元旦といえども、公共機関に休みは無い。人ごみで溢れている中、どうにか地元までのシートを確保した私は久し振りに訪れた一人の空間を味わうようにゆっくりと瞳を閉じた。けれどどうにも瞑想しようにも出てくるのは彼らのことばかり。以前は同人活動など割と一人の世界に引きこもって活動することが多かった身だが、彼らがきてからそれすらもやる暇がなかった。実際、彼らがいては堂々とオタク活動をしようにもできない。だからだろうか、生活は一般化しすっかり彼らのことを考えることが常となってしまっていた。トントン、と新幹線の窓から見える景色を見ながら肘掛を人差指でたたく。と、耳に馴染んだ声が上から聞こえてきた。 「あれ、?」 聞き覚えのある声にぱっと顔を上げると、同学年である律子の姿が合った。彼女とは高校から同じ学校であり縁が合って大学も同じところに受かった。うちの高校から他にも数人の生徒が同じ大学を受けているが交流があったのは律子だけだ。特に同郷だからといって一緒に帰る打ち合わせなどしていなかったが鉢合わせにならないこともない。思いがけない偶然に驚きながらも笑顔で隣を開けた。幸いなことに私の隣は無人だったのである。荷物を抱えた律子は、いいの?、と伺っていたが深く頷くと遠慮がちにそこに座った。甘くてさっぱりしたシトラスの香りが鼻をくすぐる。 「律子も今日帰るんだ……なんでまあ元旦なんかに」 「バイトが年末忙しくて、ギリギリまでいてくれって言われたんだよ」 「ああ、居酒屋だっけ。忘年会シーズンだもんねえ」 私は体験したことがないが、この時期はかき入れ時というか一番繁盛する時期だからこそ中々休みをもらうことが難しいそうだ。彼女とは学部が違うせいで同じ大学といっても滅多に学内で出会うことは無い。プライベートでも仲が良いので定期的に会ったりしているが、最後にあったのは二週間も前の話だ。大学生だからこそ、時の流れは短くともその間に様々なつもる話が出来上がり、一度口を開くと続けざまに話題ができて止まることがなかった。気がついたら目的地なんてよくある話だ。律子は高校時代から付き合っていた同級生とついこの間別れたという報告をしてくれた。もちろんその彼も私と同じ高校だったのでよく人物像から何まで知っている。遠距離恋愛で大凡2年間を耐え抜いたのだからもった方だとは思うが、やはり距離感というのは恋愛に置いて非常に重要らしい。限界がきてしまったのだ、と苦笑いしていた。 「は、どうなの?」 プシュっと缶ジュースのプルタブを開ける音が辺りに響いた。ホットであるが故か甘い香りが漂う。口元にそれを近づけながら生返事を返すと呆れたような視線が戻ってくる。私は俗に言うガールズトークを聞く分には平気なのだが自分から話すようなことは一切なかった。この歳になってリアルな恋をしていないというのは少し無理のある話であるので、事実、ネタがないわけではない。けれどそれを自分の口から友達に話すのには抵抗があった。一体その差はどこにあるのか疑問ですらあるが、自分の妄想を見ず知らずの人々が観覧するであろうネット上に掲載することはできるというのに。しゃべりながら伝えるというのは難しいのだ。だからこそ、彼女の問いかけに物珍しさを感じた。普段ならそこは触れずに流してくれるであろう話題だからだ。 「どうなのって、何が。」 「彼氏、いるんでしょ。この間は思い切り否定してたけど、証拠もあることだし。そろそろはっきりしてくれない?」 「証拠って……ああ!」 先日、竹谷と遭遇したということを彼女の口から聞かされたのを思い出した。あの時は隣に久々知もおり散々テンパっていた上にそののちにそれを上回るような事件が起きたのだから記憶の片隅に置いてきぼりにされていてもしょうがない。期待通りの反応ではなかったのか、彼女の眉に少し皺が寄っている。 「優しそうだったし、笑顔が素敵だった。……いい人そうだったけど」 確かに彼らは素敵な奴らだと思う。現代風に仕上げたときは鼻血が出るかと思うくらいのルックスだった。それに性格だっていい。けれど、二次元にいつか帰るべくしてこちらにやってきてる彼らにとって私は恋愛対象外であることは確実である上に私もドリーマーなれどそこまで器用に恋愛をこなすタイプではない。