じりじりと焦げる太陽の光に目を細めながら、駐輪場へと足を運ばせる。夏休み真っ最中ではあったが、集中講義を取っていたため、未だはキャンパスへと顔を出していた。夏休みには割と多くの学生が集中講義を取るのでほとんどの学生が同じような状況であったが、のように全ての講義を取っているのは珍しい。三ターン目にしてそろそろ疲れも出てきたのか、それともただ暑さに耐えきれなくなったのか、今日の彼女の機嫌はあまりよくなかった。すかすかでところどころにしかない自転車を目で追いながら、ふうと溜息をこぼす。自分のものを見つけた時、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。 「あ……」 幼馴染の鉢屋と一人の女性だった。楽しげに笑い合っている鉢屋の姿がまっさきに目に入った。隣にいる彼女は確か、自分と同じ学部だったように思う。どちらかというと大人しめで、かといって無口なわけでもなく、親切で女の子らしい子だった。鉢屋とは入学当時から付き合いがあったように記憶している。数式は全く頭に入らないというのに、そういうことばかり記憶に残ってしまうのは一体どうしたものか。茹だるような暑さの中、最も見たくないシーンを目撃してしまったことでより一層気分が悪くなり、ぷいとそのまま顔をそむけてペダルに足を掛けた。 進みだす自転車にふわっと髪の毛が靡いた。少しだけ顔にかかる風が涼しい。 「あんな三郎の顔、久し振りにみたな」 先ほど目に入った光景が脳内をぐるぐると循環していた。鉢屋に彼女ができたという噂は聞かないが、恐らくそうなるのも秒読みだろう。なんとなく甘い様なそういう雰囲気が彼らの中には合った。苦々しい気持ちが心に充満する。こんな気持ちになるのも、最近は当り前の出来事であった。 と鉢屋は小学生のころからの付き合いだった。家が近所ということもあり、小さい頃はほとんど毎日のように遊んだ。自分自身、男勝りな性格をしていたので、鉢屋に付き合って近所の男の子たちとちゃんばらごっこ、ガッチャマンごっこ、色々な悪戯までこなしてきた。中学までは近くの公立の学校に通っていたが、高校は学力の差というものが顕著に表れ、一旦離れてしまった。けれど、自宅自体は変わることはなく、いつの間にか鉢屋が行きたいとこぼしていた大学へ向けて、一緒に勉強するようになっていた。変わったのは大学に入ってからだった。高校では許されなかったことがどんどん自由にできるようなっていく。元々見目がよかった鉢屋は、独自のセンスとかけ合わせながらすぐに女子の目を惹く青年になっていった。自宅もここから通うには少し距離があったのでお互いに一人暮らしを始めた。すると、同じ大学になってより一層距離が縮まるかと思えば、逆に大きく離れてしまっていた。 「私と三郎を近づけていたのは、家が近いからだけだったとか」 虚しすぎるだろう、と心の中で零す。かといって、用もないのに彼に近づくような心は持ち合わせていなかった。ミンミンと騒ぐ蝉の声が耳に痛い。晩御飯を作る気力もないな、と家に帰る前に適当にコンビニと酒を購入した。こんな日は飲むに限る。今日は一人で飲み明かそう、とビニール袋いっぱいにはいったチューハイを見て、苦笑いをこぼした。 その日の夜中。格闘ゲームをしながら一人酒で気分を晴らしていると、ぴぴぴ、とメールが入った。中学で一緒になり、現在、同じ大学でもある竹谷からだった。彼は割と人懐っこくて、面倒見がよく再びまたこうして大学で顔を合わせてからも仲良くしている。ただ、メールは久しぶりだったし、こんな夜中に何事か、と嫌な予感を感じて慌てて携帯を開けると、興奮を抑えきれないのかなんなのか件名にはビックリマークがこれでもかというほど書かれていた。 「彼女ができた」 中を開けて、なんだ、とは零した。鉢屋同様、竹谷も見目がいい。しかしそれだけではなく、人がいいので、実際は鉢屋以上に人気があると噂を聞いた限りでは推測している。だからいつ彼女ができても可笑しくないと踏んでいたのだ。実は彼は彼で長い片思いをしていたのだが、一切そういう話題を口にしたことが無かったので、は全く彼の感動を理解できていなかった。むしろ、こっちは逆に凹んで落ち込んでいるのだが、と苦々しい想いでいっぱいだった。しかし、いつもよくしてくれる彼からの報告に「すぐ別れればいいのに」なんて返せるわけもなく、一言「おめでとう!」と返した。