス部有名やん。せやから、頭には印象強くのこっとるわな」 「忍足くん、テニス部なんだ……」 目の前の彼はガタイもよくて、確かにスポーツ万能そうな体つきをしている。ただし、私の脳内に流れてきたのは絶賛の言葉ではなく、大きな動揺と焦りだった。ぽつり、と呟いた言葉を忍足は聞きとめたのか、せや、と頷いた。 「氷帝にとって立海はライバル校の一つやから、テニス部には知り合い多い方やな。仲いいっちゅうわけやないけど。……お、こっちやで」 「侑士、一人で勝手に歩くなよ。……ん?誰コイツ」 「俺のマンションのお隣さんで、ちゃん。外部生やて」 忍足の視線が遠くへ向いた。私も続けて振り返ると、三人の男の子がご飯を抱えて立っていた。一人、忍足に話しかけたのは真っ赤なおかっぱ頭の人、もう一人は女の子の様な美人な顔つきの人、そして、同じクラスの跡部景吾だった。そうえいば忍足と跡部は知り合いのような言い回しをしていた、と先日の会話を思い出した。跡部の方も、何故、忍足の隣に私がいるのかわからず不信そうにこちらを見ていたが彼の説明で一同納得した。跡部は腹が減った、といわんばかりに私から視線をそらし我先にと席へ座った。 先ほど、侑士、と忍足を呼んでいた彼は興味深そうに私をじっと見つめた。 「俺は向日岳人。侑士とは部活でダブルス組んでんの。んでこっちが俺と同クラの……」 「滝萩之介です。よろしく」 「こちらこそ、よろしく」 無難な言葉を選んで小さく礼をする。見えない運命の糸に酷く恨みを覚えた。テニス部という繋がりがこちらの学校へ来ても私を脅かすなんて。好奇心旺盛な向日からは質問をシャワーのごとくたくさん浴びた。けれど、たまたま出会った女子生徒なんてよほど気が合わない限りこれっきりだろう、そう考えてなんとなく受け答えをしていく。関わらない様に。関わりすぎない様に。脳裏に焼きついた姿を早く消してしまいたいのに。 「ひっ……、どうしたのこれ。なんでこんなことに」 帰ってきた千佳が随分と近寄り難そうに後ずさっていたのが酷く印象的だった。どうした、なんて私が聞きたいくらいである。どんな美人さんでもこれだけ色男に囲まれれば誰だって一瞬は引いてしまうものだ。 ( material by.zirco:n ) 100414 |