不破、尾浜とほんの少し距離が縮まって既に二週間がたった。不破の捻挫はほとんどよくなり、勝手に外を出歩くようになった。彼は、最近、久々知がレストランとは別にバイトに入ったコンビニに共に働きに出ている。尾浜も抜歯を終え、そろそろアルバイト先を探そうかと求人雑誌に目を通しては悩んでいた。こちらの世界に慣れてい来たと解釈してもいいだろう。鉢屋に関しては、竹谷、久々知が中心となって探してはいるものの、出会うことはまずなかった。鉢屋の変装の能力を考えても、一般人としてこの場に溶け込むことは可能だろうし、今まさに不破の顔を張り付けたまま彼が行動しているとは思えなかった。

 私は狭いカフェテリアの一角でノートを広げていた。熱かったミルクティーも外の寒さに次第に温くなっていく。テスト期間中ということもあり人が多かったけれど、ほとんどの人がテキストを持ち込んでいるので普段よりは大分静かだ。英語の教科書をまた一ページ捲ったところで一息ついた。今日は久々知はいない。本当は大学に居る間はほとんど彼が傍にいるのだが、急遽バイト先に呼び出しされたのだ。久し振りに一人で大学にいることに、少しだけ解放感と寂しさを感じていた。そんなことを考えている暇もないのだけれど。目の前に迫る問題集に苦い笑いを零した。ふ、と二人掛けになっているテーブルの向い側に誰かが立ち止まった気配がした。顔を上げて、言葉を失った。

「こんにちは、さん」

 四人が血眼になって探している鉢屋三郎が目の前にいた。髪の毛もすっかり切り揃えられ、まるで不破が目の前にいるかのようだった。すぐに彼ではないとわかったのはにこりと細められているのに、全く笑っているうように見えないその目だった。空調のおかげで心地よい温度の中にいるはずなのにぞくりとした寒気が私を襲った。

「ここ、いいかい」

 有無を言わせぬ問いかけに私はこくりと首を縦に振ることしかできなかった。

「……鉢屋三郎くん、であってる?」

 カタリ、と堅い音を立てて彼は椅子を引いた。手にした缶コーヒーのプルタブを慣れた様子でぷしゅっと空ける。どうしたことだ。彼は既に現在に適応し始めている。私の問いかけに、鉢屋は頷いた。

「あってるよ」

 鉢屋は間違いなく現代人から事情を聴いている。いくらかれが天才だと言われていようとも身振り手振りで、ここまで自然に現代に溶け込めるとは思えない。誰かしら彼をここまで現代に馴染めるように指敵した人間がいるはずだ。私は全く想像もしていなかった。けれど改めて思えば、私のような人間がこの世にいないわけでもない。私だけが特別なわけではない。この世には五万と夢小説を愛読するオタクが存在する。逆トリップを知っているのは何も私だけではないのだ。ぐるぐると頭を巡る言葉が多すぎて何も発せずにいると、鉢屋は薄く笑みを零した。

「さて、なんで私が貴方に会いに来たのか。それは言うまでもないだろう?」
「……雷蔵たちのこと?」
「違う」
「じゃあ、なに?」
「元の世界に私を返せ、ということだ」
「……そんなことが私にできるとでも思ってるの?」
「さてね。でも今のところ手掛かりは貴方だけなんだよ」

 凍りつくような視線が突き刺さった。不破の顔をしているのに、笑顔一つでこれだけ違うのかと唖然とする。

「雷蔵たちのことは気にかからないの?仮にも、同じ教室で六年間学んだ旧友でしょう」

 くっと乾いた音が響いた。喉を鳴らして鉢屋はにやにやと笑う。何がおかしいのだろう、と笑われたことに対してむっと眉を寄せると笑いをかみ殺しながら彼は口を開いた。

「へえ、貴方はそんなことを考えているわけ。傲慢だとは思わないのか?それは貴方の強欲な我儘にすぎないんだよ。五人は美しい友情で結ばれていてほしい、汚されたくないとね。綺麗なままのイメージを残しておきたいわけだ。現実から目をそむけているのは貴方だよ、さん」
「……何がいいたいの、鉢屋」

