今の私の顔が笑顔の大サービス状態であるのは鏡を見なくても簡単に解る。頬は緩んでいるし、本当に心の底からほっとして肩から力が抜けてしまっているのを自覚しているからだ。竹谷と鉢屋からは気味の悪いものを見るような目つきで睨まれたがそんな視線にも耐えれるほどの喜びだった。まさかこうやって大人数でテーブルを囲んで鍋を食べれるときがくるとは思ってなかったのだ。冬場の寒い時に、一つの鍋を囲んで五人で食べる機会は割と多かったのだが、今はそれに二人プラスされている。鉢屋と立花。まさかこの二人と共に食事をする時がくるとは。感動で前が見えない。 もちろん、それ以前のことがあったからこそ、なのだけれど。数時間前まで緊迫した空気に包まれていた我がアパートの一室は、雪が解けて春になった丁度今の季節のようにぽかぽかとしている。結局、鉢屋は自身がどのような経緯で学園を出るにいたったのか、何を目的として動いているのか、それは晒さなかった。忍として、任務を口にすることは許されないということがまず第一としてあげられるからであろう。それを同じ忍として理解している不破は、納得していた。当然である、と。尾浜はあらゆる手段を使ってでも吐かすことはできるのだよ、と恐ろしいことを口にしていたが他の二人がそれを望んでいなかったせいもあり実行に移すことはなかった。 鉢屋に何が課せられているのか、それを告げることができなかった代わりに、彼は思いの丈を吐露した。不破たちを殺すつもりは全くもってないし、理由もないということ。むしろ関わってほしくないと感じていたこと。更に、彼らと共に過ごした学園生活を後悔してることはないということ。傍観者として聞いている私としては、ここまで鉢屋が素直になる事態を想定していなかったため当初は疑わしくも感じていたのだが四人はそう捉えなかったらしい。彼の本心なのであろう、と。その根拠は私には理解できない、彼らが積み重ねてきた月日にあるのだろうと、彼らのやりとりを見ながらぼんやりと感じていた。―良かった、と純粋にそう思う。目にひっそりと涙を浮かべた不破や、感極まって抱きついてしまった竹谷や、ぽんと柔らかく彼の頭に手を置いた久々知や、しょうがないなあといった雰囲気で見守っていた尾浜、なにより四人の中にまるで元からそこにいたように溶け込んでいる鉢屋を見ていると余計にその感情は増した。 そこからどのような経緯で鍋パーティーに発展したかというと、まずは鉢屋がまる一日程度私の部屋で攻め立てを行っていたせいで、ほとんど口に物を入れていなかったところからだった。ある程度の空腹は慣れていると言っていたが、それでも彼が極度の緊張の中にいたということは事実で、体力の消耗も激しかったに違いない。それならすぐ作れる鍋でも食べていかないかと私が提案したのだった。立花に関しては、私も聞きたいことが山ほどあったので―なにより、その時はまだどうして彼がこの世界にいるのかその経緯を知らなかった―一緒にご飯くらい構わないだろうと無理やり誘った。柔らかな雰囲気になったといっても、やはりぴりっとした空気は残っているものである。食事を共にすると幾分か和むこともあるだろうと考えてのことだ。 鍋をつつきながら、私は立花がどういう経緯でこの世界に来たのか、その理由を大まかに久々知と不破によって説明された。道理で彼らよりも何歳も年上に見えたはずである。初めて出会った時に違和感を感じたのは間違いではなかったようだ。私の想像していた立花とは大分イメージが異なっていたというせいもあるとは思うのだが、それにしても彼は随分と落ち着きがあった。普通に会社員として中小企業に勤めているというのだから驚きだ。 「出版社……ですか」 「ああ、とても小さい規模のところで忙しくはあるが。まあ何分、面白い」 「その適応能力、すごいですね。こちらの世界に来て、三年で会社勤めができるとは」 「私にも貴方のように世話をしてくれた人がいたからな」 意味深にぱちりとウインクをして彼はそう告げた。