*鉢屋視点

 鉄次によって別の避難口から逃がされた鉢屋は、携帯電話を使った連携プレーを繰り出した三人に捕縛されてしまった。今まで散々在所がばれない様にしていた分、あっさり捕まってしまったと浅い笑みが浮かんだ。きつく縛りあげられてしまった両手両足が痺れるように痛む。厳しい視線が鉢屋の身に突き刺さった。まるで鋭利な刃物が鉢屋の体を貫いているかのようだ。様々な感情が渦巻く室内に、青年期を迎えて一層低くなった竹谷の声が響いた。

「お前の真の目的とは一体なんだ?」

 鉢屋はどう逃れようか回避する道頭の中で巡らせた。それしかできなかった。さすがに、天才と称される鉢屋であっても四方を囲まれ、縄で全身を捕縛されてしまってはもうなす術がない。なによりも彼の弱点となる存在が目の前にいる。逃れきれるわけがなかった。早鐘を打っていた心臓が段々と硬直していき、ひやりとした寒さが背中を這った。どうしてこのようなことになったのか。険しい顔をして睨む竹谷を下から見上げた。ゆるり、と顔だけご丁寧にも歪めてやる。余裕綽々という見せかけの態度を取ることをこれほどまでに苦行だと思ったことは過去一度もない。

「俺が無理やり吐かせてもいいんだけど……三郎を傷つけることは、彼女が嫌いそうだしねえ。最終手段に取っておこうか」

 目を細めた尾浜の姿がやけに網膜に焼きついた。忌々しい。彼は恐らく、何故だかわからないが鉢屋の意図を限りなく近いところまで悟っているはずだ。しかし、そうやってまるで傍観するかのごとく自分の様子を伺っている。果たして、尾浜は一体何がしたいのか。それがとても気がかりであった。尾浜はどちら側の人間なのかそれすらも怪しい。内情を知っているからといって鉢屋側の人間であるとは全く持って言い切れない。また不破たちの肩を持つとするならば―本来なら彼は未だ現在進行形で不破の城主に雇われている状況下なのでそうしなければならないはずだ―鉢屋の内情を知っていることを隠している点であってあちら側の人間ではないと言える。全く別の人間についているとしたら、その真意は鉢屋にとって邪魔なものにしかならないのではないか、と懸念する。思考が全く別の方へ向いていたその時、懸命に訴えてくる不破の声が鼓膜を震わせた。

「君は何を成そうとしているんだ。何を隠している」

 ちらり、と鉢屋は彼を見た。苦しそうに歪んでいる表情を視界に収めたくはなかったが、自分の名前を呼ばれると嫌でも彼の方へ意識が飛んでしまう。

「悪い方向へは転ばんよ。お前が懸念しているような事態にはならん」

 立花はやけに余裕を見せて、そう告げた。何もかもお見通しと言わんばかりの口ぶりに聊か不信感が募る。まるで彼も尾浜の様に自分が何のために動いていたのか知っているようだった。またそれとは異なる違和感も既に鉢屋は感じ取っていた。彼の外見、風貌は明らかに可笑しい。

 包囲されている中、十二の目が一直線に鉢屋を捉えた。逃れられないこの雰囲気にのまれそうだ。ある意味、身体的拷問よりも耐えがたいものである。

(否、もしかしてこれは尾浜の精神的拷問なのだろうか。私が雷蔵に専ら弱いと知って、この措置か。尾浜は部分的に知っているだけで、恐らく全てを知ってはいないのだろう。つまり、私の口から吐かせることによって知らない部分を補おうとしているのか。しかし、尾浜が個人的に私の情報を利用したいのであればこのように大勢の人間の前で吐かせるわけがない。一対一で奴お得意の拷問にかけた方が危険も少なくなる。……奴は一体何を考えているんだ)