なにより彼らが私のことを恋愛対象に見る日がくることは永遠にない。恐らく好みという問題の上で多大な障害が生じるに違いないだろう。私は不満そうな彼女に向って曖昧な言葉を告げるしかできなかった。……都合というものがあるのでできれば勘違いしたままでいていただきたいのも事実なのだ。 成人式まではあっという間だった。日ごろから家事をしている身としては実家に帰るとお母さんが何から何までやってくれてこれ以上の天国は無いといった感じだ。もちろん、私も暇さえあれば手伝うけれども。ごろごろとコタツの中に入ってお正月の特番を見ているとすぐさま10日程度の時間は過ぎ去ってしまった。成人式では律子と共に行き、離れ離れになっていた友達や同級生が集まって昔話に花を咲かせた。小学校のときの友達なんて滅多に会う機会もないものだから見事な豹変ぶりにびっくりの連続だった。そしてもう向こうへ戻る時がやってきてしまったのだ。名残惜しくなりながら地元のホームを離れること数時間、律子とはアパートが真逆の方向だったので駅前のバス停で別れた。それほど暗くも明るくもない時間帯だ。バスが来るまで時間が合ったので不意に携帯電話に手を伸ばす。暇つぶしに彼らに電話でもしてやろう……と思った時だった。キラリと視界の隅に光るものが見えた。時期外れにもほどがある。稲妻だ。嫌な思いが胸を駆け巡った。 「……ひと雨くるのかもしれないな」 とりあえず念のためにと詰めていた折り畳み傘を鞄の奥底から引っ張り出しておいた。だけど、不安は別のところにある。雷といえば正に私と彼らが出会った時のきっかけとなりうるであろうと推測されている現象で。もしかして、彼らが元の世界に帰る時期なのではと不安が頭をよぎる。けれどそれは不安―なのであろうか。私にとっては楽しかった時間が過ぎ去るという意味で不安と捉えてもいいのだが、彼らにしてみれば帰ることこそ本望なのである。いつの間にか彼らと過ごす時が期間限定であることを忘れていたのかもしれない。そして、握りしめた携帯電話をポケットへ仕舞い込んだ。もし彼らが電話に出なかったら―それを考えただけで胸が苦しくなるのだった。ただし、私はそれが間違いだったということをこの数分後に気が付いてしまう。 段々と激しくなる雨を傘で防ぎながら大きな荷物を抱えてアパートへ戻る。雨が降り始めたら尚のこと日落ちの時間は早まりとっくにどっぷりと視界は闇へ落ちていた。ゴロゴロとなる雷がうっとおしくてかなわない。段差を登りながら、私の部屋のカテーンの隙間から光が漏れていることに少しだけ安心した。まだ彼らは中にいるのかもしれない、という希望が宿ったからだ。そう思うと駆け足のように軽々と足が先へと進む。自分の家の玄関の前に辿り着き、鍵を開けてドアノブを回そうとしたときに大きな声がそれを止めさせた。 「開けるな、!」 竹谷の声だった。切羽詰まっている上にとても低い声色だった。何故だろうか、初めて会った時のような緊張感を含んでいる。私は訳が分からないまま一旦ドアノブを停止させた。けれど、それは遅かった。もう半分以上が開いていてしまったのだ。ぐっと反対側に押し付けられるように内から力が加わり、緩んだ手元は抵抗する間もなくがっとドアが開いた。そして目に飛び込んできたのは鮮血にまみれた一人の青年が息も絶え絶えに横になっている姿。そしてそれを庇うように支えている青年、最後に今まさに私の目の前にぐっと近づいてきたお面をした青年の三人だった。奥に竹谷と久々知の姿も垣間見える、が、それは一瞬のことだった。ぱっと私の体が宙に浮かび、浮遊感が全身を襲った。空を飛んでいる感覚とでもいうのだろうか、気がつけば私の体は持ち上げられ連れ去られているようだった。 「え、あ、ちょっと……!」 呆気としている竹谷の顔が印象深い。そして、私の視界は暗転した。何しろ私は高いところが得意ではない。むしろ不得意である。ジェットコースターなんてこの世からなくなればいい、と素で思っているほどなのだ。ぎゅう、と目を閉じて状況が理解できないまま私はとりあえず胸の下に入れられている手に全てを委ねることにした。 |