彼は、まるで太陽のような人だと形容されることが多い。何故太陽かといえば、それは温かな人という意味もあるが、彼の爽やかな笑顔は大きな安心と喜びを与えてくれる。そこがなんとなく、朝、ぱっと空にさんさんと輝いてるお日さまを見上げたときの気持ちと被ってしまうからだろうと私は思っている。同時に性格も明るくて、表立ってクラスをまとめているわけではないけれど、彼の存在が太陽のように大きいことには変わりはない。そして、誰とでも仲良く、というのが彼の掲げているテーマなのか誰これ構わず、とらわれず話しかけてくるのだ。いい人なのだろう、とは思う。けれど、どうしても私にとって彼は嫌な存在でしかなかった。嫌い、というほど心から拒絶しているわけではない。ただ、彼の笑顔が私に向くたびに酷く心が締め付けられるのだった。 「、!また明日なー!」 ぶんぶん、と部活もないのでいち早く教室を出た私と友達を見つけて手を振ってくる、恥ずかしい奴。友達は「ばいばーい」と手を振り返していたが、私はせいぜいぽつりと「ばいばい」と呟くのがやっとで、「愛想悪いよ」と隣から小突かれていた。知るものか、と早足で学校を出る。やっぱり竹谷のことは苦手だ。下手に人づきあいが良いものだから、つんとした態度をとっているのはほとんど私くらいで、周りからみたらより一層おかしな風景に見えるらしい。といってもこれも友達から指摘されたことで、以後はそこまであからさまにしないように心がけているつもりである。黙々と足を動かしていると、呆れたように後ろから小走りで駆け寄ってきた友達が呟いた。 「ってば、冷たいんだから」 「何が?」 「竹谷のことだよ。もー、嫌いなら嫌いでいいけどさあ。アイツいい奴だよ」 困ったように苦笑いする彼女に、聞こえるか聞こえないか程度の小さな声で呟き返した。知ってるけど、どうしようもなくもやもやした感情が胸を襲うのだから仕方ない、と。この渦を巻く感情を抱えたまま、笑顔で竹谷と向き合えるなんてことは今の私には到底できなかった。もちろん、今の私の態度を自分でもいいとは思っていない。けれど変えることもできない葛藤のさなかに私は在る。……いつから、こんな風になってしまったんだろう。 さすがの私も第一印象から竹谷のことを嫌だと感じていたわけではない。積極的な関係を持ち始めたのは同じクラスになった今年の春からだったが、竹谷という名前は割と学年でも有名な方で―それこそ、体育祭のときには真っ先に名前が上がるほど彼は運動神経が良かった―彼がどういう人なのか、どのように周りから捉えられているのか、それはずっと前から知っていた。クラスが一緒になったことによって、噂通り、誰にでもなんの躊躇もなくさらっと話を振る様を間近で見、好感をもったのも確かだった。初対面では緊張しがちで消極的になってしまう人間が多い日本人の中ではより一層好ましく見えるだろう。もちろん彼は例にもれず私にも最初から親しげに話しかけてくれて、最初のうちはそれなりに仲が良かった。変わったのは私からだった。いつの間にか彼を目で追うことが増えている自分に気がついて、それから。ふらりと彼の視界に入れば、結構な確率で「!」と名前を呼ばれ、あったかい笑顔を向けられる。その時にどうしようもないほどじくじくと胸が痛み始めたのだ。その痛みがなんであるか、私はとっくに核心に気がついていたのに、認めたくなかった。だからこそ、私はその感情に蓋をしたのだ。 星が輝きはじめた夜、ぽつり、ぽつり、と電灯が連なっている中、私は一人で帰っていた。部活には所属していないものの、高校に入ると同時に塾に通い始めていたのだ。中学の間まではなんとなく勉強についていけていたのだが、さすが高校ともなると追いつけなくなり、今ではこうして週に二回ほどお世話になっている。普段なら近くまで一緒に帰る幼馴染がいるのだが今日は夏風邪のために休み。三年生ともなれば過去に数回ほど一人で歩いて帰ることもあった。それゆえに夜道を歩くことは慣れてしまっていた。大通りに出れば今ほど心もとなくはなくなる、とそう考えていたその時、後ろから聞き覚えのある声が耳に入った。私の名前を若干叫ぶほどの大声で口にしている。ぱっと振り向けば、見たくないけれどいつも見てしまっている彼がそこにいた。 「よっ、帰りか」 「……竹谷?」 「ん。なに、どこの帰り?」 「塾の帰り。……そっちは?」 「部活の帰りだよ。塾かー、おつかれさん」 確かに彼から運動した後につける制汗剤のレモンのような柑橘系の匂いがした。今の時間帯と掛け合わせても随分と遅くまで練習だったんだな、となんとなく思ってしまい、思わず「お疲れ様」と私も言い返してしまった。