*不破視点 暗い闇夜を何度駆け巡っただろう。不破は寒さに凍える身に鞭を打って動かしていた。やっと、詳しい情報を元に彼の居場所を見出すことができた。千の顔を持つといっても過言ではないほどの変装のスペシャリストの本当の顔まで知らないまま、ここまでずっと追い求め続け最終的に辿り着けたのは奇跡と言っていいだろう。出会いはそれこそ古い昔、交わした言葉さえも忘れてしまったけれど、出会ってからそれこそずっと一緒にいたように思う。自分の顔を使われることに戸惑いがなかったわけでもないけれど、彼にならいいと思えた。むしろ、彼がそうすることに何か意味があったように思うから自分は何も言わずにいた。過去に思いを伏せながら、自然と込み上がってくる苦々しい感情に蓋をしてきっと顔を上がる。迫りくる人里から離れた山小屋はまさに不破が目指しているところだった。隣には、なんの偶然か尾浜勘右衛門が立っている。この二人で鉢屋を追うことになったのは因縁なのか、それとも親しいものだからこそこの任務に着かせたのか城主の意思はわからないけれど隣にいるのが尾浜でよかったと心から思う。自分と鉢屋の関係をずっと傍で見てきた一人だから、赤の他人よりも自分たちのことを理解している。 「……今夜だよ、雷蔵」 月のない闇夜はまさに忍びには絶好の任務時。背中を押すように不破の背後から声を掛けた尾浜の声は落ち着いていた。彼らしいといっては語弊があるかもしれないが、正にその一言に尽きる。けれど、不破は彼の言葉に苦笑いを零して言った。敢えて毅然と振舞っているのかもしれないが、今回ばかりは違った。 「これに関しては僕は一寸たりとも迷ってはいないよ」 「ならいいんだけど」 くすり、と昔の癖を時折引き出してくる同級生の言葉にどちらともなく笑いをこぼす。些細なことでさえも優柔不断さを前面に押し出すような彼だが、覚悟が決まれば不破は強い目で迷いなど見せない。音をたてずに木々の間を飛び回る。目的地の空き家と称さされる隠れ宿―最近まで一国の城主がそこを収めていたらしいが瞬く間に落城し忍びの手によって廃墟とさえれた―まではあと寸刻で着く予定だ。だが、そう安々と辿り着けるはずがないことはわかりきっている。尾浜に目配せをして、足を止めた。もう、そろそろだ。どくり、どくり、と心臓が早鐘のように成り続ける。幾度任務の数をこなそうとも緊張感に飲み込まれそうになった時の動揺というのは変わり映えしない。平静を保とうと意識していなければ飲み込まれそうになる。 「……来る」 瞬間、懐かしい気配がすたっと目の前の大きな杉の木に降り立ったのがわかった。再会の時を幾度望んだことか彼はわかっているのだろうか。隣で尾浜がこくりと息を飲んだのがわかった。久し振りに会った友の姿は変わり映えしていない。せいぜい、少しばかり背が大きくなっただけだ。怪しい表情をした狐の面をしているが、不破は無音で佇んでいる彼が鉢屋だということを確信していた。尾浜もそれをわかっているようだ。既に武器に手を掛けている。トラップが掛けられているとは思っていたが、まさかこんなにも早く本人が登場するとは思わなかった。ふふふ、と口元が歪んだ。 「久し振りだね、三郎」 それがきっかけで、戦闘が始まった。そこから先のことは敢えて口にはしない。雨は段々と豪雨になり雷鳴を轟かせるまでになった。赤と黒の世界を洗い流すかのように激しく振り続ける雨を茫然と見上げている時に、大きく目の前が光った―ここまで回想すればもう状況は理解できるだろう。 次に目が覚めたときは見たこともない部屋に、三人並んで飛ばされて同時に懐かしい顔が揃った。竹谷と久々知。