*不破視点 「しかし、それでは矛盾していませんか。貴方は本に我々の行く末を描かれた。本来ならば俺らが読んでも一向に構わなかった……否、そう仕向けたはずなんでしょう。それならば、口頭で情報をばら撒くのもなんら変わりはないはず。違いますか」 立花はあてにするなと自分たちの問いを一蹴した。確かにそれは至極まっとうな答えだった。彼にこうして問を向けることはお門違いであるということは納得できる。しかし、立花の返答を聞いた竹谷は怯むどころかそうやって食らい付いた。竹谷の言葉もまた理にかなっている。図書館でもしあの本を見つけたのが自分と久々知ではなかったら、既に読まれていかもしれない。しかもそれは未来の鉢屋が立花に託したという。ここで立花が問に答えることを拒むのは少しばかり不自然なような気もする。 「本を書くということを鉢屋に約束しただけで、そこまでする義理はない。唯一の手がかりであるあの本も、燃やしてしまったみたいだしな」 「では、一つだけでも教えていただけませんか。何故、彼はあの時、卒業を待たずに学園を去ったのですか」 不破の問いかけに、彼はひくりと眉を歪めた。あまりにもその視線が鋭かったので、不破の身体は反射的に震えてしまった。動揺したのを立花に悟られたのが自分でも分かったが、まずいと心の中でこぼした時はすでに遅かった。こちらにきてどうも警戒心が緩んでいるようだ。自分の反応に気付いていたようだが、立花はそれについては言及せずに不破に向ってこう答えた。 「結論から言えば私は何故鉢屋があのような行動を取ったのか、その大本となる理由を私は知っている。だが、お前らはそれを知ってどうしようというのだ」 「どうしよう、とは?」 「今更、真実を知って何になるというのだ。済んだことだろう。お前らの中ではもう五年も昔のことになるのではないか。お前が鉢屋をずっと追い掛けていたのは知っている。個人的に、なおかつ、命令としても。鉢屋の命さえも奪う覚悟があったのだろう」 「その通りです。でも、僕は気にかかっていけない。何故彼はあの時に学園を出なければならなかったのか。別れも告げず、突如に。そんなに緊迫した状態だったのか。何故、あのような体裁の悪い集まりに彼が身を落としたのか納得がいかないのです」 「……鉢屋は自分がしたくてあの学園を出たのだと。そう思っているのか、お前は」 「あれは三郎の意志ではなかった、というのですか」 立花の言葉は不破の想像を根底からひっくり返した。彼のことを信じていなかったわけではない。当初は、何か理由があるのだと思っていた。抜け殻になった自分の部屋の片側をぽつんと一人眺めていた、あの時の孤独といったら今思い出すのも辛いほどだ。いずれは別れる時が来るのだということは分かっていた。別の道を歩む存在だった。元々わかっていたことで、それが一足早くなってしまっただけだ。しかしその一方で何も言わず去っていた鉢屋に対して、不信感が生まれてしまったのもまた事実だった。彼の特技は、言わずもなが化けるということ。そしてそれは鉢屋という人間がどうやって歩いてきたのかその軌跡を完ぺきに隠蔽してしまう武器になりうる。学園を跡にした彼のその後の情報を掴もうにも学園という檻に入ったままの不破にはまた無理な話であった。そして、半年の月日が流れ、彼が山陰組織に加入していることを遠い噂で耳にした。あの組織の評判は地の底を這うように低迷している。 (三郎は、何故あの組織に加入したんだ) 元々、裏の繋がりを有していたから。否、そんなことはない。違う、と。不破は何度も胸の内で可能性を否定した。けれど自分の心の中で否定すればするほど疑いの感情は大きくなっていった。反対に、まるでそうであるかのように肯定しているようだった。鉢屋が自分から見て危険な組織に加担しているというその事実は、裏切られた、という感情を不破に植え付けさせた。―裏切られた、なんて勝手に出した自分の一部の感情論にすぎないというのに。