 刻々と時間は過ぎていった。

「三郎」

 不破が不意に自分の名を呼んだ。だるそうな瞳で彼を見て、軽く息を吐いた。緩まない緊張した状況が続くと体力的にも精神的にも疲れてくる。特に鉢屋にとっては精神的な痛みの方が大きかった。鉢屋は不破の小さな呼びかけに働かない頭を最大限に動かして、言葉を紡いだ。

「言えない理由は山ほどある。任務を吐露してしまうことは、忍としての不手際極まりない。仲間内でさえ避けるべき事柄なのにお前らに話してしまうなんてあり得ない。トリップに関係があると言われたところでその信憑性は零に等しい。かつ、お前らに聞いてほしくもない。以上。とっとと拘束を解け」

 ばっさりとたたみかけるように否定をする。言葉はより滑らかに鉢屋の口からこぼれ落ちた。

「一つ、いい?」
「なに」
「三郎が、敢えて僕や勘ちゃんを殺さない様にしていたというのは、事実?」
「……どういう意味だよ」
「僕や勘ちゃんを殺せる状況下にありながら、三郎の判断で殺さなかったということ」
「私がそのようなことをしたと、いいたいのか」
「意図的にしたのではないかということは解ってる。特に、僕の場合は幾度も三郎と対峙した。致命傷を作ることも可能な機会は何度もあったはず。僕が回避するだけの力を持っていたというのならそれはまた嬉しい事実だけれど、三郎のほどの実力はないと自分でもよくわかっている。……これは、ただの勘違いかな」

 不破が口にしていることを鉢屋は冷静に聞いているように見えたが、内心ではとてつもなく焦っていた。不破を殺す、尾浜を殺す、だって?忍であるからには、覚悟していないといけない事柄であることは間違いなかった。けれど、鉢屋にはその選択肢というものは無いに等しかった。目の前でさあ殺せ、と不破を差し出されたら殺せる自信は―そのような自信など考えたくもないけれど―限りなく零に近い。甘い、とそう言われても構わなかった。様々な点で人より秀でている鉢屋にはこれくらいの甘さがあるほうが丁度いいと言われたのは何時のことだったろう。

 気が付けば、長い空白が生まれていた。沈黙は肯定とみなす、とは誰が言ったのか。言葉に詰まらせている自分を見て、不破はもうどうしてとは問いかけなかった。暖かい腕が鉢屋の体を覆った。太陽の匂いがふわっと舞うように鉢屋の鼻をくすぐった。いつの間にか自分は不破の腕の中にいた。

「私の任務に、お前たちを殺すことは含まれていないからだ。関係ないんだ。関わってほしくない。ただ、それだけなんだ」
「それを聞けただけで、十分だよ」

 懐かしい暖かさだった。五年間、ずっと鉢屋の手の中にはなかったものだ。不破はそれを鉢屋に与えてくれる存在だった。横に複雑そうな表情をして立っている面子も皆そうだ。そういう存在だった。両手が縛られているせいで、彼を突き放すことはできなかった。黙って彼の抱擁を受け止めた。本音では、自分はむしろ放したくなかったのかもしれない。この、生ぬるい、暖かさを。

「いいの、雷蔵。帰れる手掛かりがそこにあるかもしれないんじゃないの」
「自分が三郎の場合だったら大人しく口にしていた?任務を吐露するくらいなら、僕なら死を選ぶ。僕は三郎をここで死なせたくはないんだ」
「……相手を殺さない程度に、甚振って吐かせるのが俺の得意分野だってこと、忘れたの。ここの空間だけ、あの学園の時だった頃に戻ったみたいだね。俺らはもう大人だ。割り切ることが、必要なんじゃないの、ねえ、三郎。どう思う?」

 暖かい腕の上から尾浜の冷たい視線が鉢屋を捉えた。それを咎めるように久々知は彼を一瞥した。尾浜は久々知の意志を汲み取って、やれやれと肩を上下に動かした。





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*110116