涼しい空調が効いた部屋の中は静かだった。何年も通い慣れている食満の部屋を我が物顔で占領するようになったのは、何時頃からだったろうか。切欠すらよく覚えていないほど、昔のことだったように思う。ごろん、と食満の匂いがするブランケットを体に纏いつけて横になった。コンビニで買いこんできた昼食と、お菓子を無造作にテーブルに並べている食満をじっと見る。 食満との付き合いは幼少期にまで遡る。幼馴染か、といえば、それほど仲が良かった記憶はない。小さい頃は、はとても引っ込み思案だった。周りに男兄弟がいないからだろう、同性の子ならまだしも男の子に対して酷い人見知りをしていた。だから、当然、食満留三郎という人物とも顔は知っているけれど会話はしたことがない、という冷やかな関係だった。 けれども、歳を重ねるごとに二人の距離は近づいていった。段々と心が大人になっていくにつれて、男という異性の真相が明らかになっていったのだ。乱暴で、喧嘩早くて、口が悪い。その点がを男子から敬遠させていた主な理由だったのだが、なるほど、男とは単純な生き物で目の前にいるのが自分とは異なる性の人間なのだということを悟ると、そういった部分を女子に曝け出す様な事は少なくなった。もちろん、例外もいる。が、目の前にいる男はそれに該当しなかった。だから、距離を縮めることも上手く出来た。家も近く、話す機会も多い上に気があってしまったのだから自然と二人は付き合うようになっていた。 「、甘いのとしょっぱいのどっちがいい?」 彼の手にはチョコレートとポテトチップスが握られていた。しょっぱいの、と即答すると器用にビニールの真ん中を二つに裂いた。はいつも真上から裂いてしまうので、食満は嫌そうに文句を言ってくる。それじゃあ食べにくいだろ、腕がべとべとになる、とかよくわからない細かいところを気にする性分らしい。そんなことで怒られるのも納得いかないし、ついつい自分も要らぬことを返答してしまうのでそれからは食満に任せることにしている。二人でつつくものに関しては特に。 「ねえ、携帯鳴ってる」 はぴかぴかと小刻みに点滅して、メールが届いたよ、ということを主張する黒っぽい機械を持ち上げた。うん、と食満は生返事をして空いている右手を差し出す。目線は既に雑誌に落ちていた。毎月彼が購読しているそれには、洋楽を聞くことがないにはどれも同じに思えるバントの名前が陳列している。流行りの歌でさえ疎い彼女にとって、洋楽なんて未知の世界だ。食満はそれを酷く好んでいるようなので、一つや二つくらいは耳にしたことのある名前もある。だが、すぐに忘れてしまうのだ。英語の歌詞なんて頭に入らないし、記憶に残らない。それどころか、英語も得意じゃない癖にかっこつけてんな、と彼の広い背中を殴りたくなる。そんなことをしたら、自分の勝手だろう、という返事するのは目に見えているので、もうしなくなったけれど。 もう一度、ん、と催促するように彼が鼻を鳴らす。今にもだらりと下がりそうなその手の平に、そっと携帯を落とした。 「誰?」 「伊作」 「仲良いねー……ほんとに」 こうやって問いかけると大体彼の口から返ってくるのは、善法寺伊作、という同じクラスの友人の名前だった。はどちらかというとメールに関しては不精な方なので、女友達とでもそう頻繁にメールのやり取りをしない。もちろん、目の前にいる彼ともだ。そんなに頻繁に連絡するような内容もないので、必要性が見いだせない。だから、男同士なのにこんなに常日頃からメールをやりとしているなんて、相当仲が良いんだろうなと常日頃思っていた。もっと淡々としたものじゃないの男同士って、とも思うのだがそれは聊か偏りすぎた見解だろうか。解っていても、不思議に思ってしまう。食べかけのポテチを口に入れた。ぱき、と堅いチップスが割れる音が響く。カコカコと文字を押す機械的な音を打ち消すかのように、ぱき、ばり、と派手に噛んだ。 「なんだ、妬いてんの」 「誰がよ」 「お前がだよ。拗ねてるように聞こえたから」 「拗ねてないよ。頭おかしいんじゃないの」 食満の視線は携帯に向いたままだ。文字を打ちながら、会話をしている。器用な奴め、と心の中で不満をぶつけながら枕に顔をうずめた。