鉢屋に出会ったことを四人に告げるかどうか、悩んでいた。本当なら言うべきなのだろう。不破だって彼が無事に過ごしていると聞いたら幾分か落ち着くと思う。鉢屋だって私の前に表れ、口止めもなにもしなかったので別に言っても構わないということだ。しかし、鉢屋の口から聞かされたことは随分ショックだった。忍者としての本質、昔の仲間に対する感情、そして分かりきっていたことだが自分の浅ましい部分を思い切り他人に、しかもキャラクター自身に読み取られ、吐露されてしまったことに大きなダメージを受けているのだ。それに、だ。鉢屋はどうやってその事実を知ったのか、またどこまで深く理解しているのか知らないが彼らの世界はこちらの世界では二次元の存在であることを知っている。事実を知っている久々知はともかく、ようやく仲良くなれた不破、尾浜、そして竹谷が彼と接触することをその事実を知ってしまうのを心の奥底から拒んでいた。

(マジ自分厭らしい……)

 鉢屋に指摘されて自覚した。彼らをこちらの世界だけでも独り占めしようとしている自分に。何も知らないままの彼らを自分のテリトリーに縛り付けて、知らせない様に隠して、彼らの行動を勝手に嘆いて怒って。……何も、知らない癖に。

「これからどうやって彼らに接していけばいいのか、自信ないな」

 そもそも最初から自信等は無かった。あったのは少しの好奇心と、彼らに対する大きな好意だけ。広げたノートの上に顔を被せてそのまま目を閉じた。勉強で考えすぎて脳が悲鳴をあげているときに私がよくする癖だ。接する自信がなくても、接していかなければならない。その時ブルブルと鞄に入れていた携帯が震えた。ぱっと体を起こして画面を覗き込んだ。着信には、私のHNが入っていた。竹谷たちに持たせている唯一の携帯だ。私は恐る恐る電話にでた。

「もしも……」
ちゃん、今どこ?」
「学校のカフェテリアだけど。雷蔵であってる?」
「うんあってる。それより、今何時かわかってるの?はっちゃんも勘ちゃんも心配して探しに行ってるよ。講義が無いはずなのにこんなに遅くなるなら連絡しろって」
「遅いって……え、もうこんな時間!」

 店の奥にある時計には普段のバイトのない日ならとっくに帰宅している時間帯を一時間も過ぎていた。まだ自分がここに入ったときは明るかったように思うが、日もとっくに沈んでいる。悶々と考えている内に時間の感覚がなくなったのだろう。途端に申し訳なさが襲った。慌ててテーブルの上に散乱していたノート類を鞄に押し込める。

「気がつかなかった、ごめん!急いで帰る!」
「もう真っ暗だから迎えに行くよ。大学の門の前で待ってて」
「え、あ、うん」

 柔らかい言葉遣いの中にも有無を言わせぬ強さが入っていて、「大丈夫だよ」と言おうにも言えなかった。電話を終えた後、焦って突っ込んだせいで端が折れ曲がってしまったルーズリーフをぺらりと正した。帰りが遅い、なんて心配されたのはいつ振りだろう。高校に入ってからは部活に入っていたので少々帰りが遅いのなんて日常茶飯事だった。一人暮らしを始めてからは門限なんて存在しない。のろのろと力の入らない手で鞄のチャックを閉めて、門まで歩いた。すると、そこには既に不破が立っていた。竹谷に貸していたはずの律子作のマフラーをぐるぐると巻いて、私が来たことに気づくと怒ったように眉がぴくんと動いた。

「ごめんなさい」

 彼が口を開こうとするより先に、間髪をいれずに謝った。ぺこり、と礼も付けたして。不破は先手を突かれたという表情をして、苦々しく微笑む。

「今度からはちゃんと連絡してね」
「心得てます。……ハチと勘ちゃんはもう家に戻った?連絡ついた?」
「それは大丈夫。はっちゃんの忍犬がいるから、彼らが呼びに行ってくれてる。……帰ったら僕よりもはっちゃんと勘ちゃんに怒られるんじゃないかな」

