*久々知視点 不破から連絡を受け、自宅で読書をしていた久々知は信じられない気持ちになりながらも慌てて出かける準備をした。三月になったといえ、やはり上着がないと肌寒いものがある。玄関先にあった紺色のマフラーを勢いよく引っ掛けて、鍵を占めた。新たなこちらの世界へのトリップ者が現れたことに何か発見があるかもしれないという興奮と、同時にその相手が一癖も二癖もある立花であるという不安が久々知を急きたてる。不安というよりは焦燥かもしれない。何か、背後から見えないものに追われているような感覚がした。―彼は、敵か、それとも味方か。ここで立花が出てくることでさらなる波乱が訪れそうだな、とひりひりと胸が痛んだ。 辺りは張り詰めた緊張感を醸し出していた。なんの縁があるのか、彼らが待ち合わせに指定したのはあのスタバだった。走ってきたために額に浮かんでいる汗を腕で拭きながら、既に揃っている四人へと視線を向ける。確かにそこには、立花と思われる人物が悠々と珈琲に口を付けて座っていた。ただ、気になったのがあまりにも彼の容姿が大人見えたことだった。もちろん自分も、少年から青年へと変化を遂げているのだが、立花の場合は特別で、一つしか離れていないはずなのに何歳も年上に見えたのだ。もとより、落ち着いた雰囲気のある人だからだろうか。突っ立っている久々知を見て、立花は、来たか、と表情を緩めた。久々知のその疑問はすぐさま解かれることになる。そのきっかけになる話を切り出したのは尾浜だった。 「それで、先輩はいつこの世界にいらしたんですか?」 「私が来たのは三年前だ」 「……三年前……って、はあ?!俺何度か先輩と接触してますよ。その三年前に」 信じられない、と言わんばかりに竹谷は目を白黒させた。訝しげに目の前に座っている人物を睨むような目つきに変わる。久々知も同じ疑問を抱いていた。なぜならば、自分も卒業後に彼と接触した経験を持っていたからだ。自分と同じくフリーの忍者をしていた同業者である彼とは情報交換の一つの手段として偶に協力関係にあった。疑わしい視線を真っ向から受けて、苦い笑いを見せた彼は先ほどの言葉を補う様に付け足した。 「私は二十五の時にこちらの世界へやってきた。これがどういう意味かわかるか」 「……立花先輩は今、二十八ということですか?」 「まあ、それもそうなのだが」 なるほど、と久々知は一つ頷いた。年齢の辻褄が合わないのはそのせいだったのだ。現在の自分たちの年齢はようやく二十歳を越したところ。一つ上の学年である彼が三年前に来たのだとしたら現在彼は二十一歳のはず。けれど、現在彼はそれより七つ上の二十八歳だという。そもそものトリップした時期が異なるということである。つまり、自分たちが生きている時間枠よりも未来を生きている彼と異世界という別次元で出会っているのだ。頭が痛くなりそうだ、と混乱している竹谷たちを見て、立花は相変わらずの不敵な笑みを浮かべた。一人面白がっているのが丸分かりである。 「さて、久々知」 「はい」 「頭の回転が早いお前なら既に気が付いているかな」 「……どういう意味でしょうか」 立花の鋭い、けれども楽しんでいるような人の悪い視線が久々知に突き刺さった。思い当るところがあるので答えようかと一瞬間をあけたが、彼の真意を測りかねて無難にもそう答える。不透明な返事をした自分に対して、おや、と意外そうに立花は眉を下げた。 「こういうとっさ場合の状況判断はお前が一番鋭いと思っていただけだ。しかし、今回はあまりにも突飛すぎているだろうからわからなくとも不思議ではない」 「思い当たる節が多いだけです」 挑発的な発言を断ち切るかのようにすっぱりと返した。あくまで冷静に、けれど強気で。 「最も気になる部分というのは、先輩は俺達がこちらに来てからあとの五年間を向こうの世界で過ごしているということ。つまり、俺たちが元の世界で過ごすはずだった行く末を少なくとも五年という期間は知っていらっしゃるということでしょうか」 「流石。い組だっただけはある」 立花は今現在、二十八歳。こちらの世界には二十五歳のときにやってきた。ということは、立花は二十歳から二十五歳までの期間を元の世界で過ごしていたということ。つまり、それだけの元の世界の情勢などの情報を持っているということだ。自分たちが持ち得ない、持ち得ることができない希少価値の高いその情報を。そこまで推測したところでこちらの世界で出会った一つの大きな謎が解明された。もし他にも元の世界から飛び出してきた人々が居たらこの予測は外れるのだが、この尾張という土地で彼に出会ってしまったら、もう答えはそれとしかいいようがなかった。 「山陰の草の著者は貴方だったということですね」 「ほう、見つけたのか」 立花は満足そうに目を細めた。けれども、自分のこの言葉に対して首を傾げた者もいる。竹谷と尾浜だ。あの本の存在をあれから不破が誰にも話さず内密にしていた証拠だ。不破とかちりと目が合い、彼は困ったように微笑んだ。言うしかないだろう、とこくりと彼は頷いた。話題が出たため今までひた隠しにしていたが、いつどこで誰がそれを見つけたのか、あの本とは一体何なのかを説明しなければならなかった。