*不破視点

 との喧嘩はとりあえず収束をみせた。友達の家に一泊し、帰ってきたその日に彼女が深く頭を下げたからだ。もちろん、不破がそれをすぐに許したからでもある。不破自身それほど、気にしていたわけではない。本当ならあんな険悪な雰囲気のまま終わる場でなかったのだ。あの時はほんの少しだけ自分の機嫌が悪くて、またそれと同時にの機嫌もほんの少しだけ悪かった。ただそれだけのことである。感情が落ち着けば、どうってことはない。

「雷蔵、ごめん」
「うん。僕もごめん」

 たったこれだけの会話だった。ただ何もかも喧嘩する前に元通りになったかといえば、やはりそれは違った。少しだけ変化した一面があるのだ。それは彼女が自分をこっそり見つめる時間が多くなったということ。むろん、人の視線には敏感な方だ。他の三人もそれに気が付いているに違いない。敢えて口に出そうとはしないが、彼女が自分のことを目で追う機会が増えたということは事実だった。奇妙に感じさえしたけれど直接聞くわけにもいかず、不破はその視線に黙って耐えていた。均衡を保とうという努力を自分で意識しないまま行っていた。





 寒い冬が抜けようとしていた。三月の始め辺りになると、特に日中は段々と気温が上がっているような気がする。朝、外に出た時の気温の変化にあまり戸惑わなくなった。もうすぐ、季節が変わる。こちらに来て初めての春がやってこようとしていた。

 相変わらず不破は空き時間を利用しては図書館にいっていた。あの燃やしてしまった本のことが行くたびに脳裏をかすめ罪悪感と気味悪さが蘇るのだが、やはりこの世界で最も落ち着く場所といったら此処だった。現在はが勧めている国外作品の長編魔法ファンタジーというものを読み進めている。中々量が多く、暫くの退屈しのぎになりそうだった。ぱらり、と三巻目になるその小説を手に取る。今まで読んだ小説の中で最も重みがあると言ってもいいほどの重量だった。ただ、著者の手腕か、読み始めると止まらないというところまでのめり込ませてくれる。

 こちらの分厚いものは借りて家で読むことにしている。図書館にいる間はなるべく薄くて読みやすいものを読むのがいい。どれがいいだろうか、と数冊の本を選んでページをめくりながら選抜していると、ふと、背後からぽんと肩を叩かれた。

(……え)

 ぞくり、とした。何故、といわれれば、気配に敏感でいなければならないプロの忍者である自分が全くその気配に気が付かなかったからである。もしこれが戦場であれば死んでいた。とっくにこの喉仏は掻っ切られているはずだ。しかし、この世界に気配をけして背後に忍び寄る輩などほとんど居やしない。あの四人であればさすがに気がつくはず。いつも傍で感じている―一人は過去形だけれども―気配なのである。では、一体、誰だ。今、自分の背後にいるのはいったい誰なのだ。振り返ろうとも、首が中々動かなかった。見えないクナイを押しつけられている気分だ。

 そこまでたった数秒だろう。突然、ぷっと吹き出す声が聞こえた。緊張が一気に解かれる。今度は軽くぽんと叩かれるばかりでなく、がばり、と肩に腕を回された。梅のような香しい匂いが鼻をやんわりと刺激した。

「油断は禁物だぞ、不破」

 聞き覚えのある声だった。その当時よりは低くなっているけれど、話し方、声の張り、随分と耳に慣れている。今度こそくるり、と振り返ればそこには卒業時の面影を残した一人の現代人がいた。顔を見てみればそれが誰かは直ぐに分かった。けれども、警戒を解くことはなく、筋肉に緊張を与えたまま背後を確保するように本棚に預けた。

「立花先輩、ですよね」

 名前を口にすれば、満足そうに立花は目を細めた。そして、よく出来た、と言わんばかりに軽く頷いた。

「それ以外の誰かに見えるか」
「いえ。でも、綺麗な髪の毛をばっさり切ってしまってまるで別人みたいです」
「お前もだろう。湿気に当たって膨らんでいた髪がすっかり短くなっている」
「楽で、いいですよ」

 洒落たようにワックスでくしゅっとセットしている髪の毛をそっと掴んだ。不破は信じられないものを見るような目で彼を見たが、彼があまりにもこの時代に馴染んだ格好としていたので、夢だとは思わなかった。もしも、自分が見た幻想であるなら脳内に記憶された立花の姿しか映らないはずだ。黒い装束を纏った忍姿の立花しか。しかしそこにいるのはどう見てもその辺りを歩いている社会人だった。つまり、幻でないということだ。昔はサラサラとした長い髪が艶やかに揺れていたのだが、今は綺麗さっぱりで耳が髪の間からちらちらと垣間見れるほどになってしまっていた。綺麗に切り揃えられた短い髪の毛は、それでもその辺りの人とは違う光沢を含んでいる。彼との会話で思いがけず随分と昔の懐かしい記憶を掘り起こされて、くす、と不破は笑った。鉢屋が、湿気によって膨らんでしまった髪の毛を見て、その髪型のピースはもっていないと嘆いていたこともあったなあ、と。

「しかし、お前をここで見つけられて良かった」
「どういう意味です?」
「他の奴らを集めることが今からできるか」
「それは……」

 鉢屋、竹谷、久々知、尾浜のことを言っているのだろうか、と聞こうとして止めた。立花の言動は確信めいていたからだ。できるか、と聞いておきながら、それは疑問の問いかけではなくむしろ断言に近かった。彼らの今日の予定を思い浮かべながら、一つ頷いた。

「鉢屋以外なら、大丈夫です」

 苦々しく微笑んだ不破に対して、立花は少し眉をつりあげてそうかと答えただけであった。卒業後の彼の進路を不破も詳しく知っているわけではない。しかし、少なくとも鉢屋の噂は学園内に広まっていたので情報が卒業した先輩が知らないということはないはずだ。だが、彼は何も問うてこなかった。それに一物の寂しさを覚えながらも懐かしい彼の顔を見つめた。





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*101116 何故立花先輩が他の四人もこちらの世界へ来てることを知ってるのか。