行っていることは自分も鉢屋もなんら変わりはしない。暗殺や戦うことで自分たちは生きているのだ。善か悪かを語るなんて虫がよすぎるのも甚だしい。けれど、心の内で葛藤していくうちに感情が高まり自然と彼の跡を追う様になった。旧知の鉢屋を追えという命が下されていたのももちろんだが、それ以上に不破の中には私情があった。鉢屋に直接掛け合って、真相を確かめたかった。何故あの時お前は一人誰にも告げず学園を出たのだ、と。 「どんな理由があったのですか」 「実際に、久々知、不破、尾浜は卒業後に何度か鉢屋と出くわしているんだろう、その時の鉢屋の様子はどうだった。どのような印象を受けた」 ゆっくりと彼は言った。彼が何故三人だけが鉢屋と顔を合わせた経験があるという事を知っているのか、それはもう愚門だ。三人の視線が絡み合う。この三人の中では圧倒的に自分が彼と鉢合わせた機会が多い。けれど、鉢屋と不破は今日まで、あの土砂降りの雨の日まで一切会話をしなかった。したくなかったというわけではない。させてもらえなかったのだ。堅くなに彼は自分を拒否しているように思えた。 「俺が出会った時は、ほとんど命からがら逃げ出したようなもんだった。内部情報を掴みに行ったのだが、結局何もつかめないまま追いだされた」 「へえ、兵助が。相当、手強かったんだね。まあ、かくいう俺も三郎には随分とお世話になったわけだけど」 尾浜は薄らと笑みさえ浮かべて、自身の傷跡を触った。自慢になりやしないよ、と横から久々知に突っ込まれている。白い腕にピンク色の縫い跡が残っているのがこっそりと見えた。自分の体にも無数に存在するそれは見ていてあまり気持ちのいいものではない。しかし、ふと、三人の言葉を聞きながら竹谷が何かに気が付いたように一つ呟いた。 「そういや、雷蔵は何度も三郎と対戦している割に目立った傷がねぇな」 少なくとも自分が聞いた分にはだけど、と竹谷が零す。それに不破ははっとしたように自らの腕を抑えた。 「確かに」 右足首の酷い捻挫、クナイでの擦り傷、肩から腕に駆けての太刀傷。過去に彼から受けた数々の傷を思い出すけれど、それは致命傷には至っていない。足止めをくらわすにはもってこいの加減で、動けなくされ、そのまま彼は逃走するというパターンばかりだった。それがどう関係あるのか。説明を覆いかぶせるかのごとく、尾浜が自分の頭の傷跡をつんと突きながらこう言った。 「それを言うなら、俺の傷だって完璧な致命傷には程遠いよ。頭だってほっといたら出血多量で死んでたかもしれないけど、実際傷自体は浅いものだったしさ。三郎だったら十分に、致命傷を狙えたはずなのに。ねえ」 もちろん、鉢屋が致命傷を狙ってはいたが自分たちが無意識のうちにそれを回避した可能性も考えられる。だが、そのような記憶は残っていない上に鉢屋の実力は相当なものであることを良く知っていた。能力、といってもそれぞれその能力は各分野に散在していて決してひとくくりで誰が強い、弱いなどとは言えない。彼らのようにきつい修行に耐えてきた忍者であるならば特に。けれど、鉢屋という男は総合的に見て能力が抜きんでているのだ。一対一で戦えば、分が悪いのは必ず自分の方。そのようなことから考えても、あえて鉢屋は致命傷ギリギリの手前を標的にして攻撃を仕掛けていたのではないかという憶測が生まれてくる。 「……偶然では?」 「兵助は、そう思うか。俺は、意図的だと思うよ。三郎が三郎であったのなら、特に」 久々知の言葉も大いに納得できる。鉢屋は任務に対してどこまでも非情になれる男だ。だが、一方で精神的に脆い部分を抱えていることも知っていた。 「三郎は、殺すことを避けていた」 その言葉を聞いた自分たちはそれぞれ異なった反応を示した。それは、つまり、何を意味しているのか。鉢屋が何を思って行動しているのかその真意を掴めそうだ。改めて不破は過去に彼と対峙したときの記憶を引っ張り出して回想した。