☆ このお話はGiedさま(18禁、高校生不可、BLサイトさま)原作のキャラクターをお借りしております。また同時にキャラクターの背景を勝手に想像させていただいております。原作とはあまり関連がないものとしてお読みいただけると幸いです。


 喉を引きつるほどの痛みが押し寄せる。むんむんとした甘ったるい匂いが場違いの様にこの場所に充満していた。バレンタインデー、というのは英国では男子が女子に対して花束を贈る日だということは承知の事実である。けれど、近年米国との貿易で急激に経済発展を遂げているどこかの島国では異なる風習として捉えられているようだ。それをうっかりもちこんだのはテオにチョコレートが欲しい欲しいと嘆いていた看守のノア。あまりにも渇望するので、あっという間に館内に広まってしまった。被害を受けたのはどうやら彼だけではないらしく、一部の女看守たちもそれに付き合わされている。囚人たちに愛の手を、騒ぎ立てる男たちに苦笑いを隠せない。俗世から隔離されているということを自覚しているはずなのに、看守である自分にそれを求めるなんて全くもってお門違いだ。送られてくるのであれば話しは別だけれど。フィオナと揃って要求を一蹴りしていると、普段から料理愛好家で有名なルーカスが無駄に美味しいチョコレートケーキをばら撒いていた。むしろ自分が欲しいくらいだ。

さーん」

 見回り兼ねて暇つぶしに牢を回っているとフィルが甘い声を上げる。彼は歳の割に幼く見えておねだりというか、可愛子ぶった誘惑が得意だ。麻薬密売として犯罪を犯していたのだから、頭も外見に似合わずキレるはず。とんでもない男達がうじゃうじゃ居る中で比較すると大人しい方ではあるが、自身はあまり得意ではない。なんだ、と振り向けばひょい、と両手を差し出した。

「ハッピーバレンタイン!」
「うざっ」
「……ひどい」

 素っ気なく返しカツカツとその場を通り過ぎようとしたらうあああ、と嘆くような叫び声が聞こえた。煩い。牢は何十メートルも筒抜けの形なので冷たい廊下によく響く。仕方なしにフィルの前まで戻って一言、黙れ、と零せば涙でうるんだ顔がちらり見えた。

「楽しみにしてたのに、看守さんが今年はチョコレートくれるって」
「ルーカスからもらってたじゃないか。私はそっちの方が羨ましい」
「そりゃあ、ルーカスさんのくれたチョコレートはおいしいよ。けど、さんからもらえるチョコレートは倍以上の価値があるんだ」
「……アンタ、ドラちゃんはどうしたの。ドラちゃんは」
「ドロシアちゃんは孤高の存在。もらえるなんて期待はしないよ!僕の方から看守さんに頼み込んでバレンタンデーギフト贈ったしね。あとはさんからもらえればサイコー」
「贅沢言うな」

 そしてそのドロシアとの格差はなんだ、とも突っ込みたくなったが、明らかに彼女の方が見た目も中身も勝っているのでとやかくは言わない。女のでもドロシアの魅力にはほだされそうになる。美形の男―例えば性格に問題はあるが、顔がいいには違いないノアなど―は適当に流せるだったが、美女にはとことん弱い。もし自分が男だったら翻弄されて終わりだろうと、女に生まれてきたことが幸運に感じる。ぶうぶう、と頬をふくらまされている三十路を過ぎた男に冷たい目を向けると、にやり、と彼の顔が歪んだ。

「でも、僕知ってるんだ。さんの鞄にチョコレートが入ってること」
「……どこの情報よそれは」
「否定しないってことは当たりってことだね。ふーん、偶には正しいこというんじゃないか」

 顔には出さないが図星なので、情報源を確かめようと厳しい面構えになった。にやにや、と面白そうな顔つきになり、絶対僕だと思ったのになー、と零すその口に拳銃を押し込みたくなる。チョコレート本体は鞄の中にあるので、知っているとすれば昨日共に作ったフィオナか、それとも仕事場の看守か。大体、犯人が特定できたような気がしてはあと息を吐いた。後で絞める。

