門田は思う。現実も捨てたもんじゃなかったのだと。 との出会いは偶然であったのか、必然であったのか、それとも運命であったのか。そのどれか分からないけれど、まるで本の中から飛び出してきたようなその少女、は確かに存在している。 自分が彼女の言う“知らない”世界の人間であるという事を門田は一体心中でどう思っていたのだろうか。 門田達、所謂ワゴン組は今日も池袋の街を彷徨っていた。 狩沢と遊馬崎が本屋に立ち寄るという事で堵草のバンで池袋の大型書店に門田は足を向けていた。そういえば、と思い立って手に取った本を持ってレジに向かう。他の人間からしたら意外だろうが門田は本が好きだった。前々から気になっていた本だった。 バンに乗り込んで口を開く事すら忘れて数時間でその本を読み終えた門田はちょっとした現実離れした世界観に浸っていた。 主人公として登場する少女にちょっとした恋心を抱いたのだ。恋心というよりは好意に近いかもしれない。もちろん狩沢や遊馬崎とは違い、本の中にのめり込んで本気で恋愛したりとかそういう事はなかったが、誰もが一度は二次元の、本の中の登場人物を好意に思う事はある。それがまさしく門田が今読み終えた本の中の主人公だったのだ。 何もかもを飲み込んでしまうように明るく、何に関しても興味を示す少女は読んでいて気持ちがいい。すっきりとした爽快感を感じざるを得ない。しかしまた分かってもいた。こんな少女は物語の中、所謂二次元的な世界でしか存在しなく、自分たちが生きている世界にはきっと居ないのであろうと。 「ドタチンが車の中で本読むなんて珍しいね。いつも酔うからって読まないのに」 「そうですよ。あれだけいつも俺たちの事言ってた割には、っすよね」 彼らにそう言われるまで門田本人も気づかなかった。確かに乗り物の中で本を読むのは苦手だった。別に車酔いが激しいという訳ではないにしろ、やはり活字を追うのは気が進まない。しかしこの本はそんな事を忘れさせるくらいの面白さがあったのだ。本当に夢中になって読んでいたのだと改めて思わされる。 丁度そんなどうでもいい話をしている時だった。 「あ!あれ紀田君の友達の・・・そう!竜ヶ峰帝人!」 バンの後ろで二人は最近知り合ってばかりの少年に目を向けていた。 門田は別にどうでもいいとばかりに目を向ける事すらしなかったのだが、二人の言葉にようやく視線を動かしていた。 「相手の女の子超かわいいじゃないっすか」 別に可愛い女の子という言葉に反応した訳ではないというのはここで言っておく事にしよう。そもそも竜ヶ峰帝人と一緒にいるということは高校生か何かだろう。別に自分はロリコンでもあるまいし興味はない。 しかし目を向けた先に見た少女は美少女という名に相応しい、そんな女だった。 短い髪を揺らして困り顔でいながらもきっと彼女に惚れているのだろうと思わせる帝人と、そんな彼の手を引っ張って歩く女。大人しそうな外見からは似つかない程の好奇心旺盛で元気という言葉の似合う少女は帝人と同じく来良学園の制服に身を包んでいた。 「いやあ。若いっていいねえ。青い春だよ、あれ」 「っすね」 「ああいうの見るとやっぱり冷かしたくなるんだよね」 「知ってはいたがお前ら本当に趣味悪いよな」 門田は呆れていた。まあこの二人に呆れているのはいつものことなのだが。 しばらくすれば帝人たちの姿も見えなくなって二人の興味も他に注がれるだろうと、門田は特に現状に口を出すことはなかった。しかし二人は一度顔を見合わせて妙な笑みを浮かべるとバンのドアを開けて「おーい」なんて言いながら帝人たちの元へいくものだから門田は頭をかかえた。 「人の青い春を邪魔するか?普通」 「あの二人に“普通”を求めても無駄ですよ」 門田は「そうだな」呆れた様にそう言って二人を眺めていた。ただ冷かして、それに飽きたら帰ってくるだろう。いつものように。