これはあたしと、平和島静雄と、折原臨也のはなしである。
 高校時代から続く三人の戦闘のはなしである。皆がバラバラに散ったというのに未だに何処かで三人は繋がり、そして離れる事が出来ないのかもしれない。いつまで経ってもバカはバカでしかないのである。
 これは戦闘のはなし。
        の、長きに渡る戦のおはなし。


   



 と静雄はとあるスーパーの前に立っていた。
 珍しく互いに早く仕事が終わったという事もあり、二人の中間地点である新宿で待ち合わせをして話は現在に至る。二人共々“新宿”という場所にもちろんいいイメージはなく、とある人物を思い浮かべてはいたのだがさすがにこんな所で遭遇することもないだろう。そんな考えから何のためらいもなく二人は新宿にあるとあるスーパーで待ち合わせをし、そのドアを潜ったのだった。
「そう言えば聞いてなかったけど何が食べたいの」
「別に。何でもいいんじゃねえか」
「何でもいいが一番困るって分かって言ってる?」
 久々に使い慣れていない料理の腕を振るおうと言っているのにいまいち乗り気でない静雄には溜息をついた。静雄はいつだってこうだ。意外と欲の浅い人間なのだと思う。普段からは想像も出来ないくらいに、この男は欲が薄い。
「せっかくだし静雄が決めてよ」
「・・・・・・んな急に言われてもな。思いつかねえよ」
 は最早これ以上何も出てこないだろうともう一度溜息をつき、「じゃあもういいよ。あたしが決めるから」そう言おうとした直前で聞いた静雄の言葉に唖然となるのだった。
「別にお前が作るもんなら何でもいい」
 天然だ。天然すぎる。この男たまに天然すぎて恥ずかしいことをサラっと言ったりするのだ。
 もちろんそんな事を言われた当人であるは突然すぎる愛の言葉に明らかな挙動不審に陥るのだ。そしてようやくそんなを見て静雄も自分が今どれだけ恥ずかしい言葉を口走ってしまったのかと黙り込むのだ。天然なのかただのバカなのか最近よく分からなくなってきた。は思う。
 静雄からの具体的なリクエストもなく、と静雄は適当な材料をカゴに入れて歩いて行く。
「ちょっと重たくなってきた」
「ん?ああ。最初から言えばもってやるのに」
「こんなに買い物するつもりもなかったし」
「いいから寄越せって」
 静雄は何に関しても鈍感だ。臨也の事に関してだけは別の事なのだが。
 強引に買い物カゴを奪い取った静雄はヒョイと片手でそれを持ちあげての隣を歩いて行く。こういう何気ない静雄の優しがは好きだった。不器用で分かりにくい分本当に優しい人だから。ちょっとした所で静雄の優しさが垣間見れて、それがちょっとした幸せだった。
 少し(というかかなりだが)喧嘩っぱやい所はあるけれど本当に男らしい人だなとかちょっと自惚れる事も忘れない。友達であった時間の多かった二人ではあったが、それは理想的なカップルの光景だった。
 そう、ある一つのことを除いては。
「本当に食べたいものないの?何でも作るよ?」
「別に好き嫌いねえし何でもいいって」
「静ちゃんは体力だけじゃなくて胃袋も怪人並だからの強烈な料理を食べた所で平気なんだよ」
「そうそう。俺はお前のすげえ料理を食ったところで平気       
 の表情が歪む。静雄は青ざめる。そしてくるりと振り返って見つけてしまったのだ。そこに居てはいけない、いや、居るはずのない人物を。
 自分たちが甘かったのだと二人は想い知らされた。スーパーならいくら新宿といえこの男に遭遇することはないと。
「やあ!こんな所で会うとは思わなかったよ。自炊?笑っちゃうんだけど」
「あんたがスーパーに沸いて出る方がありえないけど」
「人を虫みたいに。俺だって人間だ。スーパーで惣菜くらい買ったりするさ」
 静雄が大人しい。しかも臨也の気配に気づかなかった。珍しい事もあるもんだとは一安心した。
 しかしそれはつかの間の安心でしかなく、やはりが当初想像していた光景が目の当たりに広がっていた。飛んでいくカゴの中の食材。卵が勢いをつけて四方八方に飛んでいく。通行人の頭に黄色い液体がべっちょりと付いていく。床で割れた卵に滑って転ぶ人がいた。この状況を一言で現すのであれば“無茶苦茶”だ。
「いーざーやあああああああああ」
 彼は大人しいのではなかったのだ。ただ目の前に現れた天敵にワナワナと震えていただけだった。
 臨也は笑う。静雄は怒気を放つ。
 まさしくここは戦場だった。目の前にあったジャガイモを何個か取り上げた静雄は迷う事すらせずにそれを臨也に投げつけていく。しかしそれを器用によける臨也にさらに静雄の怒りは爆発し、ついには野菜の並んでいる棚を持ちあげてドスンという何とも表現出来ない鈍い音と共に投げ放つ。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
「物騒だなあ。別に俺が何したって訳じゃないだろ」
「どの口がいいやがる」
 こうして静雄と臨也の永久に終わらない戦争に巻き込まれたスーパーはほぼ壊滅状態に陥った。その現場であるスーパーは臨也と静雄の命がけの鬼ごっこの会場となっていた。
 怒る事すら出来ずに目を点にしていたスーパーの店員のあの顔が忘れられないとは言う。
「いいから取りあえず大人しく殺されろ」
 は泣き叫びたい気持ちをぐっと堪えた。でも数滴くらいは涙が飛んでいたかもしれない。