向こうも酔っているのかそれとも喜びのあまり報告したくて仕方がないのか、べらべらと自分の気持ちを自分に向って吐露してくる。最初はうっとおしいなと思ったではあったが、文面からあまりにも竹谷が彼女のことを好きだということが伝わったので、いつの間にかこちらも真剣に返すようになっていた。いいなあ、という羨む気持ちを何度もメールに込めていはいたが。 「で、結局誰よ。その彼女さんって。ハチがそこまで好きになるくらいなんだから相当の美人さんでしょ」 「ん、多分、と同じ学部のはず。いまどき珍しい黒髪でさ……」 続いて出てきた文字にはえ、と顔を引きつらせた。自分の覚え違いでなければ、それは今日、鉢屋と共に談笑しながら歩いていた女性だったのだ。やった、とは思えなかった。もしかしたら、鉢屋の片思いなのかもしれない。自分が、届くことのない片思いをしている性もあり、本当は喜ぶべき事実なのだろうけれど、鉢屋も自分のような気持を抱えているのだとしたらなんとなく素直に喜べなかった。そして、そこではっと気がつくことが合った。鉢屋と竹谷はもちろん今でも仲が良い。時折、食堂で共に会話をしているのを見かける。そして、当然、その彼女も彼ら二人と仲が良いのだ。こうやってにまで舞い上がって連絡してきた竹谷なのだから、もしかして鉢屋にも連絡しているのではないか、と段々不安になってきた。 「ハチ、この話、もしかして三郎も知ってる?」 「知ってるけど。……んん、どした??」 「いや、とりあえずおめでとうハチ!今度またゆっくり聞かせて!今日はもう遅いので寝ます」 「おう。今度にも紹介するって。おやすみー」 彼女の前でも惚気る気満々の返答に、苦笑いを零しながらも、はどうするべきか悩んでいた。鉢屋はこのことを知っているのだ。落ち込んでいないだろうか、と想像しただけで胸が苦しくなる。小さい頃から一緒だった、ということは彼女はそれだけ鉢屋が感情を誤魔化すのに長けていることを知っていた。いつだってそうだ。彼は肝心なときに本音を言えないような、そんな性格をしている。大好きな人のためなら自分のことはひた隠しにして、その人を優先するのだ。今日だってそんな気持ちを誤魔化して、竹谷に「よかったな、おめでとう」なんて言ったのかもしれない。そう想像するだけで胸が潰れそうになった。 「雷蔵に連絡してみよっかな」 もう一人の幼馴染である不破なら、よりもより一層鉢屋の気持ちを知っているはずだ。そう思って、夜中にも関わらず電話を鳴らす。普段のならこういうことは絶対しなかっただろう。いくらなんでも真夜中すぎにいきなり電話とは失礼にもほどがある。けれど、そのときの彼女は鉢屋への気持ちにいっぱいいっぱいでそんなことも気にしていられなかった。一分間程度の間をおいて、不破が出た。 「どうしたの、。こんな遅くに」 眠そうな声だった。恐らく、彼はもう寝ていたのだろう。叩き起こしてしまったことに申し訳ないと思いながらも、彼女は早口でまくしたてた。突然の電話に彼は聊か驚いていたようだったが、彼女が真剣に話したいことがあると切りだしてからは、うん、うん、と相槌をしながら丁寧に不破は自分の話しを聞いてくれた。しかし、全てを聞き終えたあと彼が彼女に告げたのは普段の彼なら有り得ないほど簡潔な言葉だった。 「大丈夫だよ」 「……大丈夫って、どうして?雷蔵は三郎のこと心配じゃないの?」 「ううん、違う違う」 くすくす、と彼は笑みを零す。何がそんなに可笑しのだろうか、と首を傾げるに対して、彼は言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。 「あのね、三郎が好きなのははっちゃんの彼女じゃないんだよ」 「えっ、うそ」 「ホント。三郎が好きなのはね、今……」 ぷつり、とそこで電話が途切れた。突然の出来事に驚く。電波の接続が悪いのだろうか、と何度か掛け直してみたが、一向に繋がる気配はなかった。それどころか、不破の携帯は電源を落とされていて無機質なアンナウンスが流れるばかりだった。 不意に、ピンポーンとチャイムが鳴った。不破だろうか。携帯が壊れてしまったから、わざわざ来てくれたとか。―いや、それは有り得ない。別に、これは不破自身に関係している話題ではないし、そこまで急を急ぐわけでもない。不思議に思いながら、ドアフォンを取る。その瞬間、久方ぶりに自分に向けられた鉢屋の声が耳に入った。