「渡せるといいね」

 弓なりに曲がった細い目が酷く憎らしかった。





 真冬の刑務所は歩き回るのが厳しくできることなら遠慮したいのだが、そうもいかない。所帯を持っている者はこういう記念日には帰りたがるだろうし、代表であるルーカスはすたこらさっさとクロードの目をすり抜けて帰宅していた。自分だってそのような相手はいないものの、定時で帰ってしまいたい気持ちは殊更強い。しかし現実は厳しいものでそう簡単にはいかなかった。カツンカツン、と電灯を持って歩いていると虚しさばかりが染みわたる。月明かりが漏れているある一角では足を止めた。ぐうぐうと寝息の聞こえるおっさん達の間にもぞりと動く長い足が見える。周りに聞こえない程度の声で名を呼んだ。

「パトリック」
「……何か用かい、看守さん」
「また眠れないのか」
「見て分からない?」

 万年不眠症である彼の目元には大きな隈が出来ていることから、今日も起きているであろうことを知っていた。冷たい風が吹き抜ける中じっと彼の牢の前で止まっていたら、不信そうにもそもそと這って鉄格子の前まで寄ってくる。大きな瞳が彼女の姿をとらえた。それだけでごくりと喉が鳴る。

「……憎たらしいな」
「僕が君に何したって言うのさ」

 訳がわからない、と首を傾げる。パトリックは常日頃からこまごまとした盗みを働いていたが、けしてがターゲットになったことはない。たいてい狙われるのは仕返しの大きいテオか、囚人仲間かのどちらかである。憎い、と言われることに慣れてはいるものの思い当たる節がなかったのでますます不信に思うばかりだった。の言葉の意味を彼が理解するはずは無いのは分かっていたので、彼女はふっと当然だろうというように微笑んだ。

「……そーいえば、看守さん、チョコレート、渡したんだって?こんなとこで遅番やってるなんて上手くいかなかったの?」
「フィルに聞いた?」
「大声で騒いでたから、聞こえたよ。僕んとこに来たのは腹いせかなにかかな」
「上手くいかなかったかどうかは黙秘するけど、その勘は当たってるよ」

 ほれ、と彼女は手元にあった小さいピンク色の箱をパトリックに差し出した。え、と彼の息が詰まる。目の前にあったのは確かにチョコレートだった。綺麗に包装されていて、開けた後もないまっさらの。交互に彼女と箱を見渡して、静かに手を伸ばした。瞬間、触れた指先はどちらも冷たかった。

「もらってくれなかったんだね、可哀相」
「どう勘違いしてもいい。いるか、いらないか」
「……毒とか入ってないよね。君に恨まれる筋合いはないもの」
「味の保証はフィオナのお墨付きだけど」

 彼女もまた料理が上手い。誰に渡したのかは知らないが、熊型のこったチョコレートを作っていた。パトリックはその言葉に確信を得たのか恐る恐るワインレッドの紐を開いて、中を開けた。ココアクッキーが数枚入っている。

「チョコレートじゃないんだ」
「長い間放置していたら溶けるでしょう」

 ふうん、と軽く零してパクリとそれに食らいついた。もごもごと動かす唇を黙って見つめる。変な顔はしていなかったので、それなりに味は良しと判断しよう。小さかったのですぐになくなってしまったら空箱を回収して―翌朝、テオにでも見つかったら最悪なので―は立ち上がった。美味しいの言葉もなかったけれど、食べてもらえた事実には変わりがない。体のいい廃棄処分だよね、と呟いた彼の言葉にうっさいと一言投げつけた。悟らせてなるものか。ぐじぐじと痛む心臓をぎゅうと押さえつけたくなった。

「……来年も、失敗したら持っておいでよ。ギブアンドテイクで秘密は守ってあげるからさ。こう見えて看守さんのことは気に入ってるんだ」
「失敗したら、ね」

 そんなことより、さっさと仮出所目指しなさい、とは言えなかった。それが彼女の一番大きな願いであったけれどもそれを口にしてしまうのは彼女の気持ちを吐露することに等しい。言葉に出来ないことは辛いが、言ってしまった後のことを考えるのもより苦しい。一点の光さえ見えない暗闇の中を渡り歩くことは自分にとっても酷くもどかしいということは分かりきっていた。しかし、それでもこうした少しの会話をかわせる分には止まることなどない気持ちだった。



今が辛くても、

努力した分は無駄じゃない

*100207  (title by.precious days / タロットカード22のお題より)