自分のことを簡単に殺せる場はいくつも存在したはずだ。けれども、彼はそうしなかった。それは恐らく―。 「誰だって、自分の大切な人を失うことには戸惑う。そういうことが言いたいんだろ」 「兵助」 長い息を吐いた後、久々知は考え深げに言った。命令とあれば戸惑うことなく人を傷つけ、時には命さえ奪う。そんなことを犯しているというのによくそのような口を叩けるな、と嘲笑われても仕方のない感情であることは承知の上だ。忍も人の子である。命令通りに従うだけのからくりではない。折り合いのつかない感情だ。ただ、鉢屋にとっての大切な人と言うのは紛れもなく自分たちのことを指しているということははっきりした。 「甘い奴だな、三郎は」 竹谷は重々しく言った。鉢屋は、甘い。現実的に自分も―彼を一刺しできるほどの実力が自分に備わっているか否かは別問題として―仕留める覚悟であった。それが紛れもない忍の世界の道理だ。竹谷の言葉に同意せざるを得ない。しかし、誰しもがそれを望んでいるわけでもないこともまた事実だった。ただ、就職先が敵対していたからという理由だけで過去に肩を並べて勉強し合った仲間を手に掛けたくはない。―そんな感情を恐らくほとんどの忍が抱えて、必死に隠しながら生きている。 「それでも、それだけとは限らないよ。雷蔵を生かしておくことで、有利になる点もあるのかもしれない。何せ、アイツは雷蔵の変装は誰よりも得意だったから雷蔵が生きているだけで受けれる恩恵は大きいだろうな」 「勘ちゃんの言う通り。その線も、否定はできない」 久々知はどちらかというと尾浜の言動に同意しているようだった。憶測ばかりが飛び交うこの場を宥めるように、立花が割って入る。 「真実を知りたければ、直接鉢屋に問いただす他はないだろうな」 「しかし、三郎は……よっぽど居場所を隠すのが上手なのか、トリップした後から姿を見たことがないんですよ。尾張にはいるようですが」 「鉢屋の居場所は、案外簡単にわかるぞ。とても身近な人が知っている」 「身近な人?」 不破は小首を傾げた。身近な人とは一体誰だろか。と、そう問いかけたところで、この四人が共通している身近な人など一人しか存在しないことに気が付いた。立花は答えを言った様なものだった。 「……、か」 竹谷の呟きに、立花は口の端をあげて微笑んだ。竹谷の表情が強張った。確かに、は鉢屋と直接的に接触をしている。この中の四人の目を盗んで、たった二人っきりで。鉢屋の居場所を知っていたとしても、不思議ではない。が、それならば何故彼女が自分たちに黙っていたのだろうか。疑心が浮かぶ。言いようのない沈黙が訪れた。 「帰る」 竹谷は飲みかけの紅茶を残したまま、さっと立ちあがった。後を追うべきかと半ば腰を浮かせると、それを遮るように久々知が手で押さえた。 「俺が追う。少なくとも、感情に任せて彼女に問いただすべき事柄ではないから。上手くはっちゃんを宥めるよ」 ぽん、と久々知は最後に不破の頭を軽く撫でて、立花に一礼するとそのまま竹谷が去った方向を追い掛けた。駆けていく久々知の後姿を見送る。完全に姿見えなくなった頃、尾浜がしんとした空気を壊した。 「貴方は結局どちらの味方なんですか。三郎?それとも俺達?」 「どちらも」 尾浜はそう問いかけた。彼が立花に対して問を掛けるのは一連の会話の中で初めてのことである。口元には薄らとした笑みを浮かべているが、嫌味っぽい毒々しさを不破は感じた。さすがに立花はそのような尾浜の圧力に動じることはなく、意味深な笑みを浮かべながらもさらりとそう口にしていた。 不破は小さくため息をつきながらこめかみを押さえた。この禍々しい空気にも、彼が口にした内容にも、どちらにも嫌になってしまいそうだ。頭が痛い。空っぽになってしまった珈琲に目がいく。本来ならばそこには暖かい緑茶があるはずだろうに、違和感はまるっきり襲ってこない。珈琲という苦い飲み物に慣れてしまった証拠だ。 |