浮遊感の気持ち悪さといったらない。初めてコースター系を体験したその瞬間に二度と乗らないことを堅く決心したので実に8年ぶりにこのような浮遊感を味わう。エレベーターですらあまり得意ではないのだ。それなのに縦横に揺れつつ、腹だけをがっしりホールドされたのみで頼るところの一つもないこの格好は止めていただきたかった。脳内はパニックを起こしかけるが、只管早く地上に辿り着きたいと一心に心の中で繰り返すことでどうにか冷静さを保とうとした。でなければ、散々悲鳴を上げた挙句に目をぱっちりと開けて想像したくもない現実に失神してしまいそうだったからだ。とさ、と一連のふわふわとした感覚が収まりどこかわからない、がさがさとしたものの上に落とされた。ようやく地べたに足を着いたという安心感に目を開ける。雨にぬれた全身はすっかり冷え切っていた。微かに覗く電灯だけが手掛かりとなる光の中に1人の青年がこちらをじっと見下ろしていた。

 心当たりはあった。真紅の線が重なっている狐の面はよく見かけていたものだ。そして、それを被る本人はとある同じ顔を持つ人物と見分けるために持たされていた。よもや、全くそれと同じような印象のものを付けているとは思わなかったが―間違いない、彼は鉢屋三郎に違いない。雷蔵ということも考えられないことは無いが、直感的に私はそう判断した。どきり、と大きく心臓が蠢く。このような可能性がないとは言い切れないとは思っていた。久々知に竹谷がくれば他の五年生も、と考えないわけがない。けれど、冷え切った夜中の空気以上に突き刺さるような殺気を忍ばせる彼にはどうも会いたくなかった。恐ろしい。鉢屋三郎の印象は、その一言に尽きる。散々、病気とか地味とかなんとか言われていた五年生ではあるがその中で一番謎はまとっているのは目の前の彼である。一キャラクターとして好きではあるし、慈しんできたつもりではあるが―主に、双忍という面で―実際に対峙するとなると腰が引けるキャラクターであることは間違いない。ひくり、と喉が鳴った。

「……何か、聞きたいことがあるんですか」

 あの場から、即座に出て私を連れ出したということはそうとしか考えられなかった。先の二人がこちらに来た当初は初体験のことだから私にあれやこれやと説明を求めていたが、今回は一応顔見知りであるはずの彼らがそこにいたのだ。なのに私だけを有無を言わずに連れ去るということはそういうことでしかないと思う。どのような過去が彼らにあるのかわからないが、竹谷は随分狼狽していたし、久々知も殺気を隠せていなかった。学園に在籍していた時のような睦ましい関係ではもはやないのかもしれない。そこで、はっと、私は一瞬目にした光景を思い出した。血まみれになった、誰か……。さっと、顔が青くなる。

「ここはどこか、どうしてあそこにタケや兵助がいるか、どうしていきなり周りの状況が変わったのか……私にできる限りは説明します。けれど」

 すぐさま頭が冷えていった。それは身に覚えのない怒りといってもいいだろう。先ほど浮き上がった恐怖はたちまち萎んでいき、変わりに想像だけで出来上がったイメージが私をかっかと燃え上がらせた。ちらり、と視線が右手へ移る。真紅の血の跡がそこにも残されていた。

「貴方は、何を、していたのですか?」

 それは、私の一方的な疑いと偏見から出た言葉だった。けれど、そこに組み込まれた意味をきちんと理解したのか鉢屋はぐっと右手こぶしを強く握った。が、恐ろしく冷たい声が彼から流れでた。

「死にたくなければ、黙れ」

 これをまさしくデジャヴというのだろう、首元に伸ばされたクナイが一ヶ月ほどまでの出来事を思い起こさせた。ただし、そこに込められた気迫が何倍にも違う。脅しどころではなく、本当にそのままあっさりと喉元をかっさばかれそうだった。無機質のまま感情も込めず、ばっさりと。これ以上口を開けば殺されてしまう、と私はぐっと口をつぐんだ。否、つぐむことしかできなかった。降り注ぐ雨の音だけがBGMとして流れた。雨で視界が悪いまま、目線だけで周りを見渡すとどうやらここは公園の裏にある小さなグランドのようだ。数本周りを囲むようにして植えられている木の真下に隠れるようにして腰をおろしている。背後から首を固定されたまま、冷たい温度が私の心拍数をどんどん上げていった。