 は酸欠になって目が回る程頭を下げた。
 それはもちろんスーパーの店員であったり、卵やそれ以外の静雄がぶちまけた様々な食材に塗れてしまった買い物客であったり、もうこの際人間じゃなくとも全力で謝るべきであると思ってじゃがいもだったり卵だったり、もう取りあえず全部にだった。
「臨也が池袋に来れないようにあたしももう二度と新宿来れないと思うんだけど」
 ようやく落ち着きを取り戻した静雄は何も言わない。頭が上がらない。
「おかげで今月の給料飛んで行ったんだけど」
 静雄が破壊した諸々の請求では倒れそうになる数字を見た。もちろん即払いだ。食費を浮かそうとしたのがとんだ出費になってしまった。器物破損で警察に通報されなかったのだけが不幸中の幸いだ。
「ねえ」
「・・・・・・わりい」
「そうじゃなくて」
 酷く罰の悪そうな表情をする静雄には言う。
「あたしの料理はそんなにまずいの?」
 あのドタバタ事件でですら忘れていた事ではあったが、そういえば酷い事を言われた気がする。胃袋が強いとか嬉しくもない事を告げられた気がする。今ようやく心に余裕が出来ては静雄の言葉を思い出してふつふつと怒りを感じていた。
 確かに普段は料理はしない。料理が上手いなんてもちろん言わないし言えない。それは自覚しているけれどさすがにあれは言いすぎなのではないだろうかと。
「金、返すからよ」
「さりげなく話しずらさないでよね」
 ここまできても話を反らすということは相当に自分の料理はまずいとでも言いたいのだろうか。なんかここまでくると怒りを通り越して悲しくなってきた。
「お金なんていらない!態度で示してって言ってるの」
 例えばもう臨也を見ても暴れだしたりしないと誓うだとか、そういう事をは言って欲しかったのだ。
 もうこんな事に付き合わされるのは御免だ。寧ろ今までそれに耐えてきた自分をほめてやりたいくらいだと思う。高校に入学したその日から今と何も変わらぬ二人の関係の被害にあっているのは他の誰でもないだったのだから。他にも被害にあっている人は数え切れない程いるだろう。しかし何故か常に二人と一緒にいたの被害は計り知れない。それは彼らが高校を卒業した今尚同じ事。
 静雄の事は好きだ。ずっと一緒に居たいとも思う。しかしもう臨也関係の事で騒動に巻き込まれるのだけは勘弁してほしい。
 きっとそんなの考えを静雄も分かっているものだと彼女は思っていた。だから何かしら臨也の事に関して言ってくれるのかと思っていたのだが、やはりこの男は何処か抜けていて、どうしようもない天然でしかなかった。
        ぎゅっ
 少し痛いくらいの握力を感じ取った時にはは既に静雄の腕の中にいた。
 人で賑わう新宿で、突然。
「・・・・・・ごめん。ちょっと嬉しいのが癪だけどこういう事でもない」
 がそう言うと静雄は「え?」とやはり自分が見当違いなことをしているというのを全く知らないと言ったように疑問符を浮かべた。
 強引なくせに静雄は極度の照れ屋だとは言う。だからこそそんな彼はすぐに「わりい」と言って体を離してくれるものだと思っていた。こんな街のど真ん中で抱きしめられるのは恥ずかしいものだから。
「もう少しこのままで居たら駄目、か」
 そんな事を言われたらが断れないという事もまたこの男は知らないのである。
 これだ。この優しさだ。全てを許してしまう静雄の優しさにはまた彼を許さなくてはならなくなる。結局は一番が静雄に甘いのである。無意識な所でかっこ良かったり、お茶目であったり、どうしようもなく愛おしかったり、そんな彼に惚れているのだ。も素直に静雄の肩に手を伸ばした。
 ドラマのようなワンシーンだったかもしれない。
 でも不思議と周りの目は気にならなかった。自身ももう少しだけこの幸せな感情を味わいたいと、そう思ったからなのかもしれない。
「スーパー壊滅させかけといて呑気だねえ。いい大人が公然でハグはどうなんだろう」
 そう、この声が聞こえてくるまでは全てがドラマ仕立てのように上手く事は運んでいたのだ。

