実のところ私はバーというものに訪れるのは初めてだったりする。飲み会といえば、いつもはおっちゃんが通うような居酒屋ばかりだった。このように小奇麗な雰囲気を纏っているバーには訪れたことがない。店内はほんのり薄暗く、ロマンチックな音楽が流れている。鉢屋のことよりその場の雰囲気に緊張してしまった私は入り口で足がすくんでしまっていた。何やってるん、と先に進んでいた夢菜が呆れたような視線を寄こす。慣れてないのだから仕方がないだろう。促されるように手をひかれて、私たちはカウンター席に座った。マスターは三十代前半の少し渋めでとても魅力的な方だった。甘えやすそう、包み込んでくれそう、という印象を第一に持つ。

「久しぶりです!鉄次さん。商売繁盛してはります?」
「久しぶり。まあぼちぼちだね。そちらはお友達?」
「はい、大学の友達のいうんです。今日はお目当ての人がいるっていうんで連れてきたんですけど」

 私の代わりにぺらぺらとよく舌の回る夢菜が答える。この大人の空間というか今まで訪れたことのないような雰囲気にそわそわしっぱなしの私にとっては好都合だった。思ったよりも親しげにマスターと会話している夢菜に、やるな、と少しだけ尊敬の気持ちが芽生える。私は人見知りというほどではないけれど、彼女ほど社交的でもない。その行動力は見習うに値する。マスターは夢菜の人懐っこい絡み方に慣れたように笑みを浮かべ、対応していた。こちらもさすが接客業をやっているだけあって話のテンポというものが自然だった。

「お目当てというと?」
「そりゃあ、ここの人気ナンバーワンの卓也くんに決まってますやん。みたところ今日はおらへんみたいやけど」
「あーっと……今、裏に行ってるかな。もう少ししたら戻ってくると思うよ」

 きゅ、と透明のグラスを布巾で磨きながら、彼は無言で座っている私にもごめんなさいね、と人の良い笑みを見せて話を振ってくれた。いいえ、と軽く首を横に振る。そして、ふと、この人は鉢屋のことを何処まで知った上で雇っているのだろうかと疑問に思った。鉢屋がお世話になっている方というのはこの人では、と勝手な予測がでてきたのだ。ただのバイト先の店長ということも十分にあり得るけれど彼の周りから探ることも手がかりの一つになろう。

「あの、卓也くんって、マスターさんから見てどんな人ですか」
「え?……ああ、まあ、まだ雇い始めたばかりなので彼のことはあまりよく知りませんけど、一生懸命働いてくれるいい子ですよ。外見はいまどきの若者だけど妙に芯がしっかりしえるところがありますし」
「悪い印象は抱いてない、と」
「もし抱いていたらここで働かせませんよ」

 くすり、と一つ御尤もな意見を口にしながら微笑む。それはそうだ。雇ってもらえる程度に信頼を得ているのは当然だ。

さんは、どうして卓也に興味をもったんです?まだ顔を見たこともないのでしょう?」
「……え、そりゃあ、イケメンが働いているとなれば女子大生として気になるものじゃありません、か」

 可笑しいですか、と首を傾げる。動機としては全く違和感がないはずだ。ねえ、と夢菜を振り返れば、こくこくと彼女も頷いていた。私の場合はそのイケメンに対するレーダーは三次元よりも二次元よりに働くことが多いが、カケラもそれが存在しないわけではない。

「いや、顔も見てないのに性格を聞きますか、と。あまりいなかったので、そういう若い女の子は」

 それは、外見が目的なのではなくあくまでその卓也とやらが鉢屋であるかどうか確かめるためにここに来ているからです。なんて口が裂けても言えやしない。そうですかね、と不思議そうな表情を浮かべて話題を濁した。この人はなんとなく鋭い。マスターから見て、なんて言わずにどんな人ですか、と無難な言い方にしておけばよかっただろうか。それなら、この女の子は彼に気があるんだなという程度で済まされていたかもしれない。

 ちりん、と店の内側にあるドアの鈴が鳴った。ソフトドリンクに口を付けていた私は―実はまだ未成年なのでお酒は飲めないのである―ふと顔をあげる。そこには黒いバーテン服に身を包んだ茶髪の男性が一人いた。髪の毛は無造作に切られ、長く短くもない今時の髪型だがあの独特のつり目は確かに利吉さんだった。リアル利吉さんだ。イケメンだ。つんつんと夢菜がカウンターから見えない様に脇腹を小突いた。どうだ、似てるだろう、と言いたげだ。私もそれに同意し、こくりと微かに首を動かした。彼はじっと見つめている新顔に気がついたのか、こちらに視線を向けてにこりと微笑んだ。

