結局、私が帰ることができたのは夕方を過ぎてからだった。あれから事の成り行きを事細かに夢菜に説明しながら、久々知の帰りを待ったのだが彼は一向に現れなかった。もしかしたら先にアパートに戻っているのかもしれないと急いで帰路に着いたのだ。夢菜は私が初めて彼らに会った時のテンションとは大違いで―それはもちろん出会ったシチュエーションと繰り広げられた光景が違うのだから当然ではあるが―けれど、うかれはしゃいでいたと告白した私の言葉に緩く笑って同意していた。

「うちだってそんな場面に出会ったらはしゃぎまくるわ。なんたってあの久々知と竹谷が自分の部屋に来てんねんやろ。はしゃがずしてオタクと名乗るんは間違っとる。」

 なんて、オタクとして間違ってはいないとまで言われてしまった。そして、久々知が見つかったときは連絡をくれといいそのままそこで別れた。彼女にとってもショックが大きかったようだ。聞いたところによると彼女はにんたまの中でも久々知を特に愛でていたらしい。そりゃあショックを受けるだろう。ただ、彼女の言葉はたとえ慰みであっても私を安心させた。一人で抱え込んでいたことを誰かに打ちあけることができたからだ。楽観していたはずのこの有り得ない夢物語にプレッシャーというかそれなりのストレスを知らず知らずのうちに感じていたらしい。ただ、久々知に知られた事実は……できれば隠し通していたかった。

「……ただいま」
「おう、おかえりー」

 鍵をささずともくるっと捻ることができたドアノブにほっとして部屋に入った。中ではこれまた竹谷がモンハンをつついているという見慣れた光景が広がっていた。その日常の空間に触れた瞬間どっと疲れが押し寄せてきて私はぺしゃりとその場に座り込んだ。

「どうしたんだ?大分疲れ切ってるじゃねえか」
「……ハチの顔見たらなんか安心した」
「うん?」
「ごめん、ハチ」
「……何が?」

 隠さない方がよかったのだろうか。例え衝撃を受けただろうとしてもいつかこんな風に抉られるように聞き出すこととなるのなら敢えて最初から君たちは作り物なんだよと教えればよかったのだろうか。わからない。ぐるぐると様々な事柄が闇雲に廻る思考を止めたのは竹谷の一言だった。

「そういや兵助は一緒じゃなかったのか」
「と、途中で別れて。まだ帰ってきてない?」
「帰ってきてねえけど、なんだ、兵助となんかあったんだな」

 洞察力はいい方だから、とぱすぱすと彼は私の頭を撫でた。広くて大きな手は事あるごとに私の頭を撫でるようになった。元々面倒見がいい性格をしているのだろう、疑いかかっていた態度が和らぐにつれてその回数は増えている。竹谷とは同い年のはずでよく口喧嘩だってするのにこうやって頭を撫でるときは兄貴のようなそんな貫禄というのか、包み込むような雰囲気をまとっている。ついつい私もそれに甘えそうになってしまうのだ。そうなるのがなんだか申し訳なくて、嫌で、ぱっとその手をどかした。

「どうしよう」
「大丈夫だって、アイツだってもうここに一カ月近くすんでるし、いい大人なんだから帰ってくるよちゃんと」

 六時過ぎても返ってこなかったら探しに行こう、と竹谷が慰めたところで私は小さく頷いた。会うのが怖い。彼はどのように受け止めるのであろう。自分が作り物だということを。そして目の前の彼はそれを知った時にどう変わるのだろう。この世の中で起こりうる現象全てに理由があるとするならば、どうして彼らは現代にやってきたのだろうか。この現実を知るために彼らはやってきたのだろうか。





 空は凍えきっていた。闇夜に解ける深い藍色と、そこに紛れる自分は嘗てとは全く違う心境でいる。しかし、夜といっても辺りは輝く光であふれており、とてもではないが姿を隠せるというほど陰ってはいない。店を飛び出してから数時間が経過した。西日へと沈んでいた太陽はすっかり消え失せ、変わりに静かな月の光が辺りを包んでいた。寒い。昼間はマフラーひとつで凌げていた寒さも夜となればそれだけでは追い付かない。噴水の手前のベンチに一人腰掛けては、ぼうっと水の流れる音を聞いていた。コンクリートで包まれた街中はあまり好きではない。なにもかもが無機質で、そして新たなる事実を聞かされた今、思考を掻き乱すものとしか成り得なかった。なので、こうして自然が保護されている夜の公園で一人座っている。帰ろうとは思えなかった。帰りたくなかった。渦巻くのは知らされた真実のことばかりだ。が紡ぎ出した言葉は最初は理解不能だった。もちろんそれにはカタカナ語という外国から引き継がれていた日本語英語が盛り込まれていたせいもあるが、事細かなる詳細を打ち明けるにつれて久々知でもそれが何を意味するか理解することができた。かといってそれを直ぐに受け入れることができ、信じられるかというのは別だ。

