*尾浜視点

 冬の夜はとても静かだ。人々は外に出るのを嫌い、家の中で暖を取るに徹している。窓も遮断しているので、テレビの音漏れも少ない。なにより、今は深夜なのでそれほど騒がれるはずがないのだが。冷たく、強く、吹き続ける風を肌で感じながら尾浜はぽつり、と呟いた。

「この時代の子はほんと素直だねえ」

 手にしていたのは今日もらってきたチョコレートの数々。事前にバラエティー番組でその存在を知っていたから、にこにこと愛想のいい笑顔で受け取っていたが、内心気持ち悪いことこの上なかった。それはきっと、恐らく、他の四人も同じことだろう。ほとんどよく知らない相手から手作りのもの―中には有名らしいブランド名が刻まれているものもあったが―を受け取ることがどれだけ危険か。その危険に常日頃から晒されていた自分たちにその感覚を捨てることはまず不可能だ。一人、失態を犯してしまった奴がいるがあれは例外だろう。この姿をくれた女性に晒したらまず怒り狂うか泣くかのどちらかだろうが、それを本人の目の前でしなかっただけマシだと思っていただきたい。

 寒空の公園に置いてある、大きなゴミ箱にごそりとそれらを捨てた。都合の悪い真実は証拠がなくなるようにひっそりと隠すべし。深夜二時を過ぎた真冬の夜はとても寒いが、かつてはこれよりも更に寒い極寒の吹雪の中を駆け巡っていたこともあった。耐えられないほどではない。むしろ、ぬくぬくとした毛糸が体を温めていることを不思議に思う。はあ、と誤魔化すように空に向かって白い息を吐いた。

「これの感想、考えとかないとな」

 後から声が聞こえた。そこにいたのは久々知だった。彼の嫌味にくるりと尾浜は振り返る。そして、ついてきたの、と目を細めた。気がついていたくせに白々しいと、久々知は眉間に皺を寄せた。

「勝手に出ていくから。何か掴んだんだと」
「えー、この数奇な命運を共に背負ってる兵助に何も言わないで出ていく奴だと思ってるの?」
「少しは思ってる。勘ちゃんも、そんなに俺のこと信頼してないのと同じ」

 寒空を更に冷たくさせるような冷え冷えとした視線が交差した。空気はぴりっとした緊張感を持ち、肌に痛みが生じるほどだ。久々知の白い肌は闇夜によく映える。ゆっくりゆっくり、尾浜は彼との距離を縮めた。

「そうか、おんなじだよね」

 さすがに久々知は自分のことをよくわかっていた。自分が己に対する利害関係に徹底して動くことを彼は知っている。それを知っていながら、尾浜という人物を見放さないのは人としての性なのか。自分に返ってくる害を回避したいだけなのか。どちらでもいい、と尾浜は思う。けれどもし彼が単に彼の行動に利害関係を求めて跡を追ってきたのならばそれはまるで見当意外だ。自分は何も確固たる証拠を掴んでいない。無駄足だよ、と口の端っこをつりあげた。久々知は尾浜の表情を探るようにじっと見つめた後に、いやそれだけで跡を付けたわけではないと首を振った。

「隠蔽するなら上手くしてくれ。彼女の分だけでも」
「あれ、なんだ。兵助も、はっちゃんと一緒なの。彼女を守り通したいって?」
「……別に決まってるだろ」

 呆れたように呟く。竹谷が彼女のことを恋愛対象として捉えているのはもう四人の中では公然の事実だった。それに加えて久々知もとは、面白いことになりそうだ、と要らぬ好奇心が湧いて出たのだが真っ向から否定されてしまった。ちぇ、と小さく口を尖らせた。

「俺は出来る限りの義理を返したいだけだ。勘ちゃんもその辺りの良識は理解できるだろ」
「うん、まあ、こんな怪しい俺らをかくまってくれてることに対してはその通りだけど」

 情報機関を通して知るということは未知の世界で生きていくという特殊な条件下において優先すべき事項だ。もし、あそこで彼女の申し出を突っぱねていたら、果たしてこの発達した時代に正しく情報を入手できていただろうか。脳内の理解の範囲を超えたことを、テレビという名の映像を通して事前に叩きこみ、政治情勢を理解し、西洋から伝わってきた異文化を表面的にでもいいので理解して、ようやっとこの時代の本質を知ることができる。いくら同じ人間という種類の生物が築きあげている社会だとしても、周りの状況を知らずに飛び込んでいけば、強固な精神を持っていると曲がりなりにも自負している輩が多い忍でも精神の削られようは半端がないはずだ。知らない風景。文化。環境。言葉。知識。それらが溢れかえっている世界でもみくちゃにされて、果たして耐えることができただろうか。あの時の咄嗟の選択を今になってようやく正しかったと確信を持って判断することができる。

(何故、俺たちを安々と受け入れてくれたのか。それは今でも気がかりだが)

 竹谷に忠告されてから表立って彼女に対して怪しまれるような言葉は投げかけていない。痛めつけてこの霞みがかった疑問を晴らすのはとても簡単なことだが、この状況下ではそちらの手段よりも相手側に自分を信用させてそのうちぽろっと吐かせる作戦の方が効果的だ。周りに竹谷のみならず久々知もついているのならより一層彼女との仲を深めて置くことにこしたことはない。

 それにしても、今日の彼女の取り乱しには驚いた。怒り、悲しみ、嬉しさ。それなりに表情にする彼女だけれど、昂る、というよりもむしろ感情的になることが少ないので、あのような姿を自分は見たことがなかった。それゆえに、まさかぼろぼろと涙まで流されるとは思っていなかった。その行動を誘発した竹谷はぽかん、と軽く目を見開いて言葉を無くしていたし、久々知は慰めるようなタイプではない。本来なら不破が適役なのだが、彼もぼんやりと彼女の姿を久々知と一緒に傍観しているだけだった。ならば、あの場を終息するのは自分しかいまい、と咄嗟に彼女の肩を抱いた。ふわり、と甘い、向こうでは絶対に嗅ぐことができないような花を模倣した香りが鼻をくすぐったが記憶に残っている。

 右手を見る。柔らかい彼女の肌にこの手が触れた。だからといって、竹谷のような感情が浮かんでくるのとはまた違う。あれは義務的にした行為だった。あの場をずっと眺めるのはさすがに尾浜も耐えきれなかった。人が泣く姿は嫌いだ。それが自分がしたことによって泣かされるのならまだ気分はいい。むしろ好きと言ってもいい。けれど、他の誰かによって泣かされた誰かを見るのは嫌いだった。煩わしいとさえ感じてしまう。だから、とっさに慰めようとした。

「もうちょっと強い人かと思ってたけど」

 零れた涙をぬぐったその指をぎゅっと握りしめた。生温かい水の温度がやけに生々しく感触として残っている。じわじわと心中に浮かび上がる煮え切らない感情を消し去るために代わりの感覚、鋭い爪の痛みをそこに与えた。早くそれを消したくて仕方がなかった。伸びた爪は尾浜の堅くなった皮膚に食い込む。痛さは寒さに麻痺してあまり感じることができなかった。





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*101018