*鉢屋視点

 それ以上の情報がない、と判断せざるを得なかった鉢屋は、会話の後始末もほどほどにを帰した。何かいいたそうな目を彼女はしていたが、恐らく不破達のことであろうと、もう聞きたくはないと有無を言わせず帰るように嗾けた。帰るための手立て、可能性が日を削ることに少なくなっていく。先ほど、彼女に焦っているのか、と聞かれた時はまるで自問自答しているかのような感覚に陥った。焦っている。そう、驚くほどに自分は焦っている。これまで体験したどのような任務にも緊迫感と焦燥というものは常に存在した。むしろそんな感覚がない任務など、鉢屋のところには回ってこない。そんなものは下っ端のすることである。しかし、これはどの感覚とも違った。日に日に、じわりじわりと体の一部をもぎ取られていき、それを止めるすべが何もないに等しい状況で募る様な長い期間積もった焦りであった。冷めたコーヒーに口を付けて、自嘲した。一般人に悟られるとは、自分の腕がなまっているのかもしれない。

「さて、そろそろ来る頃か」

 カタン、と席を立つ。店から出ると、背後から鉢屋を追うようにして一人、男が店から出てきた。彼がと鉢屋がスタバに入ったとき、同じく店内に入ってきたのをもちろん鉢屋は気がついていた。恐らく本人も気づかれていることは承知済みだろう。暫く、メイン通りから道を外れるようにして歩き、細道へ入り込んだ時後ろの彼が声をかけた。人の影が少ないここなら、話を聞かれることはないだろうから。三郎、という自分の下の名前を彼は小さく呟いた。尾浜である。

「この間はどうも。随分見事な一撃をかましてくれて」
「いや、あれを致命傷にならずかわすことができたのはさすが、だな」
「俺も死にたくはないし必死だったよ。……んで、三郎。俺が何を言いにここに来たか、わかるかい?」
「さて。自慢じゃないが、私はお前の考えてることはさっぱりわからないんでね」

 表面上の意図は見えても、尾浜の真意といえばはっきりいって闇の中だ。否、恰も表面上の意図で裏があると悟らせないところが彼にはある。拷問のスペシャリストでありながら、彼は至極情報操作が上手い。……つまるところ、知恵、があるのだ。しかも久々知が成績優秀ではあるがあれとは違う。一歩枠からはみ出た、悪知恵とでも言うべきなのだろうか。久々知は確かに一見とても謎めいた雰囲気を醸し出しているが、行動に関してはほとんど基本通り。筋が通っており、まっすぐだ。それを悪いといっているのではない。ただ、目の前の男は捻くれていて―もちろん、鉢屋自身も捻くれ者の一派であるということは自覚しているが―掴みにくい人物なのである。首を横に振って、御用件は、と促すように尾浜を一瞥すると彼はそれまでのにこにことした表情をがらりと変えた。

「君が何を思って学園を出たのか。調べる手立てが何もなかったと、君は思ってる?」

 尾浜は静かにそう言い捨てた。ぞくり、と鉢屋の体が微かに震える。鉢屋にとって、尾浜は二人目の不破といっていいほど近くで接してきた存在だ。学園において、不破以上に傍にいた存在はいないだろうがそれでも次点にくるのはこの尾浜勘右衛門という男なのだ。委員会の関係性はそれはそれは深い。特に、学級委員会という普段は何をしているか明るみに出ていない存在だったからこそ。多くの敵と対峙した過去を持ち、いくつもの修羅場を潜り抜けた。数はそれこそどちらも変わらないであろうが、圧倒的に鉢屋の方が中身の濃さでは勝る。腕も、明らかに鉢屋の方が上だ。それなのに、得体の知れぬ恐ろしさが彼の無垢な笑顔から湧き上がってくる。これが、尾浜の怖さだった。そしてそれを全面的に晒していたのは恐らく―学園時であったならば―自分と久々知だけであったであろう。竹谷は不明だが、不破は気づいていなかった。彼は真っ向から尾浜を信頼していた。鉢屋が尾浜を甚振るように人を欺く彼の印象を末恐ろしい存在だ、と感じているのは当時も年月がたった今も変わってはいない。乾いた喉が微かに鳴る。その反応に満足したように、尾浜は目を弓なりに曲げた。

「三郎が何を恐れているか、それを当ててあげようか。…………真実を知られることだろう。雷蔵に。はっちゃんに。兵助に。もしかして俺も入っていたのかな?」
「馬鹿なことを」