 小さな、吐息が聞こえた。どうして、と囁いているように思えた。それと同時に鉢屋がばっと顔を上げたままぐいっと私の両手を片手で縛り上げて、背後へ回した。隠されるように移される。頭上から落ちてきたのは、竹谷だった。ぎらぎらとした目が私ではなく鉢屋を捉えている。それは正しく、忍びの顔だった。

「返せ」

 たった一言で全身が震えあがった。何が竹谷をそうさせているのかわからないが、全身全霊が燃え上がるような気迫で覆われていた。ただし、鉢屋はそれをさらりとかわすように平然としており、何も発さない。もとより、話す気がないのかもしれない。私のイメージの鉢屋とは随分と様子が違った。漫画の中の彼はトリックスターでいたるところで自慢の変化の術を多用し視聴者を喜ばせるようなそんな役割だったはずだ。しいて言えばお茶目さん。だからこそ、謎が多く含まれておりそんな風のようにひらひらと交わす彼のことを怖いと思っていたこともあったのだけれど。そんな私の推測を蹴散らすように竹谷は声を荒げた。

「返せっつってんの、聞こえねえか?」

 どこに隠し持っていたのだろう、現代服に身を包みすっかり現代人として溶け込んでいた彼だったが既に数本のクナイを手にしていた。武器のことは頭から失念していたが、私に見つからない様にしていたのだろう。ぴりぴりとした空気が辺りを充満した。初めて肌で感じる戦闘という気迫に体が全く自由に動かない。それだけ縛り付けられていた。見たくない、とその気持ちだけが先走る。竹谷が鉢屋が、殺し合う体制で向かい合っているのを見たくない。

「大丈夫ですか?」

 声が一つ増えた。同時に背後に抑えつけられた力がぱっと解放されて、私は一人の青年の元へと移された。じっと凝視すればそれは不破雷蔵だとわかった。ふわふわの髪の毛は雨にぬれてぴったりと張り付いているがその独特の顔の成りは不破だった。そして仮面の青年もきっと同じ顔をしているのだろう。ぴくり、と彼の声に反応するように体の動きが止まった。竹谷はうっすらと瞳を見開く。

「雷蔵、足の怪我はどうした?」
「……これくらいなんてことないよ。三郎、一般人の子を巻き込むなんて君らしくない」

 ひゅん、と私を抱えたまま一回転し竹谷に手渡した後苦い笑いを浮かべた不破はすっと手元の短刀に手を伸ばした。続きと行こうじゃないか、と零した彼の体にはいたるところに擦り傷が合った。足の怪我、と竹谷が口にしたのでなんとなくそろりと彼の足もとに視線をやると、なるほど見事に膨れ上がっている。恐らく捻挫をしたのだろう。足袋の上からでもわかるので相当酷いに違いない。それでも不破は気丈に立ち続けていた。鉢屋は何も言わないまま、さっと背中に掛けていた真剣へ手を掛けた。引き抜かれたそれは赤く染まっていた。

「その怪我でやるつもりか。無茶なことはするな!」
「僕はずっとずっと、三郎を探していたんだ。やっと出会えたのに、無茶をするなという方がおかしいよ」

 竹谷が止めに入るも、彼は聞く耳を持たないばかりか好戦的な視線を鉢屋に向けている。ただ、それを傍観していた私にはひっかかる台詞が流れ込んできた。ずっと鉢屋を探していたという不破。彼らの卒業後に何が起こったのだろう。どうして彼らは今ここで、ここまできて戦おうとしているのか。現代まで飛ばされたということに気づいていないわけではあるまい。あまりにも周りの状況がおかしいということは察しのいい彼らならすぐさまわかるはずだ。しかしそれさえもどうでもいいとして、不破が鉢屋を追い詰めるということはどのような理由があるのだろうか。私は茫然としたまま、ぎゅっと爪が手のひらに食い込まんばかりに握りしめた。





 home 
*100105