 忍犬、という言葉に聊か引っ掛かりはしたものの、竹谷がよく野良犬に餌をやっている姿を見ていたので躾けたのかどうかはわからないが、多分、そういう意味合いで動いてくれる動物を既に手名付けているというのは理解できた。さすがは生物委員長代理……じゃなくて、ちゃんとした生物委員長を経験しているの、か。今の彼はもうその一年を通り過ぎているのだ。まだ描かれていない空白の時間が彼らには存在する。

 隣をゆっくりとした歩調で歩く不破を見上げた。不破の顔を見て、鉢屋の顔が思い浮かんだ。今、言わなければ、とその気持ちが脳内を駆け巡った。ここで、伝えなければきっと後悔する。私の個人的な我儘で彼らを振り回すのはもうやめよう。事実を知ってほしくはないが、それを恐れて鉢屋がここに訪れたことを報告しないままだと彼らの選択肢が更に小さくなってしまう。鉢屋との一件をつげて、そして初めて彼らは動き出せるのだ。そのあとから私は見るだけの役回りに回ろう。彼らがどうするのか、私は見守ることにしよう。

 くい、と不破のセーターの裾を緩く引っ張った。彼は立ち止り、どうしたの、という表情で振り返った。すう、と息を吸い込む。外の寒さが体を突きさすようだった。

「今日、鉢屋くんに会った」

 不破が文字通り固まった。必死に探していた鉢屋が見つかったことが嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない表情をしている。読み取れない。表情が消えた、といってもいいのかもしれない。不破は淡々とした声を出して私に問いかけた。

「三郎は、なんて?」
「私に、元の世界に戻る方法を教えろ、って」
ちゃんにそんなことを」
「無理って言い返した。しつこく何度も聞き返されたけど」
「そう、ちゃんと元気に暮らしてるんだね」
「見た限りは、ね。細かく話してくれなかったけど、お世話になっている人がいるって言ってたし」
「……そっか」

 少なくとも、ちゃんと生活しているのか、と不破は零した。微かな音だったけれど、車の通りも少なく静かなこの場所では辛うじて聞きとれた。ただ、それがあまりにもか細い声だったので私は彼が泣いているのかと一瞬だけ思ってしまった。見上げても涙は零れていない。

「鉢屋くんね、雷蔵の顔してた。始めは雷蔵がそこに立ってると思ってたの。でも違った。同じ顔をした鉢屋くんだった」
「まさか!」
「本当。だから私、彼が鉢屋くんだって気付いた」

 ふるふると肩が震えている。それは嬉しさ故か、悲しさ故か。ぎゅ、と震える不破の手を握りしめた。そんな感情を抑えようとしている姿を見ながら、私はなんとなく不破の心情を想像していた。けれどそれは所詮想像に過ぎない。彼は何かを堪えるようにして歯を食いしばってじっと繋がれた手を彼は眺めていた。否、手など見えていなかったのかもしれない。考えを巡らせるように、ずっと一点を眺めていた。彼は再び歩きはじめよう、と催促するまで一言もしゃべらなかった。





 家に帰った後、こってり竹谷に怒られた後でその話を三人にもした。久々知もバイトからあがっていたので丁度良かった。三人もそれぞれ、聞き終えるとぽつんと瞑想に入った。何を言えばいいのか、考えあぐねているようだった。

