繰り広げられる惨劇に言葉も出なかった。不破はあろうことか鉢屋と対戦し始めた。脅す、などという軽いレベルではない。不破の顔には数本も真剣が掠ったときにできた赤い線が残っている。一方で、鉢屋は掠り傷すら負っていない。実力の差を感じられた。私の隣で竹谷は何かを堪えるようにぎゅっと手を握っている。支えられるように肩に腕を回してくれていたのだがその腕は微かに震えていた。何故彼は応戦にいかないのか―見れば、わかることではあるのだが―不破がそれを拒んでいるからだ。というより二人の戦いに入る隙間がない。素人目である私の判断ではあるが、彼が私を置いて加わろうとしない理由の小さな一つにはそれが入るのではないかと思う。もし私が忍者なら不破の援護に回る。これも憶測にすぎないけれど。

 どれほどすれすれのところで戦いが行われていただろうか。カチン、と鈍い金属がぶつかる音がして不破の真剣が飛んでいった。勝負あり。彼は汗なのか雨なのかわからないものを全身から滾らせてぺたんと地べたに座りこんだ。足音も立てずに鉢屋が彼に近づいて―そして。ぎゅっと目を瞑った。最悪の予測しか頭を過らない。竹谷の服の袖を掴んで強く揺すった、が、彼は頑なに動かなかった。手を貸そうとはしなかった。それが彼なりの見守り方だというのを後に私は知ることとなる。けれど、このときに私はそこまで理解能力がなく咄嗟に不破の方へ駆け出そうとした。それも、竹谷に強く掴まれた肩のせいで動けなかったのだけれど。止める彼の理由がわからなくてぎろっと彼を睨んだら、逆に視線で静止された。黙って見てろ、とあの目は言っている。

 振りかざされた真剣は不破の地べたに置かれた小指から一センチほど離れたところにストン、と落ちた。く、と目を見開いた不破はじっと目先の狐の面を睨んでいる。カチャリという音がして真剣が収められたのちに、鉢屋はゆっくりと口を開いた。その声は私が聞いていたときよりもっと生気がないように聞こえた。淡々とした声色にぞくりと体が震える。気持ちがこもっていないとはこのことだ。

「俺を追いかけるな、雷蔵。頼むから」

 不破の返事を聞く前に彼は言いたいことだけ言ってスタッと姿を消した。ここは現代なんだとかその姿で出歩くのはまずいとか、餓死するぜアンタとか言っている余裕は一つもなかった。ただ、竹谷が不破に駆け寄っていくのを見つめていることしかできなかった。





 鉢屋を追うのは諦めた。先ほどは私という重りがあったからこそ彼の動きも鈍くなっていたのだが、彼がたったひとりで本気をだして逃げたとなると後を追うにも分が悪い。更に雨が降っていることによって気配や匂いが消されているのも裏目に出ている。家に帰るとそこにいたのは頭に包帯を巻いてすやすやと眠りについている尾浜だった。私が部屋に帰って来た時には確認できなかった一人だ。やはり、尾浜だったのか。そして、大量に流れいてた彼の血痕がまだ床に残っている。カーペットにも血がベットリだ。あれはもう使えない。不破は、あれから酷く意識が朦朧としていた。自分の中にあった何かを全て出しつくしてしまったかのような表情だった。竹谷が踏ん張りを見せ、私と彼を背負って帰れたのは奇跡だと思う。帰ってきた私たちを見て久々知は何も聞かずに、ただ、おかえり、とだけ言ってくれた。

「兵助、彼の様子は?」
「出血は酷いけど、傷は浅い。しばらく時間はかかりそうだけど、致命的な怪我ではないよ」
「ただ結構血が出てるみたいだな……顔色が酷く青い」
「ああ、そこが心配。俺も専門的に医学を受講したわけじゃないから」

 竹谷の一言に苦い表情を浮かべる久々知。けれど、もしかしたら尾浜は死んでいるのかもしれないとまで思っていた私を一安心させるには十分な言葉だった。眠っているのも一瞬、永眠かと思ってしまったが本当にぐったりと寝ているだけのようだし。私は、大学に医学部があるので伝手を探して明日見てもらうことができるということを告げた。……さあ、とりあえず、混乱している場合ではない。不破も竹谷も久々知も尾浜なんか意識がない状態だけれど、とりあえずこの場を一旦なんとかしなくてはならないだろう。帰ってきたばかりで何もかもが突然だったけれど、途端にやることが見えてきた。