 当初から考えていることを見透かされて、私は動揺してしまった。まるで、私が彼らの過去を知っている、そして、当時の仲の良い五年生と今の彼らのギャップに驚き、元のようになればいいと考えていることを彼は全てわかっているかのようだった。蒼白になっていく顔色を見て、鉢屋は満足したように口を開いた。

「知っているよ。私たちの世界が、この世界で漫画として広く読まれているということを」

 貴方がそれを彼らには言ってはいないということも、ね、と鉢屋は付け足した。どこまで見抜かれればいいのか。私はこの場から逃げ出したくなった。疾しい気持ちを表面にさらされて、恥ずかしさと申し訳なさが入り混じった。しかし、鉢屋はそれに対してはこれ以上口を開かなかった。

「友情、それは素晴らしい言葉だ。なんて綺麗で無垢で尊いものだろう。でもそれは理想論に過ぎない。友情なんて、生死が関われば、無に返る。友人を手にかけるというのはそういうことだろう?生きるために、友を殺す。命を実行する能力がなければ、それは過失だ。契約解除に繋がる。つまりは忍びとして生きていけなくなるってこと。自分のために嘗ての友を殺すんだよ。そういう生き物なんだよ、私たちは」
「……」
「それが、友情?っは、笑わせるね。そんな美しいものじゃない。それはあの四人も痛感しているはずだ。曲がりなりにも忍者として、後輩・先輩・同級生と出会って殺してきている。気付きたくなかった真実にも立ち向かっていることだろう。それを表面上しか覗いていない貴方にとやかくいわれる筋合いはない。言えるのは、さっさと、元の世界に返る方法を教えろ。それだけだ」
「知らないんだから、教えようがない」

 堅く、拳を握り締めた。鉢屋が一方的に告げたことは図星だった。私は彼らのことをキャラクターとして一傍観者として局部を知っているつもりでいる。けれど、実際の戦国乱世を生きていない私にとってそれはつもりでしかないのだ。彼らに仲良くしてほしいと思う気持ちはとても一方的で捉え方によっては傲慢としか思えないだろう。正論だ。反論する余地もない。けれど、最後の一言だけははっきりと言い切ることができた。私は何故彼らがこの世界にやってきたのか、知らない。知る由もない。こちらが聞きたいくらいだ。

「では、何故、私達は同じ場所に集まっている。何故、同じように一人の女に囲われて、共同生活を強いられ、暮さねばならないのだ。そこに、貴方の私欲が存在しているのではないのか」
「確かに彼らに一か所に留まってもらっているのは、私の個人的な我儘だよ。だけど、それとこれとは別だ。私が彼らを過去から連れてこれるような力を持つ人間だと思うの?その辺にいる女の子とまったく変わらない、霊感すらない普通の女だよ」

 そんな不思議な力が私に存在したら、私の家は今やもう漫画のキャラクターだらけだ。厳しい表情で睨まれているが、そこだけは真実だった。はっきりと答えられる。私に元の世界に帰る手掛かりを期待されてもどうしようもない。真っ直ぐ鉢屋の目を見つめた。

「そんなに殺されたいか」
「帰る術を交換条件に出されたら、私はもう殺されるしかないよ」
「……そう、いい覚悟だ」

 すっと鉢屋は目を細め、空っぽになった缶コーヒーを持って立ち上がった。

「また会いに来るよ。その時はもっとマシな答えを期待してる」

 これ以上の答えは存在しないというのに、しつこくそう告げる鉢屋に頭が痛くなった。

「一つ聞いておきたいんだけど……貴方は今どこにいるの?」
「とある人のところに。ご心配なく、上手くやってるから」

 にこり、と最後に綺麗な笑みを見せて、彼は行ってしまった。彼の姿が見えなくなってやっと体から緊張が抜けた。どっとした疲れ襲いかかる。思っていた以上に体は強張っていたようだ。すっかり冷めてしまったミルクティーを口にしながら、彼の言葉を反復した。彼の正論を受け止めきれるような心情ではなかった。彼らの事情に他人が口を出す資格はないと思っている。わかっているが、ただ傍観することしかできないのか。それに耐える自信はなかった。何かしら口にしてしまいそうだった、し、現に「仲良くしてほしい」と口出ししている。彼らと関わることに戸惑いが無かったわけではないが、改めてその重さを噛み締めていた。





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