彼はその言葉にぱっと微笑む。当り前である。最近、このように素直に返答したことは、というかむしろ一対一で会話をなしたことはないのだから。私は弾かれたように顔をそむけた。彼の笑顔は心臓に悪すぎる。ぶつぶつと、心の中で零しながらもいつの間にか当り前のように隣を歩いている竹谷にむっと眉をしかめた。本人はそれに気が付いているのか、いないのか、笑顔を浮かべ続けていた。そして、「学校が終わってまで塾とか。俺ぜったい無理」と、話しをちゃんと聞いているかどうかもわからないような人間に話しかけるのだ。人の気も知らないで、と、ちらっと頭一つ分の差がある彼を見上げれば、不意に目があった。 「なに?」 「なんでもない」 「なんでもなくないだろ。最近、よくそういう目で俺のこと見てるしなあ」 「えっ」 気付かれていた。ぱたり、と思わず立ち止まってしまう。ここで上手く「そう?」と白を切っていればよかったものの咄嗟のことに素直に反応してしまった体が憎らしい。肯定したも同然の態度に、段々と顔が赤く染まった。にやり、と意味深な笑みを零す彼に向って、きっと眉をつりあげて告げる。 「見てないもん」 「またまた、見てるだろ。俺ばっちり感じてるし。の視線」 「見てない。自意識過剰すぎ。馬鹿」 「馬鹿って……最近、めっきり口悪くなっちゃいましたねーさーん?」 からかうように覗きこんでくる彼に、今度は真っ赤になるどころではすまされない。ふん、と鼻息荒く早足で彼から離れるため、懸命に歩いた。これ以上話していると、今まで保ってきたペースが乱されてしまう。それがとても嫌だった。竹谷一人に、上手く操られているような態度を示してしまうこと自体、とてももどかしくて屈辱的なのだ。上積みするように押し寄せてくる心臓を締め付けるような痛みをもう味わいたくなかった。 「俺は、が俺のこと気にしてくれてたら嬉しいって思うよ」 ぱ、と後ろから腕を掴まれる。身長からも明らかだが、私と竹谷には歴然としたコンパスの差がある。いくら必死に歩いたところで彼がちょっと走ればすぐに捉まってしまうのだ。散々、恥ずかしさ故に火照っていた体温が、竹谷が触れた指先に感覚が集中してし、更に熱くなっていった。なにより彼の口から紡がれたその言葉に、ぽかんとだらしなく彼を見つめてしまっていた。 「……嘘だ」 「ホントだってば。俺が、あんなに冷たくされながらも毎日話しかけてるのってお前くらいなんだからな。気付いてなかった?」 真っ直ぐ見据えたのは、いつも浮かべている笑顔ではない。真剣な、例えば、体育で彼がバスケを披露している時だとかそのときに見せている表情そのものだった。激しく胸を裂くように心臓が脈を打っているのが体の内側から聞こえた。……見ていられない。 「腕、痛い」と一言呟けば彼はあっさりとその手を放してくれた。うんともすんとも言わない私に、少しだけ悲しげに溜息を吐くとそのまま先を歩くように促した。「あんまり遅くなると、悪いから」と。しばらくして、明るい駅のホームが見えてきた。人ゴミの多さが夜は逆に心を安心させる。それからずっと黙ったままだった竹谷は、噴水を過ぎた先、改札口の手前まできて、私に改めて話しかけた。 「あのさ。……嘘じゃないから。俺がに気があるのは、嘘じゃない。だから、それだけは覚えといて」 「……」 「返事は?」 「……わかった」 「ん、いい返事。じゃあ、また明日な!おやすみ!」 ばいばい、と大きく手を振って彼は駅とは反対方向―つまり、元の道―へと走っていった。ぽかん、と私は彼の後姿を見送る。方向、真逆だったんじゃないか、とか、気があるってどういうことなんだ、とか色々とぐるぐるとした嬉しいような恥ずかしいようなそれでいて切ないような気持ちが同時に脳内を駆け巡る。時間に急かされながら改札口を通り、いつものようにプラットホームで電車を待ちながらもそのドキドキは収まらなかった。 「駄目だ。……明日も笑って挨拶できる自信がない」 情けない、なんて言わないでほしい。突っぱねていた気持ちをぶわっと一瞬のうちに全面に押し出されたのだ。少し強引すぎるその行動を恨めしく思いながらも、臆病な態度を示し続けている自分がいるからこそ彼にそうさせてしまったのだ。ピーっと急かすようになる汽笛の音に、見慣れた電車に乗り込む。彼への気持ちは昨日とは大きく変容していた。頑なな鎖がゆっくりじっくりとほどけかかっていることが、素直じゃない私にもようやく理解できた。 君と笑顔で話せる日が、きますように。 *100831 |