別に、彼がその善法寺伊作という人間とメールをしていることが異常に多いからということに腹を立てているわけではない。きつい言葉で強がって見せると、パタン、と携帯の閉じる音がした。その数秒後に今度は先ほどよりもより近い場所でギシリ、とスプリングが跳ねる音が聞こえた。 「嘘ついてんな」 暖かい温もりが上からゆっくりと落ちてくる。食満がその逞しい体を押しつけてきた。重い、と微かに唇を動かしながらは抵抗を見せる。それを軽く笑って跳ねかえしてから、包まっていた薄いブルーのブランケットを剥がし始めた。スカートはもみくちゃになって太ももまで捲れているし、そもそも生足なのに何をする気だと慌てて彼の手を押さえつけるが、それは無駄な動作だった。青年が出す本気の力の前ではかなうはずもなく、あっさりとブランケットは食満の背後に追いやられてしまった。先ほどまで熱心に雑誌や携帯を見ていた目が、今度はだけをじっと見ている。食満の視線は三白眼だから鋭くて、痛い。心臓が早鐘を打つようにどくどくどくと煩く動き出した。観念しろよ、とその目が言っている。軽くため息を吐いて、心中を白状した。 「……嘘付きました。けど、別に伊作くんに嫉妬してたわけじゃない」 「そうなのか?」 「仲がいいのは良きことだもん。たださあ、いくらずっと長年一緒にいるからって、彼氏の家に遊びに来てるのに一方は雑誌、一方はベットで不貞寝なんて嫌でしょ」 「着いてそうそう、ベットにもぐりこんだのはお前だろ」 てっきり伊作に妬いてるんだとばかり思っていた、と意外そうに彼は目を瞬く。そんなに嫉妬深い女じゃない。不満気味には彼を睨んだ。ただ、ベットにいち早くもぐりこんだに続くようにして自分もさっさと買って来たばかりの雑誌を手に取り読みふけっていた点はさすがに自覚しているのか誤魔化すように口元を緩ませて顔を近づけてきた。 「ん。なら構ってやろうか」 堅い手のひらが肌の上をゆっくりと滑っていく。このままだと会話も有耶無耶になってしまう危険性があったので、食満の体を押し返しながら寝転んでいた上半身を起こした。腹筋を鍛えてないので食満に促されながらやっとだったけれど。彼はぐいっと左手を引っ張りながら、呆れたような笑いを零した。 「そういうのは求めてないの。今日、アレだし。だいたいすぐそうやって押し倒せばいいなんて思ってるんでしょ。それ嫌」 「思春期の男は大体そんなもんだ」 「開き直るな。……つまり、いいたいのは、一緒にいる時ぐらい一緒に何かしたかったってこと、だよ。わかるでしょ?」 雑誌にも携帯にも目を向けないで、自分をその瞳に映してほしい、と。いや、今のようにじっと見つめられるのもどうかと思うのだが、せめて関心を自分に寄せてほしいのである。長い間、一緒にいるとどうしても相手のことがお座なりになってしまうのはある意味当然のことだ。食満はその辺りのことをあまり意識していなかっただろう。今までもそのようなものだった。空気のようにそこにいて当然だという当り前さが二人の中には存在するから。でも、はそれに不満だった。彼と過ごすことは近々当り前ではなくなるのをわかっているからだろうか。最近、特に切にそう思う様になった。 「そか」 食満は一つ頷いて、ベットから体を起こした。 「じゃあ、は何がしたい?」 「留としゃべりたい。学校のこととか、伊作くんのこととか、なんでも」 「……」 「何よ」 「いや、素直なお前ってちょっと気持ち悪い」 付き合いが長いだけあって、お互いに意地の張り合いをしっ放しの子供っぽいところもある。現に食満のいうようにが素直に心情を吐露することは一年に一回あるかないかくらいだった。らしくない、ということをわかっていながらも恥を忍んで口にするのはそれだけ想いが強かったのだということを食満はわかっているはず。おいで、と彼は両手を差し出した。彼の言い草に文句を口にしたいところをぐっと抑えて、はすぽん、と股の間に収まった。 「意地っ張りな私の方が留は好きなの?」 「どっちでも。はだろ」 せめてもの攻撃に、とそう意地悪にも問かければ即座にそう返答された。ちゅ、と軽く頬に押しつけられた唇の感触に顔を赤くさせながらもは緩く微笑んだ。 *101125 (title by.precious days / タロットカード22のお題より) |