そう思ってはいたのだが、思ったよりも敵は手ごわい様で何故か興味深々にこちらに向かってくる。 「おいおい。何なんだ」 その美少女は自分たちの乗っているバンを指さして目をキラキラと輝かせながらやってくる。 「こんな車初めてみました!これ何て車ですか?」 すっかりそんな少女を気に入ってしまった遊馬崎達はためらう事もせずに、自分たちの許可もなく勝手に「どうぞどうぞ。あ、ちょっと散らかってるけど気にしないでね」なんて言いながら彼女を車に上げてしまった。 「散らかってんのは主にお前らのどうしようもないガタクタだろうが」 渡草がそんな小さな突っ込みを入れた処で最早彼らは止められない。 「これはねえ、イタ車って言うんっすよ」 「イタ車?すごい!イタリア製の車なんですね?あたし外車乗るなんて初めてです。感激だな」 門田は更に頭を抱えた。 「あ、イタ車っていうのはイタリア車じゃなくて痛い車の事ね」 少女の名はと言うらしい。 すっかりを気に入ってしまった狩沢達はよく彼女と会うようになっていた。狩沢は現実離れした彼女の考え方を気に入り、遊馬崎はまるで本から出てきたような美少女にぞっこんになり、仕舞には渡草までアイドル好き魂を燃やしてしまっている。バンの中は今までよりもにぎやかになっていた。 それでも自分たちがダラーズの一員であることだけは皆口にしない。 ただ普通の高校生である彼女をこんな事に巻き込んではいけないのだと誰もが知っているからだ。どれだけ仲が深まってもそれは同じ事だった。世間を騒がしているおぞましい事件に少女を巻き込んでいけないのだ。 「っちはどんな人がタイプ?あたしはね 狩沢が現実には存在しえないキャラクターの名前を上げていく。そして現実の人間には絶対にありえない特徴をあげ、一人で舞い上がっている。 「すごいですね!あたしもその人に会ってみたいなあ。その人何処にいるんですか」 最早狩沢達を遥かに超えるに門田はある一つの事を思うようになっていた。 奇想天外で、まるで現実離れをしたような元気のいい、そして何事に関しても興味深々なを、と同じような少女を門田は知っていた。それはこの間自分が読んだあの小説の登場人物にそっくりなの姿だった。 「やーね。もちろん本の中にいる人だよ」 「そうなんですか残念。ちょっと日本人っぽくない名前の人だとは思ったけど」 「で?っちのタイプはどうなの?」 運転席の渡草まで耳を心なしか大きくして聞いているようだった。 確かに門田にもがどんな男が好きなのかというのは興味があった。これだけの美少女だ。きっと言い寄られる事もあれば、彼女に好意を抱いている人も多いだろう。あの竜ヶ峰帝人のように。そんな少女が一体どんな男が好きなのだろうか。きっと男であれば、いや女でもその答えには興味がわくものだ。 「あたしは の言葉は、一瞬にしてバンの中を凍りつかせた。 「天気いいですね!こう天気がいいと喉が渇きませんか?」 は冷えた缶コーヒーを門田に渡してからそんな事を言った。門田も一言礼を述べると早々にノブに手を伸ばしてコーヒーを喉に染み込ませていく。も勢いをつけた様に腰に手をあててぐびぐびとオレンジジュースを飲みほした。 「お前、変わった奴だな」 「そうですか?だって知らない事を知りたいと思うのは人間の性でしょ」 「まあそうだが。お前程それをはっきりと口にするのは難しい」 は何でもかんでも自分の知らない事を尋ねてくる。もちろんその全てに門田が答えられる訳ではないが、門田もそんなの疑問に答える。とにかくは好奇心旺盛だった。それは通常の人間と比べられない程にだ。 「そんな変わった人にズバリタイプだって言われて驚いてます?」 「まあな」 つい数十分前の事だ。一瞬にしてバンの中は凍りついていた。 が言った言葉に暫く誰も返答する事もなく黙り込んでしまった。当人であるは「え?そんなに意外ですか?」