格好はそれこそおかしかったが、まさか同じ青春時代を過ごした彼らが歳を重ねて二度と会うこともないだろうと思っていたのに、一夜に集まるなんて……。自分がどのような表情をしていたかはわからないが、衰えることのない殺気の渦が小さな部屋に蔓延した。 「はっちゃんと兵助だよね?」 「……雷蔵と勘……それに、もしかして三郎か?」 竹谷とは勤め先の城で間柄が悪く幾度か好戦したことがあるのでそれなりに成長した彼を知っているつもりだが、それ以前に髪型などところどころに違和感を感じ、問いかける。唖然としていたようだがその言葉に、すぐさま自分が不破だということに気がついた彼らは目を大きく見開いて、隣にいる自分以外の二人を見た。固まることさえなかったが、尾浜の方へ視線が移ったとき双方が辛い顔をしてた。 「……へ、すけ……?」 「勘ちゃん……!」 久々知はまるであの頃のように尾浜に駆け寄った。それもそのはずで、尾浜はどくどくと頭から血を流して意識が朦朧としている。傷はそれほど深くないだろうが何分出血量が酷くそろそろ倒れこんでしまいそうだ。不破は手の中にいる尾浜を彼に預け、鉢屋の方へ身構えた。竹谷もその様子にきっと鉢屋を睨む。彼がどこまで自分と鉢屋のその後のことを知っているかはわからないが、傍観はしていられないようで力を貸してくれるようだった。その時、はっと竹谷の顔が歪む。大声を出して静止したかと思えばちらりと見えた一人の女性の姿。逃げ道が見つかったことからか鉢屋が大きく身を乗り出して彼女ごと掻っ攫っていった。竹谷が盛大に舌打ちしたのが聞こえる。彼女は誰だ?竹谷だけでなく久々知もそれを見て、あ、と小さく零していた。瞬時に目配せした後に竹谷は跡を追うようにそこからばっと飛び出していった。自分をそれに続こうと駆け出したところで後ろから手を掴まれる。久々知だ。怖い顔ですごまれる。 「何があった」 「……今、説明しなくちゃいけないこと?」 すごみ返すけれどますます手に力が入るだけだった。竹谷に跡を追わせているのもあるのか彼も譲る気は無いらしい。けれど、それは自分だって同じことだ。覚悟を決めて今日を挑んだのだから。見たことのないようなところへまるで幻術のように飛ばされたからといって止めるわけにはいかない。この元同級生が五人も揃うという状況下に疑問こそ感じていたのだがそれさえもどうでもよかった。彼の跡を。ただそれだけだった。 「なんで、三郎と闘っている?雷蔵は城勤めの忍者になったと聞いたが」 「後で、帰ってきたら話すから。……勘ちゃんを頼むよ」 「……雷蔵」 ちらりと視線だけを尾浜に移した。彼は苦しそうな顔をしているが、不破の視線を受けるとにんと頬の肉を盛り上げた。笑えるような状況ではあるまいに。ただ、それを見た久々知は仕方ないとばかりに息を吐くと自分の左足を一瞥した。ぱしっとおもむろに何か投げつけられる。白い粘着質のありそうなものだった。テーピング、というものだということを後に知るのだがそのときは名前さえカタカナ文字で聞き取りにくかったのを覚えている。ただ、投げつけた本人がそれはっておけよ、というのだから医療用具であることには間違いない。なんだかんだといって押し出してくれる彼に、変わっていないなとふわんりと笑顔を向けた。 「ごめんね。ありがとう」 一歩を蹴り出した。ざあざあと響く雨の音は変わりなく、視界は遮られていた。そして、外に出た瞬間に目に入ってきた光景に吐く言葉もなかったが逆にこの場で彼がどこに行くのかは想像がついた。堅そうな無機質な何かで覆われているこの場所でもし自分が一人の女性を連れ去るなら見慣れた緑のある場所にちがいない―と。 |