……それはつまり私のようににんたまを知っているおたくに出会った、という解釈でよいのだろうか。悪戯っぽい視線が私の考えを見透かしているようだった。冷や汗が流れる。私は、ははは、と乾いた笑いを浮かべてその場をやり過ごした。 鍋パーティーがいつの間にかゲームパーティーに変化していたというのは、やはり遊び盛りの青年だからであろうか。いや、明らかにこれは現代社会に来てゲームに嵌ってしまった竹谷が原因だろうけど。初めて行うという鉢屋にコントローラーをわざと持たせて、ゲームの世界での勝敗を繰り広げていた。もちろん、経験の差ということで竹谷が圧勝。負けず嫌いなのか何なのか、鉢屋はその後もしつこく竹谷に再度ゲームの継続を求め、いつの間にか鍋からゲームへと関心が移動していた。どこの中学生だ、と突っ込むのは敢えてよそう。トリップ当初には想像できなかった和やかな雰囲気がそこにあるのだからむげに壊すことはしたくなかった。 ただ、立花は明日は仕事があるということで、近くのバス停まで送らなければならなかった。不破は自分が行くよ、と言っていたのだが折角五人で盛り上がっていることだし邪魔をしたくはなかったのでその申し出は断った。バス停まで歩いて数分だし、街灯も多い。携帯電話を持っていくから、と心配性な不破を宥めて私と立花は二人で外に出た。今日は気候が聊か温暖なのか夜だというのに肌寒くなかった。風がないせいもあるかもしれない。騒がしい空間からいっきに静かな場所に出たので、少しの沈黙が二人の間にできた。 「それで、何が気にかかっているんだ」 「あ、気が付いてましたか」 立花の鋭い指摘に、私がさすがだなあと心の中でこぼした。人の行動の真意を読むのが上手い。実は淡々と久々知と不破の説明を聞いている間に、はたと気が付いたことがあったのだ。立花がこのトリップについて未来の鉢屋から聞いていたのだとすれば、恐らく五年生の五人は元の世界に戻る時がいずれくるということである。少なくとも、彼らが二十四歳にまるまでには。未来の鉢屋の存在がそれを証明してくれている。けれど、立花にはその確信がない。帰れるかどうかわからないのだ。ゆっくりとしたペースで歩きながらその主旨を彼に尋ねれば、なんてことないように彼は言った。 「トリップなどというものは、個人が勝手にやろうと思ってできることではない。あくまで行くのも、帰るのも、天まかせだ。必要であれば、いつかまた帰ることもできるだろう」 彼はさらりとそう告げた。 「……不安ではないのですか?」 「不安に感じたところで、運命には逆らえん。私とて意図してこちらの世界にやってきたわけではないからどうしようもないのだ。それに」 一旦、呼吸を置いて彼はじっと私の顔を再度見つめた。 「こちらの世界も気に入っている」 彼は私に特別だといってポケットの定期入れの裏に入れた一枚の写真を見せてくれた。現代の私服に身を包んだ立花と、そしてもう一人、背の高い女の人がそこには写っていた。彼は彼女について一切の説明もしなかったが、この人が彼にとってとても重要な存在であるということは間違いがなかった。大切に持ち歩いているようなのだから、それは尚のこと。ふ、と綺麗な笑みを浮かべた彼は去り際にこのような言葉を残した。 「一時の感情だと恐れをなしていることは得策ではない。さんももっと正直になった方がよいぞ」 どのような意味でそれを言われたのか、すぐには理解できなかった。しかし彼を見送って玄関先で私の帰りを待っていてくれた不破と顔を合わせた瞬間に、彼の言わんとしたところに気が付いた。そうだ。立花は、鉢屋によって幾分か未来の様子を聞いているのである。私がどのような感情を彼に抱いているのか、知っていても可笑しくはない。 (とんでもなく余計な御世話だ) ぱっと顔を赤らめた私を不信に思ったのか、立花になのかされたのではないかと疑わしげにしていた不破を適当に言いくるめながらリビングへ急いだ。 |