すべてを聞き終えた竹谷は怪訝そうな顔つきをしており、少し不満げだった。 「なんで黙ってたんだよ」 「仕方ないよ、はっちゃん。俺たちが信用に値しなかった、ということだろう?」 ねえ、兵助、と笑う尾浜の視線が痛い。けれども久々知は逸らすこともせず、真っ直ぐに彼を見つめた。 「それも一つある。が、それだけではない」 「今の信頼を壊す切欠になるかもしれないって兵助は懸念したんだよ。だから、全てを読む前に燃やした」 不破が自分をフォローするかのようにそう言ったところで、立花の眉が微妙につり上がった。意外そうな表情をしている。 「燃やしたのか」 「手元に置いておくにはあまりにも不気味なものでしたから」 ふむ、と彼は一つ溜息を零した。考えるように唇に指を押しつけて、しばしの間黙りこくる。彼の脳内では一体どのような事が巡っているのか。顔色は変わらず、別段焦っているようにも見えないので燃やすという行為が禁忌であったわけではないはず。彼の行動を差し止めるように、不破がまた一言きりだした。 「けれど、立花先輩。何故あのようなものを残したんですか。未来を描く、なんて、一歩間違えれば自然の摂理をひっくり返すことになります。情報がいつの時代でも命取りになることはよく先輩も御存じのはずでは」 正直、とても気味が悪かった、と彼はつけたした。 「結論からすれば、必要だったからだ」 必要であったから、と言われてもその真意がわかるわけもない。 「私が何故この世界にいるのか。お前たちの行く末を本として残したのか。なにより体験もしてない私がそれを知っていたのか。冷静に考えれば、誰かから託されたとしか考えられまい」 立花の言い分にはっと気付かされた。体験もしていない事実をどうして彼が知ることができたのか、それはこの五人の中の内の誰かが彼に内容を全て話したということに他ならない。けれど、それはいったい誰だ。何故そのようなことする必要があったのだろうか。四人の間に大きな緊張が押し寄せていた。なにか、確信めいたものを感じる。それは―と立花の口が小さく、動いた。 「鉢屋三郎」 どこまでも、場を左右する男だとこの時に久々知は感じた。恐らく、この中の全員がそう思ったに違いないだろうが。ここにいない一人の男に対して、大きな不安が押し寄せてきた。四人の表情がぴんと張り詰めたのが目に見えて分かったのか、こほんと一つ咳をして彼は言い直す。 「正確には未来の鉢屋だ。彼は私にこちらの世界のこと、ここで起きたこと、そしてそれがどのように元の世界で繋がったかということを告げた。最初は私も信じていなかったが、……今のところ、鉢屋がいうように事は進んでいるようだ。あの本を読んで思わず気味が悪いと不破が感じるほどにはな」 立花の言葉を鵜呑みにできるほどの素直さを久々知は持ち合わせていなかった。倫理など言わずあのとき全ての文に目を通していればと咄嗟に後悔した。しかし同時にそれは、自分たちの運命を事前に知ってしまうということである。その物語に書かれた通りの世界を自らの目で確認していくような生活になってしまうということだ。あまりにも、不気味だった。これから待ちうける運命を未然に防ぐ、ということができるという利点もあるが果たしてそれは許されるのだろうか―。 と、そこまで考えたところでぱっと立花が温くなってしまったであろう珈琲に口を付ける姿がなにげなく久々知の目に映った。そうだ。目の前の人物はこの先どのように事が運ぶかを知ってしまっている。こちらの世界で自分たちがどのようにすごし、どうやって元の世界に帰るのか、その全てを彼は把握しているのだ。その事実に気が付いた途端、久々知は余計に彼の存在を気味悪く感じてしまった。未来だか、なんだかしらない。時間の括りも知ったことではない。我々が生きているのは今ではないのか。何故それを左右するようなことをするのか。―ぷつり、と糸が切れそうになる。込み上げてくる不快感を抑えきれそうになかった。だが、それよりも先に低い声をあげたものがいた。竹谷だった。それまで彼にしては黙って話を聞いてたのだが、ここにきて静かな嫌悪感が彼の周りから漏れ始めていた。 「……全ては三郎の企みってことですか」 「そういうことになるだろう。話を持ち掛けてきたのは鉢屋だ。だが、本当に全てが鉢屋の企みであると判断付けるのは性急過ぎるとは思わないか」 「奥歯に物が挟まったような言い方をしますね」 ふん、と鼻を鳴らして竹谷は立花を睨みつける。白と黒をはっきりつけたがる竹谷らしい。確かに立花の言い分は完全に不透明性を帯びている。何を話そうとしているのか明確な結論が見えてこない。ゆるゆると堅く結ばれた瘤を解いていく、その手引きをしているかのようだった。完璧な一本の紐までには戻らない。中途半端に緩んだ紐をゆっくりと自分たちは手繰り寄せている。 「私の口から話すべきことではないと言っているだけだ。どうして他人である私がお前らに安々と情報を渡してしまわなければならない。自分たちで解明しようとすらしていないだろう。私をあてにするな」 きっぱりと彼は言い切った。立花の言い分は至極まっとうだった。 |