(嘘だろう……作り物だなんて)

 そればかりが繰り返される。夢菜という女性が手渡してくれた本には確かに自分の姿があり―そこで描かれていたかつてあの時間をあの場所で過ごしていたときに現実として起こったものだった。よく記憶されている。あの時の情景、言葉、人々、匂い。タチの悪い冗談だと思いたかったが、それを自分以外の誰かが知り得、あのように絵画化するのは当人以外で誰にできるというのだろうか。真実として受け止める以外他なかった。けれど―それができるかどうか。

(俺のしてきたことは誰かに意図されたことだったのか)

 自らの手で奪った人の命。血で手を染めてきた。屍を作りだしてきた。時には仲間でさえも手に掛けた。それが己の道だった。…それはすべて人の手によって操られたものだったのか。そして―紙の中で生き続ける自分は本当ならばこうして人の形すら保っていないような存在だったのか。そんな馬鹿なことがあるわけがない。堂々巡りになる。久々知はもう何をどう考えればいいのかも見失っていた。ただ不規則な動揺と乱れるほどの思考が脳内を覆い尽くしていた。そのとき、ある気配が周りを掛けた。このような俊敏な動きをできるのは知る限り一人しかいない。視線を木陰の上へ移すと見れた彼が飛び降りてきた。

「……はっちゃん」
「こんなとこでなにやってんだ、兵助。探したぜー」

 久々知は訝しげな表情をする竹谷をチラリと一瞥して、顔を伏せた。は竹谷にあのことを話さないでいるつもりなんだろう、竹谷はいつも通りだった。あっけらかんとした笑顔を零していて、雰囲気もまるで尖っていない。もしも真実を知っていたなら、もっと取り乱すであろう。―否、そうでないと感覚がくるってしまっているとしか言いようがない。何も答えない久々知に苦笑いを見せて竹谷は自分もベンチへ腰かけた。

と喧嘩したんだろ?アイツも帰ってきてからおかしかった。珍しいな、兵助が感情的になるなんて」
「……別に感情的になってるわけじゃない」
「ふーん、まあどっちにしても、あんま心配かけんなよ」

 竹谷の言葉が自分とを両方を想っての言葉だとはわかりきっている。けれど、それを受け止められるほど心持穏やかではなかったのだ。

「何故、俺らはこの世界に来たと思う?」

 久々知の言葉に竹谷は少し目を見開いて、それから緩く首を振った。竹谷もまた彼が発したその言葉をいつも考えていたのだ。考えて、考えて、考えて。でもそれは結局は無限のループ。誰もわかり得るはずなどないし、またわかったとしてもそれはただの独りよがりの感情なのである。そこに正しい答えがあるはずがない。意味を求めることは大切だけれど、決めつけることが大切だとは思えはしない。

「わかんねーよ。わかるわけないだろ、俺に」
「別に、はっちゃんに答えを求めてるわけじゃないよ」

 不確かなものでも答えを知ることができたら楽になれる気がした。目をつぶってばかりなのは―とても辛いこと。一方で最も傷つかずに済む方法ではあるけれど。どうやって受け止めればいいのかそれとも受け止めずにいればいいのか。何もかもがわからなくなっていた久々知には何が最適なのかをもわからなかった。そのまま竹谷は無言で久々知の傍にいた。彼が今何かに動揺していることはわかりきっていた。ただ、内容まではさすがの竹谷も悟ることはできない。が関連しているのはわかるのだが。その場から固まったまま動こうとしない久々知を一瞥して、頭を掻いた。そのとき、見知った気配が近づいてくるを感じ、二人揃って顔を上げた。

「お前、待ってろっていったじゃねえか」
「……帰ってこないかと思ったから」

 は自転車をその場に止めて久々知へと近づいていった。顔面は蒼白している。何を言われるのであろう―数時間前のあの凍りついた空気を思い出した。久々知はまっすぐ彼女の目を見つめた。

