「お前は、考えたことはないか。忍術学園の存在意義についてだ」

 不意に鉢屋はそうぽつりと零した。てっきり、自分が抱えている任務について吐露する気になったのかと各々驚いたように顔をあげたが、脈絡のない内容に揃って怪訝そうな表情をした。それでも、口を挟むことなく黙って聞いている。忍術学園で六年間育ったのだから四人にとっても大いに関わりのある話だ。静かに耳を傾けているのを確認した鉢屋は話を続けた。

 忍術学園の生徒は、各地から忍術に関して学ぶために多くの生徒がやってくる。元々忍び里出身の者から、全く関係ない農家の子どもまでその背景はさまざまだ。くの一に至っては花嫁修業の一環として、一人の独立した女性になるために学園へ通わされている女子もいる。だが、男子の場合はまた別だ。例外もいるだろうが、その多くが卒業後に忍として世に出ることを前提に教育を受けている。学年が上がるにつれて、忍者というものの過酷さを悟り、学園を去る者も珍しくはない。残った者だけが、真の忍者として働いていくことができる。だが、本当の辛さはまさにここから始まるのだ。

「同じ部屋で学び、助け合ってきた仲間も一歩学園の外に出れば途端に敵同士に変わってしまう。それを拒むことはある意味とても臆病な事なのかもしれない。忍として不適格なのかもしれない。しかし、そういう未来があるとわかっているのなら何故、忍術学園という場を学園は設けたのだろうか」

 耐えられる者にしか忍は勤まらない、とそのような意見も一理ある。口にはできないほど過酷な状況に置かれることがしばしばあるのだ。それほどの事柄は忍として生きていくなら簡単に乗り越えなければならない問題なのかもしれない。

「確かに、要らぬ情が生まれてしまう。忍者も所詮は人、なるべくならそのような感情を抱いておきたくはない。それに耐えることができた者だけしか未来は残されないのだからな。そうなると学園の存在はある意味、本来なら必要ないであろう感情を生徒に植え付けてしまう組織でもあるということだ」

 久々知の解説のようにさらさらと流れる言葉に私は耳を傾けた。仲間を思い遣るということを要らぬ情だと言い捨ててしまうのが不思議でならない。そのような環境下に育っていたら私もそういう風に捉えてしまうようになっていたのだろうか。理解はできてもそうなりたくはない。

「……だが、私はそれに対して一つの答えを持っている」

 肯定的な答えだ、と鉢屋は頬を歪ませた。やや間を空けた後に、少し、過去の話をすることになると断ってゆっくりと口を開いた。

 鉢屋の実家は忍び里だった。彼はそこで忍頭を勤める両親の三男として生まれた。あまり家庭内の環境は良くなかった。幼い頃から忍術を叩きこまれた鉢屋は、同年代の誰よりも上手く忍術を扱えた。それだけ手先が器用で、将来の見込みがあると親や里の仲間からは歓迎され、もっともっと上を目指せと言われた。遊びたい盛りの時期に、毎日待っている修行の日々。兄弟は自分よりも何歩も先を行く末っ子に良い印象を抱くわけもない。実力がすべての忍里に置いて、それは大きな嫉妬や妬みを抱くこととなる。周りの子どもたちから孤立してしまうのも自然な話だ。かくして、鉢屋は子どもらしさをしらない子どもへと成長してしまった。―忍術学園に入学する前までは。

「見かねた親戚が、私をあの学園へ送り込むことを提言した。このままただの殺人兵器となることを彼は恐れたのだろうと思う。事実、あの頃の私には十分そうなってしまう要素があった」

 では、今はただの殺人兵器ではないのか。―それ自体を否定することはできない。命令を受ければ、見ず知らずの女子でも手に掛けることはごまんとあるのだ。捉え方一つでは、立派な殺人鬼である。しかし、鉢屋は自分が幼い頃とは違うという確信を持っていた。それは何か。人の死を悲しむという感情が芽生えたということだった。他人を殺していく人間が胸を痛める、とはなんとも矛盾した事実であることはわかっている。ただ、彼らが生き抜いていく時代ではその感情が必要であった。矛盾した、この感情が。死に対して無感情になってしまったら。それほど、恐ろしいことはない。それに気が付けた分、鉢屋は学園に自分が在籍したことを幸運だと思った。もし、あのまま自分の隠れ里で同年の子どもからは排除されたように扱われて、忍術を教えられていたら果たしてそのような感情を抱くことができただろうか。目の前にいる、四人のように失うことをためらう―けれど、必要があれば手に掛けることを躊躇してはいけない様な―人間に出会わなければ、恐らく、鉢屋はその事実に気が付かないまま一人の忍として闇夜を駆けまわることになっていたかもしれない。

