平日のキャンパスは賑わっている。食堂には多くの学生が集まって、座る席を探すにもやっとだ。火曜日は時間割の都合もあり、余計に人がごった返すのが通常だった。はカレーライスを手にしたまま、相席ができないだろうかと入り口付近でちらちらと視線を巡らせる。ふ、と小さく手を招いている男子の姿が目に入った。竹谷だった。彼とは学部こそ違うものの、一般教養である英語でたまたまクラスが重なり、面倒見のいい性格だったのでそれ以後道端で出会えば二言三言は話す、という関係だった。ぱっと目が合うと彼は惜しみなくにぱっとした笑顔を浮かべた。竹谷は知り合いが多いので、もしかしたら別の人にあてたものかもしれない。首をかしげながら自分に向って小さく指をさすと可笑しそうに彼はこくこくと頷いた。小走りで駆け出す。 「どうしたの、はっちゃん」 「席、探してるんだろ。こっち来れば?」 「あ、いいの?」 「うん、俺のツレがあと四人ほどいるけど、それでもいいなら」 混んでるもんなあ、と彼は苦笑いした。見れば、なるほど六人掛けのテーブルのうち四つほど荷物で席が埋まっている。見るからに男物のそれではあったが、このまま別の席を探すのも大変そうだったし、なにより三限目も詰まっていたので大人しくお言葉に甘えることにした。こくん、と頷いて竹谷の隣に腰を掛ける。彼は既に食べ始めていた。他の彼らはまだ並んでいるのだそうだ。 「それあれだ、とり天カレーだ」 「そうそう。今月のご当地メニューだって。美味しそうだから買ってみた」 「俺もそれと迷ったんだよなー。結局しょうが焼にしたけど」 「しょうが焼もおいしいもんね。悩むのもわかるわかる」 いただきます、とスプーンを持ったまま両手を合わせた。ぱくり、と久し振りのカレーを口に含む。ぴりっとした辛みに若干眉に皺が寄った。は辛い物は割と平気な方であったが、思わず買うのを後悔したほどの辛さだった。もしカレーは甘口派の女の子が何も知らずこれを食べたなら全部食べきれなかっただろう。知らず知らずのうちにミネラルウォーターに伸びる手を見て、ははっ、と竹谷は笑った。 「辛いの苦手?」 「普通だと思うけど、これはちょっと想定外の辛さ」 「食べれそうか?」 「うーん、多分。美味しいのは美味しいから」 ありがとう、と返す。俺の水も取っていいからな、と竹谷は自分の水筒をさりげなく指した。竹谷のこういう気遣いはいつだって彼女の心をぽわんと暖かくさせた。一見、スポーツばりばりできます、性格は荒いです、というスポーツマンに多そうな印象を与える彼だが、意外と周りに目のいく人間だった。先ほどだってそうだ。偶然だろうが目にとまったに、すぐさま声を掛けて席を空けてくれた。更にその行動は恩着せがましくなく、とても自然なのだ。そういうところが彼のいいところなんだよなあと、隣でご飯をほおばっている竹谷を見て微笑んだ。 「あれ、?」 声をする方へ振り返る。と、そこには鉢屋と不破が並んで立っていた。いつの間にか増えたメンバーに驚いているようだ。自身も、このメンバーだったのか、と目の前に立つ双子にように似た彼らを見て少し驚いた。鉢屋とはオリエンテーションで一緒のグループになったことから、竹谷同様割と言葉を交わす仲である。不破とはあまり会話をしたことがなかったが、鉢屋と知り合いであると自然と不破の話しも耳に入ってくるのでそれなりに知っていた。一応、何度か面識もあり戸惑うことなくぺこりと頭を下げた。不破は、「こんにちは」と微笑みながら彼女の目の前に座った。 「なにやってんのお前」 「んと、席がないところをはっちゃんに拾ってもらった」 「ふーん。……いいのか?」 「何が?」 「いや、後悔しないのかなあと」 鉢屋の勿体ぶった言い方には首を傾げた。しかし、すぐに彼の言いたかった内容を知ることになる。このテーブルに近づいてくる影がまた二人増えたからだ。一応、挨拶せねばな、と視線をあげるとそこには尾浜と久々知が立っていた。 「あ」 と、あまりにも突然だったので声が漏れた。不思議そうに彼らはを見つめる。ここに座った時点で初対面の男子と顔を合わせることになるだろうということは覚悟していたが、まさか、彼がそこに入っていたとは思いもしなかった。鉢屋の言葉がぐるぐると頭を駆け巡る。どうして彼がそのことに気がついていたのかわからないけれど、今はそれどころではない。