「何故そう思った?俺には他に行くあてもないだろ」
「……それは」

 じっと見つめる彼の目が怖い。何を考えているのかさっぱりわからない。けど、はだからといって止めようとは思えなかった。このままだと彼はどこか知らぬ場所へ行ってしまいそうだ。

「黙っててごめん。……でも知ってほしくなかった。このまま知らないままでいてほしかった。私の単なるエゴかもしれないけど、隠し通しておきたかった」
「何故謝る?別に隠されていたことにはショックを受けていない。ただ、全てのことが、作られたことだと思うと、言葉にならないだけだ」
「だからだよ。そう思ってほしくなかったから、言いたくなかった。……久々知は生きてるでしょう。血が通っている。手はあったかい。作られたものかもしれないけど、あれは、一部なの。全て、久々知の記憶全てが一から組み込まれたものじゃない。現に、私は19歳の貴方を知らない。貴方は生きて意思を持ってる、でしょう」
「知ったような口をきくな。当事者でもないだろう、アンタは」

 厳しい眼差しが突き刺さる。竹谷だけがその場を傍観することができていた。内容も何か辻褄が合わなくてよく理解さえできずにいるが、久々知がこれほどまでに敵意むき出して彼女を見つめていたのは初めての時以来だ。何が起こったのだろうか―思案するけれど、考えたところで何も浮かんでこない。緊迫したこの空気の流れを見つめることしかできなかった。ただ一つ、久々知の言葉に彼女ははっとして息を呑んだときに見せた悲しい表情だけが酷く印象に残った。それは久々知も同じだったのかもしれない。感情的になっていた気配がしゅるしゅると解けていった。

「その通りだ、わかり得ない。……ああもうなんで余計なことしか口にできないんだこの口は。けれどね、この際だから言うけれど関係ないと思うの。もしかしたら私が今いるこの世界だって作られた世界かもしれない。でも私は生きてると自分で思ってる。それでだけでもう十分なの。だってもしそれが事実ならそれは変えられようがない、でしょう?」

 受け止めろとはいわないけれどそれは事実なのだ。この世界に来て知ってしまったからって過去のことを悔んでほしくない。遣る瀬無いなんて思ってほしくない。にはわかり得ない感情でそれを素直に聞き入れる義理なんて彼にありはしない。だけど、伝えずしてそれを望んでも無理な話だ。だからこそ、彼女は口にした。決して投げやりな気持ちではなく、本心として。伝えなければいけないとむしろ伝えたいと思ったからこそ。

「……だから、なに。そんなんでことが足りるとでも思ってんの。何も知らない癖に」

 しかし、久々知の脳内には辛辣な現実として迫りきっていたそれが弾けたような気がした。少なくとも事実を知ったことで今が変わるわけではないし、築き上げてきた過去が変わるわけではない。操られていたのだと感じたことは今日まで生きてきた中で感じなかったはずだ。ただ、それを真正面から受け止められるほど久々知の人生が穏やかなものではないのもたしかだった。はっと鼻で笑う。竹谷が気づかわしそうな瞳を向けた。

「でも、今日はもういい」

 考えることに疲れた、とそう零して久々知は立ち上がった。唖然とした表情のと、にやっとした竹谷の表情が目に留まる。しかし、彼はスルーしてそのままスタスタと公園を出た。背後で彼らが囁き合っているのが聞こえる。

「え、なに、どうなった。何が起こったのハチ」
「わかんねえけど、とりあえず、ひと段落ついたんじゃねえの」

 完全に吹っ切れたとまでは言えない。そこまで単純な思考を彼はしているわけではない。この不自然な世界に疑問視は残ったままだ。でも、心の中につまっていた枷が一つ外れたとでも言うのだろうか、久々知から出ている気迫は幾分か落ち着いていた。希薄な感情の変化しか見せていなかった彼―それはもちろんこちらに来てからの話ではあるが―の心の奥底に秘めた感情を垣間見ることができ竹谷としては安心したとでもいうような感情が渦巻いていた。そっと動揺しているを見下ろす。

「今日は豆腐料理に決定だな。じゃねえとアイツまた機嫌悪くするぞ」
「豆腐……ないし。買いに行かなくちゃ」
「おーじゃあスーパー寄って帰るか」

 先に歩みを進めている久々知の背中を竹谷は追った。





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*091206 くくちは淡々としたイメージが多いけど何かに対してきちんと葛藤できる人。