彼は「開けろ」、と一言いう。一体、何が起こっているのかわからなかったが、息を切らしている鉢屋に自分がすっぴんで寝巻姿であるということも忘れ素直に玄関を通した。 「久し振り」 「ああ、久し振り」 怒っているのか。どちらにしても機嫌がいいと形容しにくい表情だった。ゲーム機や空になった空き缶がごろごろ転がっている部屋に案内すると、「色気のない部屋」とため息交じりに呟いたのが聞こえた。悪かったな、と言い返したかったが、あまりにも久し振りに彼と顔を合わせた動揺により、何も言い返せなかった。彼は、近くにあった飲みかけのカシスオレンジを手にとるとぐいっと煽る。そして、無言でそのままのベットを占領した。 「さっきの雷蔵への電話、あれなに」 地を這うような声だった。どうして鉢屋がそのことを知っているのか、一瞬疑問におもったけれどなんてことはない、不破と鉢屋は同居しているのだった。ただ、あまりにもが鉢屋と疎遠だったためその事実をすっかり忘れていたのだ。つう、と背中に嫌な汗が流れる。完全にご立腹だった。はもう隠すすべもないと悟り、自分がどういう経由で不破に連絡するにいたったかを全て吐露した。もちろん、自分が鉢屋のことを好いているということは隠していたが。全てを聞き終えた鉢屋は、呆れたように、大きくため息をついた。 「ばっっっかじゃねえの」 「……そんなにためなくてもいいじゃん」 「どうしたらそんな発想に至るのか信じられねえ。元々、竹谷とアイツがつっくつ様に取り持ったのは俺みたいなもんだ。それにどこをどう見たら、俺がアイツを好きだと勘違いはなはだしいことができるわけ?マジわけがわからん。呆れて物も言えねえわ」 「いや、ずっぱりはっきりいってるから」 「口答えすんな。反省しろ。心から自分のしたことを後悔しろ。明日、雷蔵にからかわれんの俺なんだから」 「……さーせんでした」 まるで一年半のブランクなんて無かったような会話だ。怒られながらも、は鉢屋とこうして会話できるのがうれしくて仕方がなかった。このぽんぽんと次から次へとようしゃなく交わされる会話。懐かしくて仕方がない。自然と顔にそれがでていたのだろう、「あ?」と鉢屋は濁点の付いた声で睨みを利かせた。 「なににやにやしてんだ、気持ち悪い」 「だって、三郎と話すの久し振りだもん。変わってなくて、安心したというかなんというか」 嬉しさからか、それとも仄かに酔っているからか、素直にそう口にしてしまった。鉢屋は彼女の呟きを聞きとめて、ぴたり、と動きを止める。すぐにでもまた「馬鹿じゃねえの」という罵声が飛んでくるだろうと予測していたは鉢屋の戸惑いを敏感に察して、首を傾げた。先ほどとはまた違った意味で感情の籠った静かな声を彼は発した。 「……なんで、俺がお前に話しかけなくなったか、その理由わかってんの」 「知るかい。それこそこっちが聞きたいくらいだよ」 じっと鉢屋の言葉に耳を傾ける。は自分が避けていたという認識が強かったのだが、どうやら鉢屋も鉢屋で自分を避けていたようだ。距離に関係なく故意にできた穴だったのかと改めて知った。彼は少しだけ、すっと息を吸って、彼女をじっと見つめた。 「やっぱ言うの止めた」 「ちょっと。勿体ぶるなら始めから言わないでよ」 「だって、お前だって避けてただろう、俺のこと。その理由言えるか?今ここで?」 「……言えません」 気付いていたのか、とは苦笑いした。だけど、とこほんと鉢屋は小さく咳をする。 「言わない代わりに、もうのこと避けないから。……今日会ってはっきりしたし。お前は高校の時からなんにも変わっちゃいねえってな」 「……ホント?」 「お前が嫌なら前のままでもいいけど」 「いや、高校の時みたいに仲良くしたい!三郎は、私の大事な幼馴染だから」 「幼馴染、ね」とぽつりと鉢屋は零す。少しだけその口元が引きつっているように思えたけれど、あっけなく蟠りがほどけたことには一人舞い上がっていて、気付きもしなかった。 これから先、彼女が鉢屋の真意に気づくにはまだまだ時間は掛るだろう。けれどその時に、彼女がどのような道を選択するのか、それはもう目に見えているも同然だった。しばらくの間停滞していた彼らの関係は以前と同じようで、どこか違う新たらしいものとしてたった今動きはじめた。 刺激を求めて旅へ出る *100605 (title by.precious days / タロットカード22のお題より) |