むっつり、と目の前で腕を組んでいる女性はひたすらとある一点を睨み続けていた。うっすらとしたピンクのチークや、甘い匂いのする香水などばっちり着飾っており、にこりと微笑めばそれはそれは可愛らしいと形容するにぴったりの容姿なのだけれど、その表情が全てを台無しにしていた。夏になったらうようよ出てくるナンパ師でも、今の彼女なら遠慮することだろう。睨まれている本人―不破雷蔵は、どうしたものか、と頭を悩ませていた。と不破は付き合い始めてもう三年にもなる。高校からの知り合いで、友達だった期間も長くかった。それなりにお互いのことを理解してから付き合い始めたため、彼としては順調に付き合い続けている、と思っていた。高校を卒業し、お互いに大学、専門学校と進路は別れたものの、別段、県外にでるなど距離が生まれたわけでもないし、それなりに連絡も取り合っている。今日もこうやってたまの休日に映画でも見ようか、と彼の方から誘ったのだが、どうやら雲行きは最悪。からっと外は晴れているのに、この映画館に隣接したカフェテリアは豪雨のようにぴりぴりとした空気が流れていた。

 つつ、と暑さによってグラスから流れる水滴を目で追う。彼女がこのように怒ってしまった理由がどこにあるのか、不破にはさっぱりわからなかった。数時間前のことを思い返してみる。最寄りの駅で待ち合わせをして、電車に乗り、映画館へ。甘いものが好きな二人なのでキャラメルポップコーンを二つ購入し、そのまま新作のファンタジー映画を見た。映画の印象もド派手なアクションだけでなく終わりはすっきりしていて見やすかったのでそれなりに良かった。そのときはまだ彼女も楽しんでいたように思う。そして、そのまま昼食を食べようか、とこのカフェに入ったのだが。不破が注文をしている間に、みるみるうちにこのような顔になってしまった。……いったい、どこが悪かったというのか。気まずい沈黙を破ったのは、彼女の意外な一言だった。

「ごめん、ちょっともう帰るわ」

 突然の言葉に、不破は目を見開いた。え、と鞄を手にして立ちあがろうとする彼女を見た。彼女がこれほどまでに頭に来ている理由がわからなかったが、このまますんなりと帰すわけにもいかなかった。自分に否があるならきちんと言ってもらわないとわからない。立ち上がり、一歩踏み出した彼女の手を掴んだ。

「僕、何かした?」

 自然と普段よりも少し声が低くなってしまった。彼の声には苦く顔を歪ませる。しばらく無言のまま見つめ合っていたが、不破が堅く握った手を放す意志がないということを悟ると、そのまま軽く息を吐いて向い合わせのいすに戻った。内心、不破はどきどきしていた。元々、はそんなに短気な方ではない。どちらかというとしっかりもののお姉さんという感じで、わがままも言わない素直な子だった。このような態度のを見るのは初めてのことのように思う。今まで全く喧嘩をしなかったというわけでもないが、大概どのような理由が気に触り、どうして相手が不満を露わにしているのか、お互いに少なくとも要因程度はわかっていた。だからこそ、元の関係に戻るのも早かったのだ。真っ直ぐ彼女を見つめる。先ほどは、顔にありありと怒っています、と書いてあったのだが、今は反対に少しだけ悲しそうな顔つきになっていた。彼女の心の変化を見て取って、不破は更に不思議に思った。

「無自覚って、最低」
「は?」
「って、ね。雷蔵は悪くないんだけど」

 いきなりきつい言葉を吐いたに、思わず呆けた声で聞き返してしまった。はカラカラと氷を鳴らしながら、手つかずだったミルクティーをストローでかき混ぜる。らしくない様子に、彼女も居心地の悪さを感じているのだろう視線をドリンクに集中させたままこちらを見ようとはしなかった。

「ごめん。気持ちが高ぶっちゃって、抑えられそうにないから帰ろうと思ったの」
「……気に触る様な事、した?」
「ううん、違う」

 歯切れの悪い言い方をする。言おうか言わまいか、迷っている様子だった。言いたくない、という気持ちが圧倒的に強い。けれど、言わないままでもいられない。そういう矛盾の中に彼女はいるのかもしれない。

「雷蔵は優しすぎるんだよ。誰これ構わず助けたり心配したり、そこがいいところなんだけど、あんまりにも自分が人気があることを自覚していない上でそう接してるところがむかつく」
「そんなこと」
「あるよ。さっきの女の子達だって目、ぽわんとさせちゃってさ」
「……嫉妬?」

 先ほどのカウンターでの応対を思い出す。道がわからないと言っていた大学生の女の子達と話していたのを見たのだろう。なんだ、と不破は小さく息を吐いた。とんでもないことを言われるのかと思った。最悪、他に好きな人ができたから別れる、とかそういう事態まで想像してしまっていた。明らかにほっとしたような不破には自分の発言を軽んじられたような気がしてむっと眉をひそめた。嫉妬を告白したことへの羞恥心もそこに合わさってより若干早口で呟いた。

「……それ以外になにがあるっていうの。だから言いたくなかったんだよ。こんな子供地味た気持ち」
「言えばいいよ。はいつも抑え過ぎなんだ。少しくらい嫉妬される方が僕としては嬉しい」
「雷蔵のは親切心からなる優しさだもん。いちいち嫉妬してる自分が恥ずかしいよ」
「可愛い、と思うけど」

 不破は、ね、と安心させるようにに向って微笑んだ。ふんわりとした彼独特の笑みを見て、彼女はバツが悪そうに苦笑いする。彼女の中の怒りがしゅるしゅると収まっていくのがわかった。

「雷蔵はそういうと思った。そういうところも含めて、優しんだ。でも、言ったところで他人に優しくしないなんてできないよね」
「うん、それとこれとは違うから」
「だからさ、言ってもしょうがないことは言わない方がいいでしょ」

 即答した不破に、彼女は自嘲地味た笑みを浮かべた。そして、わかったことがある。恐らく、今回が初めてではないのだと。今まで幾度も彼女はこの感情を抱えてきたのだろう、と。しかし、今まで口にすることが無かったのは、自分の感情が独占欲や嫉妬心から成るものだとはっきり理解していたから。彼女はどれだけこの気持ちを抑え続けていたのだろう。口にすることで、漏れてしまう自分の身勝手さ、それら全部を彼女は抱え込んできたのだ。そう思うと、不破は胸が苦しくなった。

 彼女の言動が我儘ではない、とは言い切れない。しかし、それは不破にしてみれば可愛い嫉妬だ。言われて嫌な気持ちがするどころか、むしろ彼女に好かれているのだとより深く感じることができる。更に、自分にも似たような感情が蠢いていることを知っていたので迷うことなく彼はこう告げた。

「どうしようもないことなのかもしれないけど、貯め込んでがそんな辛い気持ちをするのは嫌なんだ。僕はこういう性格だし、それを悪いとも思ってはない。けど、僕が一番優しくしたいのは、だっていうことに変わりはないから。だから、が嫉妬しなくて済むくらいうんと優しくする。ごめんね、今まで気付かなくて」
「雷蔵」
「うん?」
「そんなこと言って、恥ずかしくないの」
「……結構恥ずかしい、実は」

 顔を赤く染めた不破に比例するようにも慣れない言葉をもらったため頬を薄く染めた。ありがとう、とピンク色の唇が紡ぐ。はは、と恥ずかしさを堪えるように鼻をかきながら苦笑いする不破には今日初めて心からの笑みを見せた。




自然の流れに

身を任せてみたら

*100605  (title by.precious days / タロットカード22のお題より)