眠れなかった。忍では無いけれど、不破と竹谷の夜中の会話が私の耳にはしっかりと届いていた。壁一枚で隔てられているとはいえ、意外と声は届くものなのである。仮にも彼らは忍なので態と聞こえるような大きさで話しているのかもしれないけれど。不破はどうか知らないが確実に竹谷は私たちにも聞かせようとしていたに違いない。寝不足のせいでぼうっとする頭を動かして布団から顔を出す。今日から学校が始まるのだ。一限から入っているわけではないけれど、このまま中途半端に起きるともう昼まで起きれないような気がするので無理やりにでも起きあがった。授業中に爆睡すること確実だろう。もそり、と体を動かすとちらりと隣で寝ていた竹谷と目が合った。うっすらと口元が笑っている。 「おはよ」 「……おはよう」 赤くなっている目を見られてしまったことに居心地の悪さを感じた。少し頭も痛いので寝起きにプラスして酷い顔であるに違いない。口から出そうになった文句を寸前でごくりと飲み込んだ。彼もまさか私が眠れなくなるとまでは考えていなかっただろうし、何より不破と竹谷の心の奥底にある気持ちのほんの一部を聞けなかったときの方が悔やまれる。私が直接聞いても彼らは答えてくれないだろう。彼らとて私の存在に気がついていたはずなので、抱えている全ての言葉を吐露したわけではなかろうが。冷たい朝の空気にぶるりと身を震わせながらも、温もりから這い出た。下から竹谷が私を見上げて笑った。 「俺、今日、バイト遅番なんだわ。だから晩飯はいらない」 「ああ、うん、わかった」 「あ、俺も」 奥からむくりと久々知が顔を出した。二人とも遅番とは珍しいな、と思ったけれど敢えて口にはしなかった。 「だから、コイツら外食に連れて行ってやって欲しいんだけど」 「……外食に?」 「ん、そう。も疲れてるだろうし、ゆっくり外で食ってくればいいよ」 竹谷の提案に裏があることは見て取れた。鉢屋のことを気に病んでいる不破を気遣っての発言だろう。にこにこと笑みを向けてくる二人に少し心がほんわりとした。とりあえず、尾浜の怪我のこともあるし二人が了解したらそうさせてもらう、とだけ告げて私は朝食の準備をするために台所へと出た。朝食はたいてい私が作ることが多い。お昼は各自で作ってもらっているが、大体久々知が私が朝食を作る横で弁当を作ってくれているのでそれで事が足りる。ガラリと台所へ続く扉を開ければ不破が体を起こしたところだった。 彼も同じく眠れていないのか疲れが顔全体に滲み出ている。気まずい沈黙が少しだけ辺りを包んだ。 「さっきの話し、聞いてたよね。無理に一緒に行こうとはしなくていいからね?」 「そんなことないです。むしろ、さんこそ……」 彼らしく少し困ったような表情で、柔らかく遠慮の言葉を述べようとした。しかし、何かはたと思いついたことが合ったのだろうか、不破は言葉を噤んだ。いいかけていた事に続くのはきっと私を気遣ってのことだろうが、ふるふると首を左右に振って、私の顔を真正面から見た。 「いえ、さんさえよければ、連れて行って下さい。もっと、こちらの世界が知りたいです」 一度物事を決めると、彼の決心は揺るがない。先ほどまで浮かんでいた戸惑いはもう見えなかった。 「うん、わかった。行こうか。……尾浜くんは?」 「起きたら聞いておきます。多分、行きたいって言うと思いますけど」 尾浜は怪我と夜中の睡眠不足のため随分よく寝ている。これだけ周りが動き始めても、起きてくるそぶりも見せない。恐らく出かけるまでに起きてきやしないと思うので、不破の言う通りに頼んでおいた。大学が終わった後に、尾浜を連れて診察に行かなければならないし、丁度いいだろう。その足で、外食に出かければいい。尾浜が無理のようならコンビニで何か買ってもいいし。私たちのやり取りを後ろで眺めていた竹谷と久々知はこっちを向いてガッツポーズをかました。……いや別にそんな大層なことではないと思うのだが。 大学で講義を終えると、一旦家に帰ったのちに堀口の元へ向った。彼の仕事場は医学部キャンパスで、私が普段使用している建物よりも幾分か遠いのだ。堀口の尾浜の頭の傷に消毒を施してもらったあと、私はバイトがあるという久々知と校門で別れた。 「それじゃ、兵助。バイト頑張って」 「おう。雷蔵と勘ちゃん、のこと頼むな」 「うん、任せといて」 「……ちょっとちょっと尾浜くんも兵助もそれなんか違くないか」 久々知の軽い冗談に笑顔でこたえる尾浜に、さすが五のいコンビと称賛したくなる。が、その内容はどうかと思う。隣で苦笑いというか、なんと返したらいいのかわからない不破が、しょうがないなあ、といいながらこちらを見ていた。このほのぼのとした空気は表向きなのだろうか。癒される、といえばそうなのだけれど、昨日のことがあったので少しだけ胸が痛かった。 私が彼らを連れてやってきたのは、お寿司屋さんである。まあ、一般的にいう百円寿司ですねハイ。どうやら彼らの住んでいた戦国時代―というには、時代考証がはっきりしておらず、室町と戦国の境目とも思われているようだが―には、現在のような寿司は存在していなかったそうなのだ。原型となるものはあるようだけれど、それは今の私たちからすれば違和感を感じるもの。ジャパニーズフードと名高い寿司、所謂握り寿司ができたのは江戸時代以降というのだからその歴史の短さを感じる。洋風の料理もいいけれど、寿司の方が日本人としては馴染みが深いだろうと思い、その選択に至った。