ころん、と可愛い音がした。尾浜は目の前に転がってきた色とりどりの小さなものに驚いて顔をあげる。目の前に立っていたのは自分より一つ上の、ゼミの先輩―だった。尾浜の吃驚した顔を見て、満足そうに彼女は笑う。「脅かさないでくださいよ」、と困ったように微笑んだ彼に、「いつもは君が脅かしてくるじゃないの」と呆れたように彼女は言った。

「どうしたんですか?このキャンディーの山」
「お土産だよ。春休み中に旅行に行ってきたからそれの」
「……ふうん」

 その旅行は誰と言ったのか。そう聞きたかったけど、その答えはとうにわかりきっていた。一つ年上の彼女には彼女と同学年の彼氏がいる。ゼミの中で飲み会なんかも開かれるので、初めて出会ったときからもうその事実は知っていた。酒が入ると色恋沙汰に走る傾向があるのは、特に女性だと多いようだ。けれど、恋に落ちるというのはどうやら彼氏の有無には関わらないようで、ゼミを通して彼女のことを知っていく内にいつの間にか彼女のことを好きになっていた。幼馴染に長い間じれったい恋心を抱いていた鉢屋を何度も情けないと嗾けていたが、いざ自分はどうかといえば、実ることのない、かといって諦めることもできない中途半端な場所をゆっくりと浮遊していた。こればかりは仕方がない、と思っている。どうでした、楽しかったですか、と本当はそう聞き返すことがよい後輩なのだろうけど、到底そのような気分にはなれなかった。表面上は何も気にしていません、という仮面をかぶるにはまだ尾浜の心は落ち着いていなかったのだ。

「甘そうですね」

 尾浜はそういいながらその中でもひときわ目立っていた、ピンク色の飴を手に取った。中に何が入っているのか、少し透明なのにキラキラと輝いていた。甘いものが比較的好きである尾浜だったが、このように幼稚園児が好みそうな星型やらハート型の飴は久方ぶりに見る。きっと味も小さい子供が好みそうな甘すぎるものなんだろうなあ、と想像しながらじろじろと眺めていたらが不安そうにつぶやいた。

「あれ、甘いもの嫌いだった?」
「いや、好きですよ。けど、あんまりにも綺麗なんで食べるのがもったいなくて」
「……ああ、そうね。確かに、小さい頃だったらもったいなくて食べれなかったかもしれない」

 くす、と彼女もオレンジ色の飴を手にとって手のひらで転がしながら笑った。宝物を慈しみながら触る様な仕草でつん、とそれを指先でなぞる。彼女のその言葉に、自分ももし小さい頃にこの飴玉をもらったなら、大切に、それこそ毎日一個ずつ時間を掛けながらゆっくりと味わっただろうなあと柔らかい笑みを浮かべた。

 尾浜は彼女とのこんなさり気ないやり取りが好きだった。彼女は一つしか離れてない割には随分大人っぽい外見をしている。それはもちろん就職活動のために切り添えられた黒髪や、割と薄めな化粧なども影響しているのだろうがなにより落ち着いた柔らかい雰囲気を彼女は持ってるのだ。それは、騒がしい同級生に囲まれて高校を過ごしてきた彼にとっては中々巡り合うことのない雰囲気の持ち主だった。それでいて、このように子供っぽい憧れや感情も残している。まるで日向のように傍にいるだけで心がぽわんと暖かくなる存在だった。

「先輩は甘いの平気なんですっけ?」
「うん、大好き。だから、お土産もねお菓子ばっかりになっちゃって、教授には怒られちゃったなあ。あの人、甘いもの大嫌いだから」
「自分も食べるつもりで買うからそういうことになるんですよー」
「そこはこってり怒られたから分かってます」

 美味しいのにね、と彼女はぴりっと透明のビニールを剥がしてオレンジ色の飴玉を口に含んだ。ぎゅっと一瞬だけ目を細めて、幸せそうな顔をする。それを見ていた尾浜も真似をしてピンク色のそれをぱくりと口に入れた。想像したよりも甘みの少ない桃のすっきりとした果汁が口の中に広がった。……これは、文句なしに美味しい。もごもごと口を動かしていると、あは、と彼女が突然声をあげて笑った。ん、と首を傾げる。おかしな場面が今し方あっただろうか。困惑した顔をする尾浜に、ごめんごめんと彼女は笑いながらもそう口にした。

「尾浜くん、甘いものかなり好きなんだねえ。蕩けそうな顔してたよ」
「え?そうでしたか?」
「うん、そう。吃驚しちゃった」
「……俺から言わせてもらえば、先輩の方こそそんな顔してましたけどねえ」
「あれ?ほんと?」

 お互いに顔を見合わせて、くす、と微笑み合う。暖かい空気が辺りを包んでいたが、不意にそれを一瞬にして壊す様な言葉を彼女は紡いだ。

「尾浜くんみたいな子が彼氏だったら良かったのに」

 驚いて、尾浜はをばっと見上げた。彼女は苦笑いを浮かべたまま、少しだけ泣きそうな顔をしている。心臓を直接鷲掴みされたような衝撃だった。多分、自分の憶測が正しければ、彼女は彼氏と一緒に旅行に行ったはずで、より一層仲良くなって帰ってくるはずだった。けれど、目の前の彼女はどこか悲しそうである。ということはつまり。

 途端にこみ上げてきた気持ちをなんと表現していいのかわからなかった。もしこの気持ちに名前があったとしてもそれは到底誉められるべき言葉ではない。彼女の先ほどの言葉は恐らく、自分のように好みが合う男性が彼氏だったら、という意味合いだったのだろう。少なくとも彼女は自分のことをそういう対象で見てはいない。弟扱いをされていることを尾浜は十分に自覚していた。けれど、この一隅の機会を逃すわけにもいかなかった。

「ごめんなさい、先輩」
「え?」

 突然、謝った彼に彼女は戸惑ったような表情を浮かべる。きっと彼女は優しく慰めの言葉を掛ける自分を期待していたのだろう。できれば自分もそういう態度で接してあげたかった。しかし、心のうちにはここで動かないと後悔するぞ、と嗾ける自分が確かに存在する。強く強く、この人が欲しい、と叫び続ける自分がいるのだ。

「俺に慰めて欲しいんですよね。でも、俺はそんなことしませんしするつもりもありません。むしろ、先輩が彼氏と別れたことを嬉しく思ってます。最低、って思われてもいいです。事実だから。でもですね、これだけは覚えていてください」
「……何?」
先輩のこと、好きです。いつかさっきの台詞を心の底から言ってもらえるよう、頑張りますんで、覚悟しておいてくださいね」

 にっこりと、全身全霊の笑顔を浮かべながらそっと彼女の目の前まで近づき、ころんと自分の飴だまを驚きのまま動けない彼女の口に押し込んだ。茫然と尾浜を見上げる彼女の頬にも一つ、口付けを落とす。初めて触れた彼女の唇は今まで口にしてきたどのお菓子よりも甘ったるかった。



新たな望み、新たな可能性

*100605  (title by.precious days / タロットカード22のお題より)