なんて言いながら逆に驚いていたが、その場に居た人間は皆取り合えず凍りついていた。 「あたしは門田さんみたいな人がタイプですよ。完全にストライクです」 門田はそんなの言葉に何も言えなかった。「ありがとう」とも「ごめん」とも。 しかし別に告白された訳でもないのだからそんな言葉も可笑しいだろう。そもそも相手は高校生だ。どうこうしようという気はない。なら嬉しくなかったのかと聞かれればそうではない。正直なところ、少しだけ、嬉しかった。 「お前なら俺なんかより顔もいい奴に言い寄られたりするだろう」 「顔?人は顔じゃないですよ。そもそも門田さんって自分が思ってるより顔もイケメンですよ」 「そう・・・・・・はっきり言われると困るな」 「だってイケメンなんですもん!顔も心もイケメンです!あたしはそう思ってますから」 は照れる事すらせずにニコニコと笑みを模ってそう言った。全く可笑しな図だ。いい大人が高校生に褒められてちょっと照れくさそうにしているなんて普通じゃない。そう、やっぱりこの少女は普通じゃないのだ。 するとはまた突然意図の見えない質問を門田に投げかけた。 「門田さんは何で生きてるんですか?」 一瞬の言葉に門田は飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。 一体どういう事だろうかと彼女の顔を見ても、先ほどの何も変わらない笑顔に変わりはなかった。まさか高校生にこんな事を聞かれるとは思いもしなかったのだ。一瞬死ねばいいのに、と言われているのかとも思ったがそれはどうやら考えすぎらしい。の表情にはそんな悪意は微塵も感じられない。ただいつものように彼女の好奇心旺盛な一面が出ただけなのだろう。知りたいのだという。 「ならお前は何で生きてるんだ?」 は何の迷いもないように、いつもの笑顔で言葉を紡ぐ。 「この世はあたしの知らない事ばかり。知らない所で知らないものが知らないうちに、通り過ぎて行ってしまう。だから世界は楽しいんです。門田さんもそう思いませんか?」 まるで高校生とは思えない受け答えに門田は驚かざるを得なかった。は好奇心旺盛な女だ。あれは何だ?これは何だ?と口を開けば質問攻めだ。しかしまた考え方も大人であるのは違いなかった。あどけなさが残る表情で最もな事を言う。大人顔負けの迫力で自分の生きる意味を述べるのだから。 本当には門田が先日読んだあの小説の主人公にそっくりだった。 そしてよく考えると自分の旧友である、折原臨也とも似ている。 「だからあたしは門田さんが好きなんです」 全くもっての言葉の意味が門田には分からなかった。知らないもので溢れるこの世界が楽しいのは分かる。生きていたと思うのも分かる。だからと言ってそれが自分を好きだという事には繋がらない。 「無茶苦茶だな。理解に苦しむ」 「どうして」 「それはこっちが聞いてるんだ」 また得意のの質問攻めが始まる。一度どうしてと言えばは止まらない。しかし、今回だけはどういう訳かが同じ言葉を口にはしない。少しだけ年相応に頬を染めて言うのだった。 「あたし勘だけはいいんです。だから分かるの。門田さんがあたしの知らない世界の人間だってこと。もちろん惹かれる理由はそれだけじゃないけど、あたしの知らないものを持ってる人は魅力的です」 あっさりと自分の正体を見破られてしまった。ただの高校生であるという女に。 しかしきっとそれが何なのかという具体的なところまでは分かっていないのだろうと思う。それでいい。そうでなくてはいけないのだ。 「よくもそれだけ口が動く」 「それがあたしの欠点であって長所でもありますから」 はそう言って笑った。門田は何かを言おうとしたが途中で言葉を止めた。そんな門田にも何も言わずに、ただ時間だけが静かに過ぎて行った。 「門田さんが好きです」 高校生相手の告白に門田は何も言えない。応える事は出来ない。 