ま、百円寿司なら思う存分食べてくれてもいいからというのが最大の理由ではあるが。 「流れてくる寿司を自分で取るんだ。食べたいのがあったらいってね」 家族用の席に座ったのは、顔を見て話せるからだ。はい、と礼儀正しく頭を下げる二人の態度に苦笑した。当初は二人の礼儀正しさに感涙というか二人らしいなあ、とは思っていたが、竹谷や久々知の遠慮のない態度に慣れているせいか少しだけ取っ付きにくかった。らしさ、を感じるのはすごくうれしいことなのだが―彼らの数年の未知の世界を考えたら、その分―少しでも歩み寄りたいという自分の気持ちと上手く絡み合わなくて、もどかしい。恐らく、竹谷も久々知もそういった私の感情を読み取って、このように気を遣わせてくれたとは思うのだが。もしかしたら、単なる目の前の二人に対する優しさかもしれないけれど、そこのところはわからないし、違ったとしても自分がこの機会を自分のその欲求のために利用できることは間違いないので感謝しておく。 目の前で回転するお皿を興味津々にじーっと見つめている四つの目。恐らく、原作でも兵庫第三協栄丸さんがいたことにより、魚類は豊富に振舞われていたと思うので刺身自体は口にしたことがあるだろう。尾浜が、ごくり、と喉を鳴らしたのが目に入った。 「俺、お魚大好きなんです。ご飯の上に刺身が乗ってるとかすごい」 しかし、手が一向に動かないのは、何故なのか。その答えは当にわかりきっていた。 「……毒は無いよ。ここは外食店だし、皆に宛がわれているから平気だよ?」 中々動かない手はそれが一番の原因だろう。竹谷も久々知も外食では特にそういうこともなくなったが、今だに私が調理したものは毒味を要求してくる。それはそれで、信頼されていないと考えるのではなく一種の仕事病だと思って受け止めるようにしている。じゃないと、悲しすぎるからだ。 「貴方達の世界にもうどん屋さんはあるよね。その時に、毒味する?いちいちそんなこと店員さんにさせてる?させないでしょ?」 私は竹谷と久々知を説得した時の言葉を同じ文句を彼らに告げた。前者の二人は、その言葉で納得してくれたのだ。現代で過ごした時間が目の前の二人とは違い、この世界のことについて大分実感してきた頃だったのでそれはわりと容易かった。しかし、尾浜と不破はまだこちらの世界に来て三日目。しっかりとした情勢も掴めていないのに、いきなりは酷だと思う。どう出るだろう。今更お寿司屋さんを出るわけにもいかず、ちろりと視線を上げれば、苦悩している不破と目から鱗といった表情の尾浜がいた。 「……さんやここで働かれてる方を疑っているわけではないんですけど」 言いにくそうに不破は言葉を紡いだ。尾浜と顔を見合わせて苦笑いを浮かべる。尾浜も特徴のある眉毛がハの字に垂れ下がっていた。困らせているのは、明らかだ。 「俺は別に大丈夫です……って言いたいんですけどね、忍びの性っていうか、やっぱり抵抗はあります。変な匂いもしないっちゃしないけど、信頼できてないんですよね。すいません」 「え……いや、あの、謝らないで。ごめん、言いにくいこと言わせちゃって」 正直、この二人であれば、竹谷や久々知よりも容易くことに応じてくれる、と期待していた。けど、それは大きな検討違いであったらしい。物腰の柔らかい二人ではあるけれど、きっぱりと信頼できない、と言われてしまった。言うタイミングが早まった、と思う。 「じゃあ、大体寿司って二貫ずつ入ってるから私と半分こする?……あ、でも、そんなに多く食べれないけど」 毒味をすることに対しては私自身はいいのだが、何分、寿司の形が一口かじるには難しかった。ちらしずしなら良かったんだけど、失敗したなあ、と思うばかりだ。食べてみてほしい、という気持ちと同じくらいこちらの心配もしておけばよかった。二人分の寿司など食べられるわけもない。 「あ、兵助たちはどうしてるんです?外で食べて来い、っていったのは兵助たちですけど、あいつらは外でも毒味させてるんですか」 「ううん、外では。さっき言ったこと言ったら納得してくれたから」 「へえ」 尾浜が目を細めた。 「前言撤回します。俺も兵助を信頼して食べてみましょう」 「え、ちょ、……勘ちゃん?」 「雷蔵も、ほら。はっちゃんと兵助が食べてるんなら平気でしょ」 「勘ちゃん…………」 尾浜のその発言は、困らせている、とわかってからのことだった。尾浜の優しさ、というか、なんというか。じんわりと感じるものはあったけれど、余計に申し訳なかった。もう少し考えてから行動すべきだったと思う。彼はいそいそと、赤身のマグロを回転皿から取り上げた。その赤身、きっと水軍の人達が採ってきてくれるものより鮮度も味も劣っていると思うけど、許して欲しい。キラキラとした笑顔で食べられると余計にそう思ってしまう。ごめんなさい。一口食べたあと、彼は笑ってくれた。 「美味しいです、これ」 尾浜の言葉にほっとして息をついた。これでまずいとか言われたらどうしようかと思った。不破はまだ戸惑ったような目で、どうするべきかとこちらを見ていた。尾浜に先を越されて、大丈夫だろ、と言われればもう食べないわけにもいかないのだろうが。躊躇しているさまを見て、口を挟む。 「不破くん、半分こしよっか」 「……はい」 それから、不破と私は一貫を二人でわけて食べた。沢山の種類に挑戦できる、という利点がこちらにはあるのでこれはこれでいいかもしれない、と笑いかけながら。 |