「……だから、私は、学園に入ったことは後悔していないんだ」

 それは、つまり。彼らと出会ったことも後悔していないということである。否、ぼかした言い方をしているが、鉢屋が一番言いたかったことはそれなのだろう。まさか、このような言葉が鉢屋の口から紡ぎだされるとは思ってもいなかった四人は毒気を抜かれたように、ぽかんとしていた。緊張が、蒸発したように消えた。

 目の前に座っているのは正真正銘の鉢屋三郎なのか、と己の目を疑った。それは、私だけではなく、他の四人もそうだったようで訝しげに鉢屋を見ていた。鉢屋を良く知っているはずの不破でさえなんとも言い難い表情を浮かべている。久々知は大きな目をぱたぱたと何度も瞬かせ困惑しており、尾浜は必死に込み上げる笑いを抑え込んでいるようだった。

「こんな三郎初めてみた」

 ひく、と目尻に浮かんだ涙を拭いながら、不破は言う。同調するように頷く首が三つ見えた。特に、竹谷の首は、何もそこまで首を振ることないだろうに、と注意したくなるほど上下に動いていた。

「お前な……そんなの。反則だぜ。馬鹿みてぇだ」
「?……八、なにを」
「この歳になっても、そんなことを言われると、嬉しいんだよ。ほんとお前、馬鹿」
「ちょっ、待て!離せ!」

 能力は一番高いくせに。素質、ないんじゃねぇの。いちいち俺らの死を危惧して、どうすんだ。同情で食っていけるほど軟な仕事じゃないってことはお前が一番よく理解していると思ってたのに。なんていう言葉を好き勝手に口にしながら、竹谷は縄で拘束されたまま身動きの取れない鉢屋を思い切り抱きしめた。感極まったのであろう。普段なら男同士で抱き合うなんていう姿を目の当たりにしたくはないものだが、そのような負の感情は一切湧いてこなかった。大の男に抱きつかれている事実に慌てふためいて鉢屋は抗議するが、竹谷の耳には届いていない。遠目にそれを眺めていた五人はそれを止めようとはしなかった。過去の彼らを知っている者たちにとってはむしろ懐かしいくらいの光景なんだろう、呆れてはいたが馬鹿にしたような表情はしていなかった。傍観している自分たちに気が付いたのか、鉢屋は声をますます荒げた。

「兵助、止めろ!気持ち悪い!」
「いいじゃないか。はっちゃんの好きなようにさせてやれば?結局、口を割らなかったんだし、それくらい可愛いものだろ」
「雷蔵……!」

 止めるどころか逆に竹谷を肯定するような言動をした久々知は頼りにならないと早々に諦め、今度は不破に縋る様な視線を送る。しかし、不破も不破で笑顔でそれを見送るだけだった。結局、されるがままになるしかなかったのである。竹谷の暑苦しい抱擁から解放された鉢屋は深い息を吐いていた。

「ってか、なんでそんな簡単に信じるわけ。私が嘘をついているとは疑わないのか」
「同じ気持ちだからだよ。学園に入って、一時でも仲間と呼べる存在に出会えたあの瞬間が間違っていたとは俺も思ってない」
「俺もそう」

 久々知の手が軽くぽん、と鉢屋の頭上に触れた。同調するように、残りの二人も頷く。私の目は当に濡れていた。彼らに出会ってから涙腺がもろくなってしまったような気がする。

 縄を解かれた鉢屋は、手先を数回ゆっくりと握って血液の滞りを確かめていた。長時間拘束されていたのだから痺れてしまっていても可笑しくはない。彼が立ちあがる前に手が差し出された。それまでずっと傍観していた立花がさっと彼の前に立ったのだった。胡散臭そうに立花を見上げた鉢屋は黙ってその手を取った。そのまま、彼は鉢屋を外に連れ出した。話しておきたいことがある、と。私たちは黙って彼ら二人を見送った。





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*110201 鉢屋の実家の事情はもちろん捏造です。