「いらっしゃいませ」

 アニメでも見たことないほど利吉の笑顔が安売りされている。普段、不破の仮面を貼りつけているときのぴりっとした緊張感はまるでない。演技が上手いのか、それとも別人なのか。……ここまで利吉を連想させる顔があるとは思えないのだが、なにしろ現代服に身を包んでいるので分かりにくい。よく何も知らないところから彼の外見を利吉だと判断できたな、と改めて隣の友人の眼力の高さを思い知った。私だったら似てるなこのイケメン程度で済ましてしまうだろう。

「そちらの方は初めてですよね」

 夢菜にお久しぶりです、と挨拶してから私のことを失礼がないように初見かどうか確かめて、自己紹介をした。彼は卓也です、とまるでホストのような綺麗な礼をしながら名乗った。動揺や不信な動作はまるでない。もしここに他のメンバーを連れ来たのなら彼が鉢屋だとわかったのかもしれないが、素人目では全く識別不可能だ。やはり、誰かを連れてくるべきだったのか。けれど、誰が最もそれにふさわしいかなど私には選べない。まだ、そっとしておくべきなのではないか、と思っていた。

 二十歳を超えている夢菜が軽くほろ酔いになるまで、適度にマスターと世間話を交わしながら一人シラフで彼の動向をちらちらと伺っていた。それにもちろんマスターも彼も気付いていたようであったがマスターは、これは本当に卓也に惚れちゃいましたかね、と茶化すように雰囲気を和らげてくれたので怪しまれずに済んだ。男女間の邪な感情、万歳である。見た目によらず物腰が柔らかで、利吉と性格を被せているつもりもないらしい。あれはどちらかといえば不破のような印象を抱く丁寧な態度だった。そのギャップに弱いお客さんも多いらしい。想像以上の人気っぷりだ。だからこそ、遠巻きに眺めるしかできず、頼みの夢菜も酔ってくると自分の身の内をべらべらしゃべりだす語り好きなので早速卓也に関心を持たず、むしろしっかり話を聞いてくれるマスターがいればそれでよしと本来の目的を忘れ、口を動かし続けていた。おいちょっとそこ、話が違う。

 夢菜と共にお酒を飲んだのは初めてではないが、彼女は今日、やけにハイペースだった。そろそろ店じまいですよ、という時間帯まで私は鉢屋と接触する機会がないか、これでも十分に機会をうかがってはいたのだが彼は常時忙しそうであまり真相に触れるほど会話ができなかった。代わりに得たものと言えば、酔い潰れた友人とその友人が飲み続けたお酒の伝票だけである。

ちゃん、もっと飲むうー」

 豊満な胸をぴったりと腕に押しつけながら、まるで彼氏に寄りかかるかのようにおねだりしてくる。見目がいいので私もつい可愛いと思ってしまったが、何分、息が酒臭い。そんな女の子はちょっと勘弁である。べったり机にへばりついた彼女を立たせるように説得していたら、いつの間にか最後の一人になってしまっていた。すいません、とマスターに勘定を払うついでに頭を下げる。いいですよ、と彼は笑った。

「夢菜ちゃんがこうなるのは今回が初めてではありませんから」
「え、そうなんですか」
「はい。しかし、さん一人で彼女を連れて帰るのも難儀ですよね。ふらふらしてますから。……そうですね、卓也、彼女たちを送って差し上げて。そのまま直帰すればいいから」
「え、あの、マスター?」

 ごくり、と喉が鳴る。まさかのチャンスだ。マスターは私の小さな呼びかけに、ウインクを返す。なんてウインクの似合うおじさまか。恐らく、彼は私が鉢屋に気があると知って気を聞かせてくれているようだ。……えええ、いいのかなあ。鉢屋はマスターのそんな言葉に、嫌な顔一つ見せず、わかりました、と返してくれた。腕の中に収まっている夢菜を抱き上げて、タクシーを拾いましょうか、と先に外に出ていった。

「よかったらまた来てください」

 マスターの言葉に背中を押されながら私も慌てて寒空の広がる、外へ出た。





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*100905 バーテンさんは憧れの職業の一つです。