私は息を切らしてスタバへと駆け込んだ。若い男の店員さんに若干怪しげな目でみられたけど気にしない。友人が先に入ってますんで、と一言告げてきょろきょろと夢菜の姿を探した。これほど一生懸命走ったのは久しぶりだった。ふ、と見知った姿を見つけて安心する。そこには向かい合って座っている久々知と夢菜の姿があった。

ちゃん!」

 彼女も混乱しているのだろうか、切羽詰まった表情だった。真向かいの久々知は顔が凍っていてそこからは何も読み取ることはできない。カタン、と椅子を大げさに揺らして腰を下ろした。駆け込みいっぱいといわんばかりにぐいと冷たいカフェオレをぶんどって飲み干した。久々知用に出されていたものだけれど例にもれず口を付けなかったらしい。ストローがさしてないままの状態だった。夢菜は早速説明を請うような視線を寄せた。けど、私もまずは知っておきたいことがある。

「どうして、アンタ達一緒にいたの?」
「私が偶然公園をあるいとるのを発見して話しかけたんや。お茶でも誘おうかと思て。けど、断られてん。せやから、名前と携番だけでも聞いとこうとして、これや。一体どうなっとん?この人頭おかしいん?」
「頭おかしいって……精神障害とでも思ったか」
「じゃなかったらなんでこの人、そんなこと言うんよ。ありえへんわ」
「アンタ変なところでリアリストだよね……」

 コスプレイヤーの彼女にはドリーマー的観点は通用しないというのか。彼らを見てすぐさま逆トリよっしゃあ!と心の奥底で考えていた私の思考は特殊なのであろうか。どちらにせよ、夢菜がドリーマー的要素を保持していないのは日ごろ行動を共にしていてわかっているつもりだ。そういった要素がこの世界に流れていること自体、彼女は承知の上であろうが実際にそれが起こるという観念はまったくもって存在しないのだろう。私も本当は彼女のようにただの悪戯かそれとも精神障害で久々知だと思い込んでいるとでも考えた方が自然なのである。ただ……証拠すらほとんどないに等しいが、彼は確かに久々知兵助なのだ。それだけは私は信じている。だって彼がそう言うんだから。

 隣にはどうしてこのような状態になったのか理解できずに険しい表情をしている久々知がいた。自分の名前を口にしただけでこのように取り乱されては気分を害する以上の気持ちになるだろう。目でこれは一体どういうことなんだ、と厳しく突き付けてくる。

「夢菜、とりあえず、落ち着かなくていいから私の話しを黙って聞いてくれる?」
「……わかった」
「久々知も驚くかもしれないけど、黙って聞いて。その気配はなるべく緩和してほしい」
「悪い。知らず知らずのうちに殺気がでていたようだ」

 夢菜の焦りの筆頭はもしかしたら彼から漏れる類いまれなる張り詰めた気配だったのかもしれない。すっと、その緊張が解れたことで彼女の表情も共に緩んだ。すっと大きく息を吸った。私はこれを彼に伝えるべきなのだろうか。口を開く直前まで躊躇い、中々言葉が出てこなかったけれど。二人の表情は嘘やごまかしで納得できるような生ぬるい顔つきをしていない。腹をくくるしかない。

「現実味のない話かもしれないけど、彼は久々知兵助その人なんだよ。二週間くらい前に突然うちの部屋に現れたの。所謂、逆トリップってやつ。どうしてそんなことになったのかわからないけど、これは事実。久々知だけじゃなくて竹谷もうちの家にいるの」
「……ちゃんまで頭おかしくなってしもうたん?」
「あのね……妄想ばっかしてるけど、いたって正常です。最初は極度のコスプレマニアかと思ったけど、出てくる気配がまるで違う。……出会った時は本気で殺されるかと思った。本物の忍者ならそれは容易いことでしょ」
「信じられへんわ」

 きっぱりと言い切った夢菜の言葉は当然だと思う。私だってもし夢菜の場合ならば信じられない……かもしれない。わからない。けどあの当事者の立場に立たされたら嫌でもこの現実味の無い答えに辿り着くだろう。がちで殺されそうだった。私はどうやって彼女を説得しようかと思案する。いい答えは中々でてこない。しびれを切らしたのか、夢菜は最も言ってほしくなかったことをいとも淡々と口にし始めた。