いい大人が高校生と付き合うというのは法律的にもなしだろうし、そもそも自分の居る立場上彼女と付き合う事は出来なかった。付き合ってしまえばどんな形でか必ず彼女を危険な目にあわせてしまうだろうから。だからこそ普段から口が軽い遊馬崎や狩沢でさえ自分たちの置かされている立場を口にすることはなかったのだ。 門田は思う。彼女が知りたがる“知らない世界”は知らないからこそ輝いていられるものなのかもしれないと。知ってしまえばきっと色あせてしまう。知らないからこそそれが輝いて見えるのだろう。 それに万一と付き合う事になっても狩沢達からのブーイングの嵐も面倒くさい事極まりないだろう。皆のアイドルを独り占めするのは所詮自分の役割ではないのだ。 「物好きだな」 「よく言われます」 「なあ」 「はい?」 は未だ確定した答えを出さない門田に何も言う事もせず、ただ単調に返事をする。 「もっと世界を見ろ。いい男なんてもんはゴロゴロ転がってるもんだ」 門田が読んだ小説は所謂ラブストーリーと部類されるものだった。 物語は平凡な人生を送るエリーという少女から始まっていく。彼女はある男に恋をした。どこにでもあるような普通の恋愛小説だ。出会った男と恋に落ちて、男に言われるのだ。「もっと世界を見ろ。いい男なんてもんはゴロゴロ転がってるもんだ」と。しかし彼女は負けじと言うのだ。「貴方みたいな素敵な人どこにも転がってはいなかった」と。 こうして物語は一旦幕を閉じる。二人は互いが望む幸せに満ちた結婚をした。 しかし男は一国の王だった。彼女に危険が及んでしまう事が怖くて一度は身を引いていたのだ。しかしそれでも互いの深い愛に耐えられなかった王はエリーを娶った。そして悲劇は起きる。 何処にでもありふれたようなラブストーリーは、実際の所後味の悪い悲劇的な終わり方だった。 エリーは殺された。劣りとして使われ、無残に殺されてしまったのだ。王の恐れていた事が現実となった。そこで物語は終わっている。 こんなにも後味の悪い物語もどうかと門田は思う一方で、やはりどうしようもない爽快感で満たされていた。エリーの一生は一体どうだったのか。幸せだったのだろうか。考えてもそれは所詮小説の中の、現実では意思を持たないただのキャラクターだ。自分が考えた処で彼女が幸せだったのかはきっと一生分からないことだ。 でも門田は思うのだ。きっと彼女は幸せであったのだと。 しかしエリーと瓜二つのは、一体どうなのだろうかと考えると結果は違っていた。 「門田さんみたいに素敵な人、どこにも転がってなんかないですよ」 やはりは言った。エリーと同じあの言葉を。門田の意思は揺らいだ。しかし同時に固まってもいた。 奇妙なまでにエリーと瓜二つのがやはりエリーと同じあの言葉を口にする。もしここで自分がの好意を受け止めたらエリーと同じ運命を辿ってしまうのではないだろうかと。それだけが怖かったのだ。 「もう遅い。今日は車で送っていこう」 自分でも柄ではないと思っていながらも、今にしてやれる最大限の事をしてやりたかった。 少しだけ何かを悟ったような寂しい笑みを浮かべるに門田は彼女の長く伸びた髪を二、三度優しく撫でてやった。が笑った時のあの顔が忘れられない。そしてようやく気付くのだ。彼女に喜んでもらいたいからしたのではない。の喜ぶ顔を自分が望んでいただけなのだと。 「ねえ門田さん」 「なんだ」 夕焼けが地平線に沈んでいく頃、は言った。 「一緒にいるくらいはいいですよね」 門田がそう返事をした頃には既に日は落ちていた。 「ああ。好きなだけいろ」 こうして新しい結末を書き加えられた、新しい物語が完成されたのである。エリーと同じ道を辿らない為に選んだ、そんな新しい恋の物語は何処か暖かくて何処か甘酸っぱかった。 亡き王女エリーに捧ぐ、どうかに同じ結末を辿らせないでくれと。
...Dear loverly saki / 20100525.... |