夕日が段々と沈んでいく。真夏の六時半くらいは暑さでうだるような日光がようやく大人しくなって、涼しい風がふぁさりと顔を撫でていく一番好きな時間帯だった。夏休みということもあって、部活帰りでへとへとになった学生が沢山通り過ぎていった。大変ですねえ、とは心の中で零しながら並んで歩く影を見上げる。もう少し、だという気がした。その影がいつ遠くに行っても可笑しくはない。スーパーの袋を二つもひょいと抱えている元親のTシャツの裾を空いている手でぐしゃ、と引っ張った。ん、と彼が振りかえる。笑顔でいる自信はなかった。



 戦国時代の武将だと自称している長曽我部元親がの家にやってきたのは大凡一ヶ月前のことだった。日曜日の優雅なランチタイムに突然、家の襖を突き破ってやってきた。どろどろの赤黒い血液を体いっぱいに付けて、大きな碇を肩に担ぎ「ああん?」なんて襖を台無しにしてくれた癖にどえらい顔で睨まれたのだからなんの冗談かと思った。しかも上半身はほとんど剥き出し乳首丸見えで、露出狂の上に殺人者かよ、とどこから突っ込んでいいのかわからない格好だった。身の危険をまず一番最初に感じたが、じろじろとを睨みつける彼はぽつんと小さな声で零したのだった。

「ここは、どこだ?毛利の野郎はどこへいった?」

 「毛利、って誰」、との心の中はそればかりだ。表札の前にはきちんとと書いてあったはずだし、無断で侵入しておきながらここはどこだ、とは無礼極まりない。しかし、口答えすれば殺るぜ、というオーラをびんびんに放っている元親にそんなことを口にする勇気は無かった。

「嬢ちゃん、とりあえずその口の中のもの飲みこんでくれねぇか」
「はひ」

 口に含んでいたラーメンを飲み込むべきか、どうか迷っていると思い切り話しかけられた。案外、冷静に状況を見極めている元親は自分は土佐の武将である、と豪語していた。



 それが四月の始めの頃の話。戦国武将はすっかり現代に馴染んでしまって、少し色の褪せたジーパンにシャツが様になっていた。こうやって夕飯の買い物も毎日手伝ってくれる。ずるずると楽しかった時間は過ぎていき、もう夏がやってきた。あともう少しで半年、ここにいる。半年も経つといつ彼が返ってもおかしくないと思えてきた。はそれが怖くて仕方がなかった。初めこそ元親の強面に恐れをなしていたが、今は逆にそれが誰よりも優しく見えた。

「元親さぁ、向こうに帰ったら何やりたい」
「そうだな、とりあえず、俺が居ぬ間にどれほど統一が迫っているか。その状況確認しねぇとな。時勢を知らねぇと。ま、四国はそう簡単にくたばらないが」
「ほー……殿様も大変だね」

 帰る気満々ではないか、とは口にはしなかった。既に統一された日本という国に住んでいるはその我武者羅具合が理解できなかったが、彼が命を掛けてそれを目指しているというのはよくわかっている。己の体力を保つために散々狭苦しい部屋で筋トレをしていた。嫌でもわかることだ。ただ、彼の統一への信念はやはりには理解できないところが山ほどあった。理解するつもりも毛頭もない。あまりにも時代がかけ離れていて夢物語としか思えないのだった。どこか呆れたように呟くに元親は苦笑した。

「拗ねんなって。俺らが躍起になって統一統一っていってるから今の日本に繋がってんだろ」
「それはそうだけど。……ああもう、乙女の複雑な感情を元親に言ってもわかんないから言わないっ」
「へーへー。そりゃすいませんでした」

 元親はよく年上ぶる。同い年の癖してまるで少し年の違う妹を扱うような態度でをあやした。はそれが気に入らないとよく口にしていたが、実のところは結構好きだった。自分が兄弟の中でも一番上なため甘えるということが今までなかった。それは異性の好みにもいつの間にか繋がり、どうしてもそういった懐の深さをもつような男性に惹かれていた。そう言う点で元親はそれにぴったり当てはまった。が元親に対する感情はごく当たり前に生まれていったのだ。元親もそれに薄々気がついている。が自分のことをどう思っているか。最近、無駄にべたべたしてくるのは彼女も自分の帰りを悟っているからだ、と。握りしめたスーパーの袋が重さで段々と食い込んでくる。しびれた手に視線をやって、元親はぽつりとつぶやいた。

「にしてもさ、お前も早くパンクしたチャリ直しに持って行けよ。三か月は放置してるだろ」
「だって、普段は目の前の駅で電車乗って通勤だし。自転車屋さんまで歩くの遠いし」
「俺がいねぇと食材買えない、とか不便だろうが」
「……そうだけどさ」
「な。チャリは俺が持って行ってやっから」

 彼の言葉にしょぼんとしては俯いた。それと同時に赤くなっている元親の右手が目に入る。
節くれだっている大きな手だった。とてもじゃないが綺麗な手とは言えない。日焼けをして、爪もかさかさで、いろんなところにタコや切り傷の跡ができている。手だけ、この人は現代人にしては珍しい手をしていた。の手はデスクワークのためか白く、長くて、薄いピンクのマニュキアがほんのりと色づいて綺麗だった。いかにも女の人の手、という感じだった。手一つで彼が自分とは生きる世界が違うことを感じさせられた。

「元親、手」
「うん?なんだ」
「手、繋ごう。スーパーの袋はこっち」
「ん、ああ、……どうした?」

 ネギやら豆腐やら入った比較的軽い方の袋をは受け取り、それを自分の右手で握った。反対側の左手と、元親の空いてしまった右手をしっかりと握りしめる。見た目通り、大きくて暖かい手に包まれて少しだけ安心した。

「自転車屋さんもね、私も一緒に行くから。明日の仕事帰りにでも待ち合わせしよ」
「いや、俺、やることねぇし。……昼間に持ってくけど」
「昼間に掃除洗濯全てやっておくこと。綺麗にしといてね」
「……へいへい」

 ひんやりとした風が辺りを通りぬける。恐らく、もうそろそろ元親は元の時代へ帰るだろう。なんとなく生活していく上ではそう感じていたし、元親もそう感じていた。来た時はあまりにも突然でなんの前触れもなかったのに、神様の情けなのだろうか、帰る時はなんとなくの感覚でもうそろそろだなというのが伝わるのだ。夏の夜の涼しさからかどうかわからないが、その熱気だった空気はそのまま元親を今すぐにでも連れて行きそうだった。寂しいことには変わりないけれど、どうせなら最後の最後までできるだけ近くにいたい。最後の最後まで近くにいたら、そのまま自身も向こうの世界へいけるような気さえしていた。否、気どころではない。こうして一日一日過ぎるたびにそう強く思うようになっていた。

(くっついていったら、御嫁さんにしてくれるかな……)

 ぎゅっと握りしめた手に力を込める。夕日はとっくに姿を消し、綺麗な星が一つ輝きはじめていた。




前向きで確固たるその自信

*100509  (title by.precious days / タロットカード22のお題より)