☆ 躓く、それで気づくこと、の続編。


  白い息をすくい取るようにひだまりが顔を覗かせる。窓をぴしゃりと閉め、暖かい日光だけを取り入れているこの部屋はぱちぱちと景気よくなる炎のおかげでこっくりこっくり頭が動いてしまうくらい気持ちのよい空間ができあがってしまっていた。珍しくすすすと筆を忙しそうに動かす太公望の仕事部屋を頻繁に出入りするようになったのは最近のこと。気まぐれで、まるで猫のような私の言動を熟知している彼は黙ってそれを見過ごしてくれていた。もちろん、仕事や鍛錬に穴を開けるようなことをしないことを重点に置いているからだとは思うのだけれども。ふらりと無言で入ってきてごろごろと彼の寝具に寝っ転がりさらさらとした書類や筆が摩擦されることによって起こる小さな音を子守歌にしながら寝にはいることもあったし、時には妨げにならないようにつまらない会話をちょちょいとして帰ったりもしていた。本当に、太公望という人は今まで会ったこともないくらい甘えるに適した人物だ。ごろごろと今日も寝具を拝借していると不意に今一番耳にしたくない声が聞こえてきた。大方、弟の天祥くんと修行でもしているのだろう、大きな声が響き渡っている。

「退屈か?」

 視線をまっすぐ書類に向けたまま太公望はそう呟いた。そんな彼に一つ小さなため息を吐いて、そんなにわかりやすいのだろうかと逆に問い返す。表面上の答えにはなっていないけれどそれでも彼にとっては十分なようで小さく笑ってぽんと筆を墨の上に置いた。

「近頃なにやら感情の起伏が激しいようだのう。」
「…柄にもなく、ね。」
「別に咎めているわけではない。ただ、近頃おかしい反応を見せるやつがもう1人おるのを知っておるか?」
「ええ、それはもう、よくわかってる。」

 おそらく原因は私なのだから、とはいわなくとも当に彼は見透かしているのだろう。あの真冬の夜から明らかに天化の様子はおかしいの一言に尽きる。しかし、それでもいっぱしの剣士である彼は普段は至っていつも通りを装っているのだが、私が通りかかったらどうも挙動不審な一面を見せる。私もそれはわかっているのであの夜……そう、天化とともに晩酌を交わしたときに、どうやら私は勢い余って彼に告白まがいの言葉を伝えてしまったことが原因だと推測していた。私はあのとき泥酔していたので軽い気持ちで言ったことは間違いではないのだが、ずっと心のどこかで彼を意識していたというのも事実。むしろ、あのとき言葉にしてから今までのむずかゆいような気持ちの本性がはっきりとわかったような気がしてどうも彼に顔向けが出来なかった。また、彼も酔っぱらいの言葉だとわかっていても真意を探りかねているようで、もともと会話の無かった相手だから聞くことも出来ず、かといって意識せずにはいられないという気まずい空気が流れ続けているのである。

「おぬしとあやつはそこまで仲が深かったようには思いはせぬが?」
「……う、ん。まあ、いろいろあったというか、なかったというか。」
「ふむ、心当たりはあるようだのう。」

 にやり、と太公望の口元が歪んだ。こんな悪い顔をしている彼を見るのは久しぶりだがこういうときは必ずといって何かよからぬことを考えているのだ。しかも大抵くだらないことが多い。若干のいやな予感を感じながらも彼を一瞥するとくいくいと手招きされた。机の真向かいにたたされる。

「さて、これからお主はどうするつもりだ?」
「どう、とは?」
「……まさかこのまま放置し続けようとは思っておらんだろうな。」
「その手もありかと思っていたんだけど。」

 戦場に愛とか恋とかそのようなものは不要だと思っているしまた同時に私は一道士であるので色恋沙汰にあけくれるよりも日々精進に励む方が適当だというのが本音だ。だから、私としてはいくつかの選択肢の中でもこのまま時が忘れ去ってくれるのを待つのを選ぶしかなかった。そのうち天化の方もあれは酔っぱらいの戯れ言だったのだと徐々に忘れていってくれるに違いないと踏んでいる。けれど、目の前にいる彼は退屈しのぎにか困りかねている私たちを見かねてか導を示してくれるようだ。全くもって自分が楽しみたいだけのような気もするが。

