秋風は何故こんなにも体に沁みるのだろう。けして優しくない、かといって乱暴でもないその風音に耳を傾けながら、はゆっくりと歩いていた。日が落ちるペースも月日を重ねるごとに早くなり、夕焼けがくっきりとの顔を照らしていた。まるで血に濡れたように肌が赤く染まっている。東側の空は沈みかけの太陽の影響で不思議なグラデーションをしていた。秋の空は美しい。けれどどこか寂しい。カツカツとなるヒールの音を耳で感じながら、アパート目指して歩みを速めた。 金木犀が並んでいる道の傍を通った時、鼻に薄らとした鉄の匂いを感じた。にとっては皮肉なことにも懐かしい匂いとなる。ん、と首を傾げて匂いのした方向へがさがさ歩み寄ると、一人の男がそこに座っていた。の気配に気が付いた彼が顔をあげる。知り合いの一人だった。腹部を損傷しているのか、たらたらと足まで血は流れ続けている。 「何故、気付いた」 けして高くない声が耳に届く。手にはクナイが一つ握られていて、彼がここから動こうにも動けなかったのだということがわかった。それだけ重傷なはずなのに強がりが言えるなんて彼らしい。は苦笑いを零して、彼に近寄った。 「途中で引退したからって嘗めないでよ、サスケくん」 携帯用の真っ白い包帯を取りだす。血を止めることをまず第一にして、患部をぐるぐると包帯で巻いた。青々とした顔色は大分血が流れてしまったと言う証拠だ。印をつくって、一匹の犬を呼び寄せた。現役を引退してから随分経ったが、やってみると意外とできるものらしい。久し振りに呼び寄せられた忍犬は彼女の姿を見てぱちくりと大きく目を瞬いたけれど、周りに他の人物がいることに気が付き、納得と言わんばかりに目を細めた。もその忍犬の頭を軽く撫で一瞬微笑みかけると、早速命令を下した。 「至急、サクラちゃんか医療忍者の方を呼んで」 「了解」 ざっと風のように彼は消えていった。応急手当をして、罰が悪そうに座り込んでいるサスケに話しかける。 「サスケくんが怪我なんて、珍しい。どうしたの」 「ペラペラと自分の失態を話す馬鹿がどこにいるんだ」 「それもそうか。でも、よかった。見つけられて。このままずっとここにいたら恐らく死んでたよ」 「その前に自分で手当てした」 口だけはいつまでも強がりだ。見たところ携帯用の包帯も真っ赤に染色されていて、とても使い物になっていない。頑固なところは相変わらずなんだな、と彼にはわからないように小さく息を吐いた。が彼と同じ時間を共有していた時は彼の見た目ばかりに目がいってそんな中身なんて観察してはいられなかった。けれど、後に思い返せばやっぱり昔から彼は強がりでかっこつけだった、という結論を出すことができる。 そんなうちはサスケと再会したのは、今から二年も前のことだ。里を飛び出した彼がナルトという一人の青年を介してこちらの里に戻ってきた話は至極有名である。随分と要らぬ噂が飛び交い、警戒もされたが、今のところ彼は大人しくナルトの元についていると聞く。否、ついているというのは表向きのいい方であの二人には上下関係など存在しない。対等に、けれど平等に、こちらに帰ってきてからも里を守るために尽力していると聞いた。にとってはそれだけでよかった。彼がこうして無事に生きていてくれるというのであれば。だから、本当はこんな風に近づくつもりも毛頭、なかった。血を流しているところを全く気にも留めずスルーできる技術が自分に備わっていれば今回みたいに鉢会うこともなかったのだろうけれども、仕方のないことだろう。 の初恋はうちはサスケだった。数えることも難しかったほど沢山いる恋敵の中で、ひっそりと彼のことを想っているタイプの人間だった。直接、口を聞いたことも数える程度でしかなく、目があったり同じ部屋にいるだけで心の中で勝手に盛り上がっていた。彼が里を抜けて、青年を経て大人になっていく過程があったように、も同じく少女から大人へと変わっていっていた。忍として働く一方で、上が彼の近辺をこれでもかというほど探っていたことも知っていた。心の中で気がかりではあったけれどその探索チームに組み込まれるほどの能力は高くなく、いつも見守ってばかりだった。そして、二年前に彼が帰還した。様々な批判が浴びせられたが、それでも彼はこうして木ノ葉で生活している。 長い黒髪が目につく。伸ばされたそれは、うっとおしそうだったけれど艶がありとても綺麗だった。体格もがっしりと角張っているくせに足などは細く、もはや子どもの頃のように丸っとした柔らかそうな身体ではなかった。あの頃の面影はもう見当たらない。だが、の心はそれでも十分に乱された。 何を話そうか、と思案している間に沈黙ができてしまった。大人になって随分としゃべりが達者になったではあったが、それでも過去の人を前にして普段のように口が回るわけもなかった。痛々しいと少なくともは感じる無音の空間が続く。不意に彼の視線がの手元へ移動した。彼の目が静かに見開き、なんともいえない曖昧な笑みを口元に浮かべた。 「結婚したんだな」 「……え」 「指輪」 左手の薬指に光る小さな輝きが二人の目を支配した。キラキラと光沢を主張させるそれに、は一瞬その存在を忘れていたことを自覚した。胸の高さまで手をあげて、手のひらを内側にして彼に見やすいようにそれを見せた。何年も前に交わした約束の印だった。 「うんそうなの。綺麗でしょ」 「ああ」 「サスケくんは、しないの」 過去のことがあろうと、彼の今の活躍ぶりを見ていれば女性も放ってはおかないだろう。そういう意味を込めて言ったのに、彼は皮肉気に一つ笑みを零しただけだった。 「したいと思う女はいない」 真っ直ぐ目を見つめられた。視線の鋭さに、逸らすこともできずも彼を見つめ返す。その言葉の真意を悟ろうとして、ぷるぷると首を振った。これ以上先は許容範囲外だと咄嗟に感じた。取り繕った笑みを貼りつけて、彼に向き直る。 「サスケくんならすぐ見つかるよ」 「そうか」 「うん、大丈夫」 何が大丈夫なのだろう、口から出た言葉に自身が突っ込みそうになった。サスケもきっとそのような言葉を期待して先ほどの話題を振ったわけではないはずだ。だが、他に答えようがなかった。気まずい空気を掻き消すかのように、一人の女性の声がした。サクラだ。額に薄らと汗をかきながらも、金木犀の裏側に隠れたこの場所に入ってくるなり真剣な表情でサスケの前に座りこんだ。患部を見て顔を顰める。 「どうしてこんなになるまで手当てしなかったの」 「できなかったんだ」 「ツーマンセルのもう一人は」 「……先に帰した」 「サスケくん、頑固にもほどがあるよ」 二人がそう言い争っている間をそっと抜けて、は傍らに置いていた買い物袋を手に取った。あとは里でも腕の立つサクラに任せれば大丈夫だろう。言い合いするほどの元気もあるようだし。後ろで彼らの様子を見ていた忍犬にこっそりお礼をいってそのままその場所を跡にした。もうきっと彼と二人きりで言葉を交わす時はないはずだ。それでいい。それでいいのだ。心の地盤を求めるかのように、は急いで家に帰った。暖かい家庭の中で疲れた旦那を迎える、そんな日常を取り戻すのに必死だった。 崩壊していく *101113 (title by.precious days / タロットカード22のお題より) |