彼の言った言葉通り、この席についたことを心から後悔していた。固まってしまったを不思議そうにちらとみながら、竹谷は彼らに向って声をかける。 「友達の。見ての通り混んでて座れねぇから、席譲ったの」 「ふうん、はっちゃんの友達か。初めまして、尾浜勘右衛門です。よろしくね」 「どうも」 「……あ、こっちは久々知兵助。口数が少ないけど、普段からこんなんだから気にしないで」 一言だけだったけれど、彼の低い声を聞いたとき、心臓が止まりそうになった。ぽわんと、返事もできないでいると、竹谷がどうした、と顔を覗き込んできた。一気に口の中が乾いてしまったせいで、掠れた声しかでなかったが慌ててよろしく、と返事をし返した。 久々知兵助はが秘かに想いを寄せている人物その人だった。やはり、彼とも学部は違ったが、時たま一般教養の講義で見かけることがあった。所謂、一目ぼれというやつだ。会話をしたことがないと言えども、彼の噂はよく飛び交っている。陸上部のエースで成績優秀、なおかつ、見た目もいいので女子に騒がれるどころではない。そんな想い人が自分の目の前にいることが信じられなかった。口の中を占めていた辛さもすっと引いていくようだ。それに成り変わるようにじんわりと全身が緊張で汗ばんでいく。 そのまま彼らは仲間うちでの会話を始めた。明日のレポートがどうのこうの、とかバイトの話とか、今夢中になっている映画の話とか。それに混じることはできないにしても、竹谷や不破が気を使い彼女にも話題を投げかけてくれたので思ったより気まずい空気は訪れなかった。久々知の席が対極に位置していたということもあるだろう。そろそろ全員が食べ終えだした、というところで誰かの携帯が震えた。 「あ……悪い、ちょっと呼び出しくらった」 ばっと久々知が立ちあがる。彼は既に食べ終えており、鞄を肩に掛けるとごめん、というように尾浜を見た。彼はそれで気がついたのか、にやり、と笑って彼を送り出す。 「彼女でしょ、行ってきなよ」 「うん、ごめん。またあとで講義室で」 じゃあ、と彼は四人に軽く手を挙げて去っていった。鉢屋が、「あーあ」と腫れものを見るように気遣わしげな視線を寄こしてきた。は「べ」と軽く鉢屋に舌を出して、それから知っていたよという意味を込めて苦笑いをこぼした。久々知に彼女がいることは公然の事実だった。よく大学内を彼女と歩いているのを見かけていたし、ある講義では隣に座っていることもあった。だから、最初からの気持ちは叶うことはなかった。随分と前に気がついていたことではあったが、いざ目に前にするとやっぱり心は痛い。もうそろそろ彼を想い続けるのも潮時なのであろう。かちゃかちゃと残り少なくなったカレーを口に含んだ。先ほどは一瞬でもその辛さを忘れてしまっていたが、今は猛烈に辛く感じた。 「、これ食いな」 隣に座っていた竹谷が、ひょいっと水水しいオレンジを空いたスペースに移した。定食についてきていたデザートだった。先ほどからぽつんと残っていたので、嫌いなのだろうかと思っていがどうやらそれは彼女のために残していたものだったらしい。先ほどの胸の痛みと竹谷の優しさが相乗してなんとなく泣きそうになった。ちらりと視線を彼に向けると、竹谷はにかっと笑ってそれを指さす。 「口直し」 「やだな、私そんなに辛そうな顔してた」 「ん、すっげえ苦しそうだった。無理して食べるなよなー」 「そうする。今度は私もしょうが焼にしようかな」 素直に礼を言って、甘酸っぱいオレンジを口に含む。ぴりぴりしていた口内にさっと爽やかでジューシーな甘さが広がった。苦々しい気持ちまでも全て吹っ飛んでいくようだ。 「……俺にしとけばいいのに」 不意にぽつり、と竹谷が小さく呟いた。は、え、と顔をあげて彼を見る。あまりにも小さな声だったので、他の三人には聞こえていないようだったが、それは正しく彼女に向けて発せられた言葉だった。その真意をつかみかねて、は首を傾げる。目が合った瞬間、竹谷は困ったような照れ笑いをこぼした。 「ごめん、本音が出ちまった」 本音、とは一体どういう意味で捉えたらいいのだろうか。照れくさそうにしている彼を見て、彼女も段々と恥ずかしさが込み上げてきた。近しいようで遠かった彼との距離が変わろうとしている。口に残る爽やかな甘みが、の心を余計に乱していた。 *100605 (title by.precious days / タロットカード22のお題より) |