お昼休みの教室は、いつになく騒がしい。三十分前までは初老の教師の声だけが響いていたこの空間に一瞬にしてさまざまな色があふれ出した。は食後のデザートにと食べ掛けのポッキーをぽくぽくとつまみながら、買ったばかりの雑誌に目を通していた。このワンピースかわいい、と色白でほっそりとしたモデルがきこなしている夏物のそれを眺めがら買い物の算段をしていると、頭上にうっすらとした影が二つ現れた。ひょいと机の上に投げ出していた袋からポッキーが二本奪われる。誰に盗まれたかなんてすぐにわかった。

「ブン太さあ、一言ちょうだいって言えないの」

 くるり、と呆れたように振り返って息をのんだ。こうしてのおやつを横から勝手に取っていくのはほとんどといっていいほど丸井ブン太がその犯人だった。だからこそ、今回もそうだろう、と振り向きもしないで勝手に確信し、攻めるような口調で小言を零したのだが予想していなかった人物が背後に立っていたため言葉を失ってしまった。

「ああ、すまんの。ポッキー貰う」

 ぽくぽくとまるでリスみたいにポッキーを口にする仁王はどこか可愛らしくて、ふっとは顔を歪めた。そしてすぐさまきゅっと顔を引き締める。甘いものが苦手という印象があるのだが、人は見かけに寄らないものだなと意外な一面に笑ってしまいそうだった。丸井が彼女のお菓子を横取りするときに彼も隣にいることは珍しくないのだが、今まで俺も、と強請ってきたことは一度もない。丸井のように毎日口にするほど好きと言うわけでもないのだろう。偶に甘いものが口にしたくなる時が誰にだってあると思うが、きっと今の彼はそれなんだろうなあと消えていくポッキーを眺めながらぼんやりと思った。

「ブン太は一緒じゃないんだ」
「ジャッカルんとこじゃ。別にブン太とばかり行動しとるわけじゃない」
「で、一人寂しく教室に戻ってきたと。傷心の仁王くん、ポッキーまだ要る?」
「いらんわ」

 「誰が傷心じゃ」、と仁王は彼女の頭をこつんと一つ小突いて隣の空いている席に腰を掛けた。あまりにも当たり前のようにそこに座るものだから、は嬉しさと動揺が入り混じったような複雑な心境下に置かれた。普段から意識している異性が相手はなんの気がなくとも近くにこられればそれだけで緊張してしまうだろう。しかも、周りには目立ってこちらに話しかけてくるような人物もいないので残りの休憩時間はこのまま仁王と二人でいなければならない。きつい、と正直は思ってしまった。一方的に感じている気まずさを排除するようにポッキーに続けざまに手を出した。ほんのりとした甘さと緊張で今度は喉が渇いてきてしまった。

 そんなに仲が悪いというわけではない。知り合いのクラスメイトから友人の間をふよふよと行き来しているようなそんな関係だと勝手に彼女は思っている。どちらかといえば、やはり異性といっても話しかけやすい丸井と元々交流があり、その付属品として同じクラス且つ同じテニス部で一緒につるんでいる仁王と接するようになった。丸井という潤滑剤がいなければ恐らく仁王はこのクラスでもっとも取っ付きにくい奴だろう。一目押される存在と言うか、話しかけるのに躊躇ってしまうような不思議な空気を纏っている。彼も彼で滅多に他人に話しかけたりはしない。

 何を話そうか。話題につまり悩んでいたけれど、仁王はポケットからi-podを取り出し、自分も雑誌を読みはじめた。ファッション誌ではなく、テニス雑誌だ。テニス部だと知ってこそいたが、真田みたいに普段からテニステニス言っているわけではないのでなんとなく意外だった。しかしもこのまま無言で雑誌を読み続ければいいかとほっとしていたが、それならわざわざ自分の隣に来なくてもよかろうに、と内心で溜息を零した。わざわざこうやって自分の傍にやってきたのはただの気まぐれなんだろう。それとも人が恋しかったとか。ざわざわと会話が混雑しているこの教室の中でぽつんと一人雑誌を読みふけるのはやっぱり寂しいとか。どちらにしても、彼女にとっては迷惑なことだった。干渉を嫌う猫のようなタイプの癖に。だけど、そういう部分も含めて自分は彼のことを意識している。そう、気まぐれなところも好きなのだ。だったら彼は自分のことをどう思っているのだろうか。自分は彼にとってどのような存在であるのだろうか。

「私、やっぱり仁王のこと好きみたい」

 気がついたらその言葉はぽろりと口に出ていた。音楽を聞いていたはずの仁王にもそれが届いていたのか、一瞬でぱっと驚いたようにこちらを見た。あまり驚愕や焦りという感情を表に出さない彼にとってそれは珍しい反応でこそあったが、はまだそこまで彼のことを知りつくしてはいなかった。ただなんとなく、こんな表情もするのだな、と自分が先ほど呟いた言葉の重大さも忘れて目をくるんと見開いている仁王をじっと見つめた。その視線に耐えかねたのかちろりと彼は目線をそらして、しかしはっきりとした声色で一言返した。

「俺も」

 ああそうか、と返ってきた言葉に納得する。仁王も自分のことが好きなのか、と。だから大して用事もないのに傍にいるのか、と。そこまで考えたところで、ぴたりと彼女の動きが止まった。

「なんだって?」
「じゃから、俺もそうなんじゃって」

 からかってもいない、真顔だった。先ほどはあまりにもすんなりとした受け答えに驚く暇もなく一度納得してしまったが、よくよく考えると信じられない。なにより易々と告白してしまった自分が信じられない。そんな内心が表情に出ていたのか、呆れたように仁王はパタンと読みかけの雑誌を閉じてこちらへ改めて向き直った。

「お前さんから言うたんじゃろうが」

 冷たい手がそっとの右手を覆った。今の季節は夏のはずなのに、あまりにもその手が冷たくて触れた瞬間ぴくりと肩が動いた。敏感な反応を示す自分に、くすりと彼は口の端を持ち上げて笑った。そして、最後の仕上げと言わんばかりにそっと呟く。

「好き、じゃ」

 こんな予定ではなかったというのに。思わぬ事態には対応しかねていた。根本的には自分の一言が原因であるのだがそんなことさえも棚に上げて、なんで仁王はそんなことを口にしているのかとさえ考えていた。異常なほど早く心臓が脈を打っていることが分かる。身動きもとれず、触れ合っている右手に視線を落としたままどうしようとそればかりが頭を駆け巡っていた。「あんな、ここ教室だぜい」と呆れたような目でこちらを見ている丸井に気がついたのはこの後数秒後の話しだった。



真実の探求、

核心はすぐそこに

*100704  (title by.precious days / タロットカード22のお題より)