 は、と鉢屋は鼻で笑い、続く言葉を吐き捨てた。

「お前がそれを知っているのなら、当にあいつらは知ってんだろ」
「いや、これは俺の独自の情報網。学園を離れて五年しか経たないが、俺の視野の広さを舐めてもらっては困る。それにもし雷蔵が真実を知っていたなら、彼が大人しく彼女の部屋でくすぶっているはずがないだろう?」
「……取引でもしようってか」
「相変わらず察しがいい。そういうとこ好きだよ」

 嬉しくないっての、と鉢屋は苦々しく吐き出した。にこり、と目を細めた尾浜を少なくとも自分は得意ではなかった。他の誰よりも、といってしまっては嘘になるが、それと並ぶくらい見たくない存在であった。なにせ、彼の微笑みには冷徹な大人には存在しない、無垢といっていいほどの無邪気さが存在しているのである。末恐ろしかった。こちらの世界に来てから、まさかこうして尾浜と一対一で向かい合うことがあるとは思いもよらなかったけれど。首筋に伝う、嫌な汗を感じながら彼を一瞥する。

 取引せずとも口封じのためにここで殺してしまう、という選択肢はもちろんあるだろう。自分と彼とでは実践的な実力はまるで違う。だが、彼にはそうできない理由があった。なぜなら、ここは、自分たちの世界ではない。忍者が合法的に殺戮を行えるような場所ではないのだ。証拠隠滅も不可能ではないが、何にせよ、迷惑をかけてしまってはいけない人物が既に自分の中にはいる。それを、彼は把握していたのだろうか。一度ちらっとでもに零してしまったあの一言を彼女は彼に伝え、そこからそんなことを憶測で判断したのだろうか。末恐ろしい奴だ、と再び心の中でこぼした。焦っていると悟らせてはいけない。冷静になれ、と言い聞かせながら尾浜の話しに耳を傾けた。

「三郎は何を知ってるの。……何故、彼女に原因があると推測する。限りなく只の人間にできるような事柄ではないということは君もよくわかっているはずだと思うんだけど」

 それともただの責任転嫁か、とどこか楽しげに彼はそう続けたが全てを告げる前に彼はそのよく回る口を閉じた。図星であるかのごとく静かな怒りを込めた目で鉢屋が尾浜を睨んでしまっていたからだ。

「全くもって彼女を狙うことは無意味だ。賢い君ならわかっていると思うけど」
「で。なに、勘は俺にそれを止めさせたいわけ。珍しい」
「珍しいって、三郎も酷いこと言うね」

 低く掠れるような笑い声を聞いて、鉢屋は彼の真意を探り兼ねていた。態々それを取引の題材として彼は持ってきたのだろうか。それをする必要性を彼はいまいちわかり兼ねていた。それをすることで彼にどのような利益がでるのか。なにより、彼がこのように口を出すのだから必ず彼女にはそれなりの自分を彼女から遠ざけるための理由が存在するはずだ。赤の他人へこうして制約をかけること自体が彼にとってはあり得ないことだ。時には味方でさえ欺くほどの二面性を持っている尾浜だからこそ、彼女の身がどうなろうとも、命を奪うまでの荒技を鉢屋がするはずもないとわかりきっているのだからいちいち口にするのはおかしい。しかし、鉢屋は彼女と四人の関係は全く持って手探りの状態である。どのような関係性で彼らが彼女と付き合っているのか、それを把握できていない自分が明らかに不利だ。かといって、どこまで尾浜が把握しているか、もしかしたらそれ自体もはったりかもしれないが、鉢屋にとってそれは最も触れてほしくはない事実であった。何があったとしても、不破だけには言えない。

「それが取引の条件か」
「そう。俺は三郎が隠したがっていることをけして口にしない、代わりに三郎はに手を出さない」

 鉢屋はしばしの間考えた。二度、彼女と接触して、考えていたことだ。恐らく、彼女自身が気づいている事実で告げていないことはこれ以上は存在しない、と。それならば、これ以上彼女に接触して尾浜に行動に移されてはこちらがあまりにも不利な状況に陥ってしまう。こくりと首を縦に振った。

「上は判断を誤ったのだろうな……私よりも確実に勘を手にした方がより強い組織が作れただろうに」
「それは俺も同感。守るべきものがない、というのは俺にあり三郎にはない事柄だったから。それを保持している俺の方が何倍もこの逆襲劇には力になったのだろうな」

 守るべきものがない、と彼は言う。びくりと、鉢屋の口の端が歪んだ。ここまでくると恐ろしい以外のどの言葉で形容していいかすらわからない。

「お前、本当に、何処まで知ってるんだ」
「……さあねえ」

 ひっそり、口元に人差指を立て秘密、と言わんばかりに微笑みを漏らした。そのまま彼は踵を返す。絶対に、彼女に近づかないでくれよ。と、一言念を押して。太陽の照らす中、さっとその姿は見えなくなった。





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*100830 勘右衛門/(^O^)\