 とりあえず、一番外傷のない久々知に風呂を掃除してもらい、雨にぬれた不破と竹谷を共にぶち込んだ。狭苦しいが、不破は意気消沈していて取り扱いのできないありさまになっている。風呂でも入って目がさめれば幸いだ。その間にこれまた久々知をこき使って私と二人でカーペットの処分をした。そしてとりあえず夏用のゴザをひっぱりだす。フローリングの地べたよりは何かあった方がましだというものだ。そこに無駄に重ねてある毛布をもさもさと並べて温まれるようにした。その間に私は久々知に話しておきたいこともあったので丁度良かった。

「彼が、尾浜勘右衛門、風呂入ってるのが不破雷蔵、そして、あの狐面が鉢屋三郎……でいいんだよね?」
「ああ。そうか、貴方は知ってるんだったよな」

 彼だけが私のこの知識を疑われずして話せる存在だった。それでもまだ半信半疑だったことを口で確認してみると彼は緩く頷いた。

「不破は、なんで鉢屋を追っていたの?」
「……どこまで話を知ってるんだ。確信に迫る部分はまだ触れていなかったのか」
「君たちが五年生の時のことしか知らない。……その後に、何が?」

 彼の言い草から未来に彼らにとって大きな出来事が起こるということを知る。

「六年の卒業式間近に、三郎が忍術学園を辞めた。理由はいまだに詳しいことはわかっていない。けれど、何の前触れもなく突然消えたんだ。学園長先生ですら、詳細を語ってはくれなかった」

 一身上の都合で辞める生徒がいなかったわけではない。一年の時に入学してそれでも六年かけて卒業するのは半分いくかいかないか、とそこまで限られてくることもしばしばあるくらいだ。けれど、卒業間近という時期になっていきなり学園を後にするとは不信に思うのもわかる。特に、不破の心の中では苦しい葛藤が合ったに違いない。あれだけ、一緒にいたのだから……。

「話はそれだけじゃない。忍術学園を卒業した俺たちは、雷蔵、はっちゃんは城勤めの忍者として働きはじめた。俺と勘ちゃんはフリーであちこちを転々としていたんだ。そして、昨年辺りからある噂を聞いた。山陰の辺りで名も知らぬ忍者集団が力を上げている、という……」

 戦国乱世で忍者は多用されていた。だからこそある一つの地方にとどまらず各地色々な方面へと出歩くことも多かったという。数々の武将が名乗りを上げていたのをいくら日本史に疎い私だとしても知っているくらいだ。その新生忍者集団が全国に広まるくらいの実力を秘めていたのだとしたら、多くの武将はその集団を自分の支配下に置くか、それとも完膚無きまでにたたきのめして存在を消すか、どちらかの二択を強いられるのかもしれない。そして、彼の口ぶりからするとその話しはこう続くのだろう。頭を整理させているのか幾度も話しと話しの間に間を置く彼に先走って私は確信を告げた。

「それに鉢屋が属していたと?」
「……ああ。実際に俺が偵察に行ったときに鉢合わせたのがアイツだった。命からがら逃げかえって、俺はそれ以来会っていない。だから雷蔵が何故鉢三郎を追っていたのかは知らない。けれど、雷蔵にとって、鉢屋の存在が大きいのは真実だ」

 彼が知っている全てを語ってくれた。私の中に心構えがなかったわけではない。敵対した城主に勤めた場合、もはや彼らはプロであるのでやり合いになることは避けられないのは先の二人からなんとなく感じ取っている。けれど、それ以上に深い因縁が彼らの間にはあったのだ。笑い合っていた仲間と対峙すること自体、私には考えられないことではあるが、複雑な過去が絡み合ってどうも納得いかないままに不破が鉢屋を追っていたのだとしたら―それは。

「鉢屋はどうするつもりなんだろう。ここが彼の居た世界でないことに気がつくのかな」
「……さあ。でも、ここには帰ってこないだろう。雷蔵も勘ちゃんもいるんだから」

 冷たく、彼は言い返す。鉢屋の行先が気にならないわけではない。彼が朝になって晴れたこの世を見て混乱するのはわかりきっている。けれどかといってここに呼び寄せるのか、といえば、そこまで信頼できたようでもなかった。確実に久々知の中には鉢屋に対する不信感が渦巻いている。それは竹谷の時とは比べ物にならないくらい。忍としてしなくてはならないことなのかもしれないが、同クラスだった尾浜が傷つけられている姿を見てしまった直後だからこそこんなにも態度が凍っているのだろう。

「とりあえずは、勘ちゃんと雷蔵にここの説明をしないと……けど、それは明日でもいいか。、アイツら泊めてくれる、よな?」
「今更嫌だっていいますか。尾浜なんか私のベットで寝てるのに」
「……そうだよな。ありがとう」

 それから竹谷が湯の温度に安心してくたっと眠ってしまった不破を連れて上がるまで私たちは無言だった。





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*100110   過去の捏造っぷりが酷くて申し訳ありません…。つか尾浜空気orz