 この後の事はもう説明するまでもなく分かるだろうし、説明する事自体に疲れるので割愛させてもらう。





 ようやく家まで辿りついた二人はお互いに口を開こうとはしない。
 ただが睨みを利かし、静雄は大きな体を最大限にまで小さくしている。本当にそんな状況が暫くは続いていたのだが、は一枚の紙を取り出して何かをそこに書き込み始めた。そしてその紙を静雄に乱暴に投げつけた。
「これ。ここに拇印を押して」
 要はもう二度と臨也と喧嘩をしない、そしてを巻き込まないという事が書かれた誓約書だった。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「今日という今日は文句言わせないから!あたしは今日二度も心臓止まりかけた」
 静雄は言えば何でもきいてくれる男だった。文句も言わずに何でもいうことをきいてくれる男だった。でもこの事に関してだけはどうしても言う事をきいてくれないのだ。そして今も。
 静雄はその誓約書を読み終えたのか、そっと拇印を押す事もなくテーブルに置いてしまった。
「それだけは無理だ」
「一方的に被害ばっかり被るのはもう御免なの」
「それも分かってる」
「ならもういいでしょ?いい加減大人になってよ」
 の必死の訴えにも静雄は首を縦に振ってはくれなかった。ただ申し訳なさそうに体を縮めていくばかりで、何も。
 暫くまた沈黙が続いた。が何も言わなければ静雄も何も言わない。池袋の安アパートの一室は酷く静かで、車が通り過ぎていく音だけがそこに木霊していた。そんな沈黙が五分、十分、二十分と続いて行き、ようやく話が始まった。
 それは意外な事にも静雄の言葉から始まった。
「それだけは約束できねえ。あいつが生きてる限りは不可能だ。でも、」
 でも、そう言ってから暫く彼は再び黙り込んでしまった。言っておいて黙り込むとは一体何事だろうか。は続きを聞きたいと思いながらも自ら問いかける事はしない。ここまでくれば最早意地だった。
 すると静雄は突然誓約書をぐちゃぐちゃと丸めて何処かに放り投げた。
 そしてバーテン服の中に忍び込ませてあったもう一枚の紙を出し、勢いをつけての前に提示した。
「結婚してくれよ」
 そこには既に彼の名前とハンコが押されている。一瞬の脳内は現状に追いつかず、茫然としていたがそれが所謂プロポーズであると暫くして理解した。
 字が汚くて枠から大幅にはみ出ているのがいかにも彼らしい、そんな印象の婚姻届だった。
「・・・・・・汚いお金で養ってもらいたくない」
「それは今後考える」
「臨也と喧嘩ばっかりしてる子どもとは結婚できない」
「しないとは言わねえけど善処はする」
「あたし特に取り柄もない普通の女の子だけどいいの?」
「ああ」
「料理・・・へたくそだけどいいの?」
 徐々にの声が涙声になっていくのがよく分かった。時折無言になる二人にの涙をすする声はよく響く。そして今、が聞いた問いに暫く静雄は黙り込んでから勢い任せに彼女を抱きしめた。静雄の全力の力で、全力に優しく。
「いいに決まってんだろ。んな事聞くなバカ」
 は静雄に渡された婚姻届を握りしめて、再び静雄の肩に手を伸ばした。
        平穏を崩したのはほんの些細なものだった。そしてまた平穏を齎したのもほんの些細なものだった。



   
...Dear loverly saki / 20100521....
special thanx : Grazie , テオ