「仮に、アンタが久々知兵助だとする。けどもしそうだとしたらただの時空トリップではすまされへんよな。まだ過去に実在した人物なら信じられるかもしれん。けど二次元上から三次元にトリップなんてそうそうできる芸当やないで。だって彼らは生きてすらなかったもん、な?」
「……あ?」

 久々知の顔色が変わった。なんの話をしているのだ、とその表情が物語っている。比較的頭の回転が速く状況判断が容易い彼でもこの現実にはなかなかついてこれなかったようだ。そもそも二次元三次元という言葉すら初めて耳にすることだろう。二人の視線が私に集中した。説明するしかない、か。

「久々知の世界は、この世界では作り物、つまりは創作上のものなんだ。こちらの人の手で作られたフィクション、なの」
「……そんなこと、信じるとでも?」
「信じる信じないのことじゃない。これは現実。貴方達は、紙の上で作られた創作物なんだ」

 驚愕、という言葉がこれに見合うのかどうか、それすらもわかりはしない。久々知の中で時が止まったようだった。微動だにせず視線をテーブルの上へと向けている。ただ、顔色ばかりは自然現象なので段々と真っ青に染まっていった。ぐるぐると彼の脳内で今私が言った言葉が繰り返されているに違いない。夢菜は黙ってじっと久々知の様子をうかがっている。途端に顔色を悪くした彼に、一言投げかけた。

「うち、漫画今もっとるよ。見せようか?」
「あ……ああ」

 力の無い声だった。それを夢菜も気の毒に思ったのか、強張っていた表情が消える。逆に心配するようなそんな顔だった。がさごそと準備のいい彼女の鞄の中から取り出されたのは最新刊。ぱらりと顔の青いままそれとめくって彼は愕然とした。一言もなんで、なぜ、などと呟かない彼のその反応が受け入れられない事実をどうにか整理しようとしているのだと思えた。

「昔、体験したことのあることばかり、だ。俺ばかりじゃない、はっちゃんも雷蔵も三郎も勘ちゃんも他のにんたまもいる。……これは事実なんだな?変えようもない事実ってことなんだな?」
「そう」
「……有り得ない」

 一言だけ零した久々知はそれから黙りこんでしまった。私も何も掛ける言葉がなかった。黙っていてごめんなさい、なんてそんなことをここでいうべきではない。ましてや、落ち込まないでなんていう権利なんてどこにも存在しない。ただ知られなくなかったという自分のエゴだけがじんじんと体の奥を侵食していった。知られたくなかった、というには自分が彼らに対する配慮が欠けていたのも事実だ。結局は自分が隠し通せなかっただけ。双方黙り込んでしまったからか、それまでじっと久々知を傍観していた夢菜が口を開いた。

「アンタ、ほんまに久々知兵助なんやな?」
「……さっきからそう言っているはずだ」

 地の底を這うような低い声が響き、鋭い視線が夢菜とそして私を襲った。ひくりと喉元が引き攣る。忍びであるが故か彼の一睨みにはそれだけで人のからだを硬直させてしまうような力がある。夢菜は疑わしいと真っ向から表現していた顔をがらりと変えた。

「そんな顔、演技でできるはずないな。ごめん、もう疑ったりせえへん。アンタは久々知兵助やんな」

 余計なことしてもうてごめん。うちが詮索せんかったらよかったんに。アンタは久々知兵助やいうてんやから、掻きまわさずに信じてあげればよかった、と続けて彼女は一息もつかずに一気に言い切った。熱しやすく感情的になりやすい彼女ではあるが、自分の非を自覚するとこうもあっさりと謝ることができるのはとても羨ましい性格だ。久々知はそんな夢菜を見て、いやと小さく零す。なんとか落ち着きはらおうとしているのだろう、ぎゅっと力を込めて右手を握りしめていた。そして、突然立ち上がった。

「少し一人にしておいてくれ」

 そのままこちらを見向きもせずに、早足で彼は店を出た。彼のアイデンティティーが消えそうになっている。私は何か言葉を掛けようと口を開きかけて、止めた。何もでてこなかった。





 home 
*091206