「では、おもしろいことを教えてやろう。」

 全く行動を起こす気のない私にはっぱをかけるつもりなのかいっぱいの笑みを浮かべて、耳打ちができるような距離まで呼ばれる。この部屋には誰もいないので聞かれる心配はないというのに…、という疑問を浮かべながらも机を回っていすに座る彼の口元へ耳を近づければ突然彼は立ち上がりがばりと体を抱きしめられた。油断というよりも想定外の行動だったのでとっさに避けることも出来ずすぽりと男性にしては華奢な胸にトンと頭がついた。どこにそんな力があるのかぎゅう、と抱きしめられた力はとても強く抵抗しようにも簡単には離れられないほどの力だった。元より抵抗しようということすら私の頭には浮かばなかったけれども。ぴきん、と体が固まって何分が経っただろうか。ほんの数秒だったような気がするが、どどどどど、と廊下を突っ走ってくるような音が聞こえ、次の瞬間にはバタン、と勢いよく扉が開けられた。

「――っ!」

 頭上から「ホラ、おもしろいものが見れただろう。」という囁きがふってきた。息を切らしながら入ってきたのは先ほど話題にあがっていた天化だった。状況が飲み込めずひたすら視線を交互に投げかけていたら、笑いながら太公望が私の体を解放する。天化もどうやらその砕けた表情に疑問を感じたのだろう、先ほどは鬼のような怖い顔を浮かべていた彼だったが次第にきょとんとした顔に変化していった。

「スース、いったい何を……!?」
「お主が思っとるようなことはしておらん。あとは若いモンにまかせるよ。」
「…え、ちょ、太公望……!」

 カカカ、といつものように笑いながら彼は自室を後にした。残されたのは私と気まずいままの天化。目があった瞬間にあの夜のことを思い出してしまった。我ながら何という言葉を彼に伝えてしまったのか、それ以前にあんな恥態をさらけ出したなんて…そういった意味でもこうやって顔を合わせたくはなかった。せめてあのときの記憶が無かったならこのように恥ずかしい思いもしなくてよかっただろうに。もういっそ白を通してしまおうか。静かな沈黙が続く中先にそれを破ったのは彼の方だった。

「この間のこと覚えてるさ?……いや、覚えて無くてもいい。あのときアンタは俺っちのことを苦手だと言っていたけど、好きともいっていた。到底なれない存在だとも言っていたさ。でも、それはいったいどっちの好きさ?はっきり聞きたい。アンタは俺っちのことをどう思ってるさ?」

 なんて真摯な目で見つめてくるのだろう。ごくり、とのどが鳴る。彼にこのようにまっすぐ見つめられたことがかつてあっただろうか。とてもではないが白を切るような空気ではない。これが何かの争いであるなら私は容赦せず持ち前の冷静さで切り抜けることが出来ただろう。けれども今回は相手が悪い。内容も悪い。私事に昔から弱いのは欠点であるとわかっていても隠し通していたことを暴かれるのは一番恐ろしい。なにぶん、他人との関係を保つのを苦手としているなら余計に。だけど、ここではっきりと素直に答える義理がどこに存在する。

「惑わせたのは私のせいかもしれないが、返答をする義務は存在しない。けれど、逆に聞きたいね。アンタは私のことをどう思っているのか。どうしてそんなに一夜の迷い言を気にするの?」

 立場逆転。ずるいとは思うけれど私にはこのような切り返ししかできなかった。自分で口にするのは戸惑われた。認めたくないにしろ私が彼に憧れと好意を持っていたことは確かなのだ。すると、彼ははあ、と大きく息を吐き出した。肩を落としたような少し落胆を含んだような緊張感が抜けたような表情だった。

「ったく、鈍い女さ。…ふつうここまでやったら気づくもんじゃねぇか。」
「何が。」
「俺っちは、のことが好きさ。アンタは俺っちのことどう思ってる?」

 予想外の言葉だった。あまりにも想定外過ぎて、言葉を失ってしまった。出来た不自然な間をどうとったのは知らないが怖い顔をして彼は続けた。

「それとも、ホントはスースのことが好き?」

 ああ、と納得がいった。太公望はすべて気づいていた上であの行動をとったのだと。見抜かれていたことに悔しさを覚えるがそれ以上に切なそうな表情を浮かべる天化に惹かれてしまった。私がなりたかった存在、性格が真反対だと思っていた存在の彼が私を焦がれているということに困惑を覚えながらも心のどこかでは夢であって欲しいかった。けれど、それは今現在、起こっている。今の自分の心情をどのように言葉にして伝えるべきか口を開き声を発そうとして、躊躇って。だんだんと経っていく時間に焦りも加速していく。こうなったら。カツカツと床をならして彼の目の前へ出た。ぐい、とむき出しの肩を掴んで引き寄せる。

「私が好きなのは黄天化だよ。」

 ごちそうさま、と言いたげにちょいと少し高いところにある唇を人差し指でつつけばびっくりしたままだった表情が徐々に和らいで、がばっと抱きしめられた。






ばか。だからすき
それは終止符ではなく、始まり。


*090917   ( title by.cathy