は三郎に何もされなかったんだな?」
「これといって何も。人前でもあったし……」

 竹谷の問いにこくり、と頷いた。久々知が堀を説得するために口にしていた言葉が浮かぶ。冗談かと思っていたがあれは半分本気だったらしい。

「三郎は雷蔵の顔を普段からつけているわけではないだろう。もしそうなら、見つけ出すのも簡単だ。に会うために作ってきたと考えた方がいい。兵助がいない時を見計らってに接触したというのなら、その線が一番高いだろうな」
「……僕もそう思う。三郎は、敢えて僕の顔を使ったんだ、と。一般人であるちゃんのみに接触したということは僕らとは顔を合わせたくないということだからね」
「にしても、彼の世話をしてくれている人っていうのが気になるなあ。俺としては、あの三郎と上手く暮らしていけるような人間が現代に存在するとは思えないんだけど」
「俺も勘ちゃんに同感だが、の話からすると随分現代に溶け込んでいたんだろう?いくら三郎といえでもこんな短期間に見様見真似で現代に馴染めるはずがない。まあ、無事なら無事に越したことはないのだけど」

 竹谷の言葉をきっかけに、不破、尾浜、久々知といった順で意見を述べる。元々彼らが鉢屋を探そうとしたのはあまりにもこの世界が彼らのものとは違っていたから。その価値観の差異に飲みこまれて厄介なことに巻き込まれぬよう、大方の説明をして彼に今後の選択をしてもらうはずだった。結果、彼は今となってはその心配がなくなっていた。彼の証言をそのまま鵜呑みにしたのなら、彼はその「とある人」の存在のおかげで現代に不自由なく溶け込んでいるようだ。この時点で彼らが鉢屋を探す理由もなくなった。不破、尾浜に関してはまだ彼らの城主の命が残っているが、それは現代では適応しないと思っている。何より、鉢屋は去り際に不破にこう告げたのだ。

「俺を追いかけるな、雷蔵。頼むから」

 あの言葉は私の心の中にも、そして言われた本人の心の中にも深く残っているに違いない。

「三郎がそのまま尾張で生息しているということが知れただけでも、いいだろう。しかし、今後のことが気になるな。三郎は恐らくまたに接触してこようとするだろうし」
「兵助の言う通り、多分、また来ると思う。なんでか彼は私が貴方達をこの現代に連れて来たと信じ込んでるみたいだから」
「……どこどう見て三郎がそう判断したのか、わっかんねぇなあ」

 ちろり、と竹谷が視線をこちらへ向ける。どうせ、頭から足の先まで神秘的とか霊的とかそういう不可解な印象なんて全く存在しない一般凡人オーラしかもっていませんよ、と心の中で零しておく。私にしたって、頭のいいはずの鉢屋があそこまでに今回の逆トリップが私のせいだ、と確信しているのは少し可笑しいと思っている。魔術師―昔の日本でいえば、陰陽師などの部類が当てはまるのであろうか―に当たる存在が彼らを不思議な力で故意に呼び寄せた、という線もなくはないが、ああも頑なに確信するには理由が曖昧すぎる。まるで、そうであってほしいと思い込んでいるようだった。

「念のため聞いておくけど、にそういう力は」
「ないに決まってるでしょうが」
「……だよな」

 久々知の言葉に、呆れたように否定した。とりあえず、とそこで尾浜がまとめた。今後、私に鉢屋が接触してくる可能性は彼の発言からしても十分に存在する。ただ、四人とは顔を合わせたくない様子なので、誰かが一人でも私の近くに居ればその機会が格段に減るだろう。故意に、彼と接触の機会を設けるのも一つの選択肢であるが、彼がこの世界でそれなりに生活しているという情報を得たからにはその必要性もない。また、彼が私に特殊な能力があると仮定しているなら、何らかの被害を被ることも考えられるので、うかつに一人で出歩かせるのは少し危険であるという判断が下される。彼が言った内容はこのようなことだった。

「暫くはを一人にさせない方がいいってことだね。兵助とはっちゃんから聞いた限りでは元の時代に帰る手段の方も八方塞のようだし、変に接触を繰り返すのはどうかと思うよ」

 尾浜の言葉でその場は一旦終わりを告げた。





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